毎日が発見の連続。毎日が感謝の連続。マハトマ、といえば、ガンディですよね。でもね、まど・みちおさんの詩を読んでいると、この人こそ、「マハトマ」=大いなる魂、の名に値する人だと確信します。小さな世...
トラウマのことは、テイネイに言葉にしたいものですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.234の、ブランクから。
沈黙を破って
エイズを知らせる初期のキャンペインをしていた活動家たちは、力強いスローガン、「沈黙=死」を掲げましたっけ。トラウマに沈黙することって、やっぱり死ですからね。すなわち、魂の死です。沈黙していると、トラウマを辺鄙なところにホッタラカシにすることになりますからね。「私はレイプされました」だとか、「亭主にぶん殴られちゃった」だとか、「親は躾だっていうんだけど、それってイジメでしょ」だとか、「イラクから戻ってから、生き辛い」だとかを、他の人に大声で言えることが、治療が始まる目印になります。
辛いことでも、ハッキリと言葉にできることは大事。ヴァン・デ・コーク教授はそれを治療の始まりの目印だと言いますが、言語化できただけで、もう治療の最終段階、というケースもありますよね。