エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

愛憎相混じる連想

2016-02-15 08:37:31 | アイデンティティの根源

 

 

 
楽しく陽気に=プレイフルplayful を大切に
  楽しく陽気に、と言うのが私の心理臨床の基本です。エリクソンから教えていただいた心理臨床の基本です。playful 楽しく陽気に、子どもはすぐにそれと分かり...
 


 

 国家と宗教、従うことと信じることは、南原繁先生の著名な著作『国家と宗教』があるように、永遠の課題なのでしょう。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.257の、第3パラグラフから。

 

 

 

 3場面の危機、すなわち、自分の感じに従って行動を始めて良いという≪自発性≫と、自分の感じに従って行動できない、≪自分はダメダァという罪責感≫のどちらに傾くのかの危機は、家族の中心的なコンプレックス、すなわち、エディプス・コンプレックスとしてフロイトが描いたもの一部です。これには、肉感的な自由と、母体や母親の手から受けるいろんな管理を、無意識裡に結びつける永遠の感じが含まれますし、残忍な禁止と、危険な父親をやっつけることとを無意識裡に結びつける、消えない感じも含みます。あるいは、現実でおいても、空想においても、愛憎相混じる連想が生じることも含まれます。

 

 

 

 

 

 エディプス・コンプレックスって、なかなかしっくりと腑に落ちない感じもありますね。でも、自分の感じに従ってはダメな感じである≪罪責感≫と、愛憎相混じる連想を無意識に結びつけてしまう結果は、大いにありうることでしょう。

 

 

 

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あなたは、何歳ですか?

2016-02-15 07:59:11 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
学問の不自由
  ローマカトリックも、根源的な問いに答えなくちゃなりません。 Young Man Luther 『青年ルター』のp182の下から13行目途中から。&nb...
 

 

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、後ろの方、ジョアンの別の文書、p.105。

 

 

 

 

 

       9番目の舞台

 

 前書き

 

 8つの舞台を最初に図表にした時に明らかだったことは、赤ちゃんの誕生日は別にしても、人間の発達の時期は、様々だ、ということです。年齢で区別するのは、社会の常識や社会からの圧力からは独立している、それぞれの発達の舞台には妥当しないということです。

 

 

 

 

 

 最初の舞台、すなわち、赤ちゃんの時期は、生まれた日からと決まっていますが、2番目以降の舞台が始まる日も月も年もは、決まっていないし、様々だということです。

 ですから、戸籍上は、30才、50才、80才でも、エリクソンのライフサイクルの舞台では、まだ赤ちゃんの舞台にいる、ということは、意外に、よくあることである訳です。

 

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気持ちは、シグナル、メッセージ

2016-02-15 03:17:55 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
思い出の香り
  虫眼鏡が多いほど、この世の中も、自分自身も、それだけ、いろんな見方ができますね。  『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から p8...
 

 

 トラウマに向き合うことが、やっぱり大事ですね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.235の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 秘密を守り、情報は隠している限り、あなたは根源的に自分自身と闘っていることになります。自分の真ん中にある気持ちを隠していたら、疲れますから、価値ある目標を追求しようという動機を殺ぐことになりまし、退屈で、閉じこもった感じが残ります。その間、ストレスホルモンがドッと身体に出ますから、頭が痛くなりますし、筋肉も痛くなりますし、胃の調子もセックスも弱くなりますね。それに、自分が恥をかいたり、周りの人たちを傷つけるかもしれない、おバカな行動をすることになります。そういった反応の元が分かって初めて、自分の気持ちを、差し迫った注意が必要な課題のシグナル・目印として使えるようになります

 

 

 

 

 

 感じていることは、とても大事ですね。さっきのブログで取り上げました、自閉症の小学生の繰り返しに感じたことも、初めはハッキリと言葉にはできませんでしたけれでも、「常識」に囚われないで、自分の感じを大事にしたからこそ、相手の子の気持ちにも寄り添うことが出来ました。

 感じの中には、イメージもあるかもしれませんね。私もそういう鮮明なイメージを与えられたことが、何回かあります。そういうイメージを感じた時には、人生を左右するような、非常に大事なメッセージがなかったことは、今まで一度もありません。いまも1つの強烈なイメージが与えられた状況にあります。ヴァン・デ・コーク教授がおっしゃるシグナルだと思いますし、そのメッセージの意味もハッキリしています。でも、まだアクションは起こしてはいません。なぜか踏み出さない方が良い感じがあるからですね。時期がまだ満ちてない感じがあるんですね。

 神のなし給うことは、全て時にかなって美しい

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いつもしていることと、繰り返しが、癒しになる不思議

2016-02-15 01:25:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
楽しく陽気に=プレイフルplayful を大切に
  楽しく陽気に、と言うのが私の心理臨床の基本です。エリクソンから教えていただいた心理臨床の基本です。playful 楽しく陽気に、子どもはすぐにそれと分かり...
 

ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.245。三分の二あたりから。

 

 

 

 

 

 いくら強調しても足りない位だと思うのは、いつもしていることと繰り返しが、回復になる、ということです。脳が変化するのは、パターン化され、繰り返される経験に対してです。あなたが何かを繰り返せば繰り返すほど、それだけ心深く刻まれることになります。つまり、繰り返しを蓄積するには時間がかかりますから、快復も時間がかかる、ということですし、その繰り返しが続いている間は、待つことが必要だ、ということです。トラウマを負わされた期間が長ければ長いほど、負わされたトラウマが深くなればなるほど、そのバランスを取るのに必要な繰り返しの数も、それだけ増えることになりますね

 

 

 

 

 繰り返しと言えば、自閉症の人たちの繰り返しを思わずにはいられません。自閉症の子どものことを思い出しますね。もう二十歳を超えるその子は、当時は小学校三年生でした。愛着、ないしは、根源的信頼感に課題があったのですね。半年間位、彼と私が一緒に遊ぶ時には、自動販売機にお金を入れては、そのお金を返却レバーを押して取り戻す、という遊びを繰り返しました。はじめは何をしているのかは分かりませんでした。それでも、何か大事な課題を、懸命に、楽しそうにやっている感じがあって、侵してはならない何かを感じました。常同行動」という名の、意味のない行動には、到底思えませんでした。根源的信頼感を快復?するための、繰り返しだったことは、明らかです。

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