エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#魂の2つの眼 #聖書の神様がまします場に開かれた魂の眼 #聖書と聖書の三位一体の神様に繋がる魂の眼

2019-01-06 04:42:29 | エリクソンの発達臨床心理
 
#神の命の1回転 #自覚目覚めの始まり #1回転するど真ん中 #辞書は読み物 #思いがけない言葉遣い #遠慮忖度不必要 #目覚まし時計
 聖書の言葉: 自分を大事にするように    情緒的に敏感でいたい   臨床では、倫理の力が決定的野村 實 先生 「気質、知性、倫理がある程度一つになっているん......
 

 

 Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』 第三部。p.123の,第2パラグラフ,4行目途中から。その前もご一緒に。





壁に掛かった様々な夢




 私は拙著を,子どもの積み木遊びから始めて,遊びの理論を振り返り,私の最初の本でお示ししたことを改めるつもりがない,というところまで来ましたね。つまり,最初の本でお示ししたこととは,おもちゃの舞台で「陽気に楽しむ」ことは,枠付けされた「小宇宙」に,諍い合う様々な人を投影しがちな人の心をハッキリと映し出す唯一のひな型だ,ということです。諍い合う様々な人を投影することは,人生の一瞬を物語にするものです。子どもの遊びの中に,あの聖書の神様が創造するというヴィジョンがあることは,見れば分かります。あの聖書の神様が創造するというヴィジョンは,枠付けされた(訳注:自由で賢慮が働く)聖域も1つ,後で使うことになります。そこは「対等な関係の場」(対等な関係が外側に広まるのは,ますます陽気で楽しく,ますます晴れ晴れと,互いに分かり合うために,2人が一心同体になる聖書の神様の場が,広まることです)ですし,1つの舞台,あるいは,自分自身になる目的に向かう道で,自分が主人公であることを取り戻すための青写真です。自分自身になるのは,聖書の神様が一巡する命が展開する関係の中で,上手に自分ならではを育てることによって,実現するものです。しかし,私がまたここでキッパリと指摘しなくてはならない,人を落ち込ませる類の,恐れ,思い煩い,ガタガタいう震えは,些細なものでも,バカでっかいものでも,生きている実感を押し殺す時,心から自由になる希望が死ぬのが,目に見える敵,目に見えざる敵によって課せられた,悲しき自分の定めだと人は誤解してしまいます。しかし,私が申し上げてきたことは,敵を作らない場合でも,人は,自分がなる予定の新しい人になる自由がほしくて,勝手気ままをする余地を作る壁を作り出すために,敵をでっちあげるものだ,ということですね。

 自分が生きている実感を創造し育てる視点は,毎日刻々と礼拝することで,完成します。それは,この本の第2部でお披露目したとおりです。刻々と続く毎日礼拝は,最もささやかな私的なやり取りから,文化的行事で一体になることまで,さまざまです。すべては,「これが,私どもの見方ですし,話し方ですし,立ち居振る舞いです。それは《人間らしい心から優しいやり方》です」,となりますから。ヴィジョンの基盤となるのは 聖書の神様の命が一巡する場ですし,その聖書の神様の命が一巡する場は,細かいところまで真実なのに,同時に,とても良い創造の全体像とも,聖書の神様の御心にもビッタリと一致していますから,バラバラになった人間を,互いに大切にする関わりを始める中で1つの人類にします。
 このような聖書の神様の命が一巡するヴィジョンが至る所にあることをお示ししょう。まずは,私にとって1番身近な事,すなわち,芸術と精神分析から,始めることにしましょう。聖書の神様の命が一巡するヴィジョンが至る所にあることが分かれば,ヴィジョンという見通しを色々試してみる事を一緒に始めることが出来ます。最近,ヘルムート・ウォールがサンフランシスコの「視点」に論文を載せましたね。この論文の中で,ウォルフは,ルネッサンスの絵画の本質的な視点と,ルネッサンスの絵画の視点が広めたキリストの信頼を結び付けましたし,見透しもキリストの信頼も,人が希望を持ちたいと願う最深欲求とも,結び付けました。 

      「五感を総動員した感性豊かなヴィジョンは,聖書の神様の様々な御心は、『うまくできてるね』,という視点で,お祈りにする雛形になります。そのヴィジョンは,聖書の神様を信頼する根源的信頼を繰り返し肯定してくれます。おそらく,聖書の神様の御心は,『うまくできてるね』,と見ることは,視点が繰り返しプレゼント出来る,『人と人をくっ付けて,力を合わせるようになりたい』と求める最深欲求に繋がる判断の物差しです。結局,感性豊かなヴィジョンは,聖書の神様が創造する全体像が,たった1つの聖書の神様のご計画であるし,たった1つの,意味や価値を判断する物差しになります。聖書の神様が創造する全体像は,『うまくできてるね』という物の見方のおかげで,『なるほど本当だね』という実感が湧いて来ますから。」
      デ・ヤング美術館で,16世紀初期のフランドルの画家の手になるヴァン・ボーグの「受胎告知」を見ました。この絵は、描いた画家の名も分からないし,ウソとゴマカシのない一体感がある中で,人間が陽気で楽しく生きるヴィジョンが持つ,たくさんある根源的な要素を,いまここで,1つに纏めているのが分かりました。陽気に楽しく生きるヴィジョンは,眼で見たことから生まれ,最も不動な生き方を根源的に支える聖書の神様の心からの優しさを片時も忘れずに思い出すこと,まで,至ります。その「永遠の見通し」とは,天使ガブリエルから誕生を告げられた子が,子どもの頃が約束する,あの聖書の神様がまします場を,人間にいつも必ず分け与えて救い出す,「御子キリスト」になる,と見通すことなんです。それから,聖母マリアは,選ばれし母,になります。天使が今ここにいて,見守ってくれていることに気付いて,聖母マリアは,開いていた聖書を下に置きますが,学んでいた聖書のページ(聖書のページは,枠付けされた視野になりますね)は,「輝いてい」のが分かりますでしょ。この受胎告知の絵が示しているのは,光るスピリットを目の当たりにして,膝を付いて光の下に座り光を仰ぎ見る人間という,聖書のテーマでしょう。光るスピリットを目の当たりにして,膝を付いて光の下に座り光を仰ぎ見る人間とは,モーセでしょ。古い約束をの知らせた預言者であったモーセが光るスピリットを目の当たりにして,膝を付いて光の下に座り光を仰ぎ見る人間であったのは,新しい約束を知らせる預言者になられた御子キリストが光るスピリットを目の当たりにして,膝を付いて光の下に座り光を仰ぎ見る人間であったことと同じなんでしょうか? しかし,聖母マリアが陰になったのは,聖書の神様からの命令を携えたスピリットを眼の当たりにしているからですが,そのスピリットが伝えた言葉は,「お腹の子は,『聖書の神様の独り子キリスト』です。『新しい人』の守り手ですからね」ということです。それに,聖書の神様がまします場では,「聖なるスピリット(聖霊)」,すなわち,促し手は,キラキラと輝いている,その温もりが身に沁みてありがたい,一筋の光に乗って,下に置かれているように見えます。

 この受胎告知の舞台は,その前景の中では,光るスピリットを目の当たりにして,膝を付いて光の下に座り光を仰ぎ見る人間といった聖書のテーマなどすべてが展開しますが,背景の中では,2つの場に開かれた2つのドアの枠がありますね。1つは,聖母マリアの背後にあって,マリヤのベッドが見えます。もう1つは,さらに2つの枠組みに私どもの目を誘います。聖書の神様がまします場に開かれた窓(魂の片目)と,もう1つは,下に置かれた三位一体の聖書の神様を示す祭壇画と,その聖書の神様の命が一巡することを物語る羊皮紙の聖書に開かれた窓(魂のもう一つの片目です。その祭壇画があまりにも輝いているので,もう1つの窓(1つの「魂の目」)があるみたいです。



 封印が効きすぎる箇所ですから,封印が解けませんと,「何を訳の分からないことをクドクド書いているんだろう」としか感じられないところでしょうね。

    しかし,ここは非常に深いことが封印したうえで短文で書く,というエリクソンの文体が見事に出ているところなんですよ。

 人間は,光の前で跪いて座り,光の下に座り光を仰ぎ見る存在です。

 光の前で跪いて座り,光の下に座り光を仰ぎ見る人間には聖書の神様がまします場に開かれた魂の眼と,聖書と聖書の三位一体の神様に繋がる魂の眼が,与えられてます。

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