夜明け前の悦びはね、忘れならない悦び夜明け前に1人。すると、1人豊かな鳥の声が聞こえてきます。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p85の4行目途中から。...
幼いころから、親に無理矢理従う生活をさせられていると、いつまでもわがままで、甘えん坊のまま、になってしまうものですよね。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.258の、第3パラフグフラから。
4番目の舞台では、子ども等は筋道立てて、熱心に学べるようになりますし、他の人たちと熱心に力を合わせることが出来るようになります。この舞台の結果次第で、勤勉な感じ、すなわち、「やったぁ」って感じと、「上手く道具を使い出来ないなぁ」って感じの割合が決まってしまうし、それから、今の工業技術のエートスと合理性という、欠くことのできない時代の要請に応える準備ができます。
第4の舞台は、ちょうど小学生の頃である場合が多い。この結果次第で、勤勉な感じ、すなわち「やったぁ」って感じと、「出来ないないなぁ」って感じの割合が決まってしまうと言いますでしょ。
でも、今のニッポンの小学生の場合、まだ、最初の舞台にいる子が半分くらいいるんですね。その時に「出来た」「出来ない」の話は「出来る話しではありません」でしょ。現在のニッポンの苛酷な現実が、1つ小学校にある訳ですね。「出来た」様子を示す子も、エリクソンの言葉で言えば、たいていは、「偽りの前進」でして、その子が本当の意味で「自分を確かにさせる」ことには、ほとんど役立ちません!
したがって、たいていは「出来ないっ」って感じに傾いているのが、今のニッポンの小学生の現状です。