エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

点検は、火元と心元

2016-02-01 08:37:49 | アイデンティティの根源

 
学ぶ前に、まず遊びましょう!
  知りたいと思うのは、その相手と一緒にいろいろと感じて、仲間と思うから。レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から ...
 

 

 人間らしい根源的な価値は、おしなべて、子どもの頃に身に着けるものなんですね。 

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.255の、最初から。

 

 

 

 

 

 最初の危機は、赤ちゃんの時期始めの危機です。この危機にいかに向かい合うかによって、その人の一番の内的な雰囲気が、根源的な信頼に由るのか、それとも、根源的な不信に由るのかか゛決まってしまうんですね。

 

 

 

 

 

 これはハッキリと分かりますね。一対一で話をせずとも、その人の様子を一時間拝見すれば、だいたい信頼に傾いているのか、不信に傾いているのか、おおよそわかるケースが相当ありますね。信頼に傾きている人は、なんだか嬉しそうな人、穏やかな人です。不信に傾いている人は、なんだか怒っている感じか、沈んでいる感じの人で、愚痴と陰口の多い人ですね。

 どうぞ、火元と心元の点検をよろしくお願いいたします

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叡智は耳からも

2016-02-01 08:13:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
子どもをダシに使う学校には、ホンダシを!
  「子どもをダシに使う学校」。 形容矛盾でも、言語矛盾でもありません。学校が子どものためにあるんじゃなくて、教員が私物化している学校です。そういう学校で「立...
 

 

 「叡智」は生きる指針を示すものです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.7の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 「叡智」と言う言葉の根っこの意味に触れた悦びのあまり、私はさらなる発見を致しました。何千年も前は、シュメール語では、「耳」と「叡智」という言葉は、1つであり同じでした。この言葉はおそらく「エンキ」であり、それは、シュメールの叡智の神が、「エンキ」と呼ばれていたからでした。「偉大な天から、女神は耳を、すなわち、叡智を受け止める耳を、偉大な大地に向けています」と言われます。

 

 

 

 

 

 叡智は、眼だけではなくて、耳から、すなわち、聴く耳からも得られるのでした。私どもは「聖」という漢字を使う文化圏ですから、眼よりも「耳」と「叡智」を結びつけている文化圏かもしれませんね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊的な教育は、当然に自由だあ! しかも、人格の要だあ!

2016-02-01 03:07:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
降りていく生き方
  死んだような心に、忘れていた木霊が響き渡る…。復活そのものでしょう。 p179の8行目途中から。  &nbs...
 

 霊的な教育の、とりあえずの最終回。霊的な教育に関心のある人って、けっこういるんですね。当ブログの「霊的な教育」を読む人が多いですからね。

 霊的な教育は、教育をする側も教育を受ける側も、自由にしてくれますね。ますます自由ですね。当然です。

 霊的な教育は、超越を求めるのですから、自由です。「ムラ社会」のいろんなシガラミ(柵)から自由です。シガラミにまみれて、シガラミに守られる生活には、さようなら。鈴木大拙の話でご紹介したように、自由は、「自分に由る」ということですからね。「≪私≫という感じ」を指針として、キリスト者であれば、神のご意志、神のご計画に従って、生きるからこそ、自由なわけですね。

 自由ですから、ビクビクすることもなければ、ペコペコするわけでもない。ムラ社会の人みたいにはしないんですね。世間や「ムラ社会」では、ビクビク、ペコペコが「謙遜」かもしれませんが、そんな損得勘定の態度は「謙遜」の風上にも置けません。私は、この種の「謙遜」は「奴隷根性」と呼んでいます。なぜなら、基本が依存症ですからね。したがって、この「奴隷根性」にはウソとゴマカシがつきものですね。

 自由、それは、湧き上がる悦び、弱さや脆さにも大らさ、優しさ、エバる者や浅はかな者には厳しさがあります。不自由な暗黙のルールを暴きだして、糺して、自由なルールをハッキリと打ち立てます。

 あなたも、霊的な教育によって、自由になってくださいね。この自由は、「教育基本法」の前文にある「人格」の要なのですからね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルさんの今 不便も不自由も何のその

2016-02-01 02:59:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
学ぶ前に、まず遊びましょう!
  知りたいと思うのは、その相手と一緒にいろいろと感じて、仲間と思うから。レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から ...
 

 

 ビルさんは、体が不自由でも、ヨガのインストラクターの資格を取ろうとするところまで、前向き人生を送る、アメリカ人の典型です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.231の、13章最後のパラグラフ。

 

 

 

 

 

 今日、あれから十年、ビルは人生を今も謳歌しています。子どもとも一緒、孫とも一緒の生活です。しかも、退役軍人を支援する仕事も続けていますし、牧師も続けています。ビルは、体が不自由なことは不便なこととして折り合っています。今まで、ビルは1,300人以上の帰還兵を、ヨガ教室で教えてきました。ビルは、今も四肢が突然マヒすることが常ですから、そんな時には、座ったり、横になったりしなくてはなりません。でもね、子どもの頃の記憶やベトナムでの記憶みたいに、こういった体が不自由になっているエヒソードも、ビルが≪いまここ≫に生きていることを縛ってはいません。こういったことも、ビルの人生が、現在進行形の、進化し続ける物語にすぎないのです。

 

 

 

 

 ビルは不便や不都合なことがあっても、それによって自分の人生が左右されるような人ではありません。ビルはあくまで、アメリカ人の典型ですが、前向き積極的に、自分の人生を創り出していくタイプの人ですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする