自分を確かにする恵みアウグスティヌスは、絶対的な破滅も、実在が神に限ったことだとも認めませんでした。 Young Man Luther 『青年ルター』のp183の第2パラグラフ下から9行目途...
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.106の第2パラグラフ、8行目途中から。
私どもが認めるべきは、いろんな事情から、大事なところで、響き合わない関係が幅をきかせるかもしれない、ということです。高齢者はそういう事情になるのも、避けられませんね。「9番目の舞台」を描く時に、私は、ですから、響き合わない要素を最初に持ってきました。というのも、響き合わない要素が優勢になりやすいことや響き合わない要素が現われやすいことを強調するためです。いずれにしても、覚えておきたいのは、葛藤があったり、緊張があったりするのは、成長し、力を貰い、素晴らしいことに献身することの源だ、ということです。
ジョアンの文書には、力強く、しかも、突き抜けた悦びが満ち溢れています。エリクソンも、このジョアンとの出会いが転機だったことが、エリクソンの伝記に出てきますけれども、ここのあたりを読んでいると、その匂い立つ芳香を感じます。
自分を確かにしている点で、エリックよりも、ジョアンの方が、遥かに上だったと感じます。エリックは、ジョアンによって、「救われた」と考えて、それほど間違いじゃないでしょう。
ジョアンにとって、葛藤(悩み)や緊張(ケンカ)は、新たな飛躍への源です。
「13あなた方の出会った試みで、世間ありきたりでなかったものはありません。神は真実にいまします。神はあなた方が耐えうる以上に試みられることをお許しにならず、試みとともに、耐えうるよう逃げ道をお作りでしょう。」(『新約聖書』コリント人への第Ⅰの手紙 第10章13節 前田護郎・訳)