エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#赤ちゃんの信頼 #お母さんが創造する #心からの優しさによりますから

2018-07-09 02:56:39 | エリクソンの発達臨床心理

 
エリクソンの叡智: #真の癒し #真の回復
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 Identity and the life cycle  『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.65の,2行目途中からです。 p.63の第2パラグラフからも,ご一緒に。




 赤ちゃんは,信頼している,とは言えても,赤ちゃんは「自信がある」とまで言ったら,言い過ぎになるでしょうね。信頼が創造する復活とは,さらには,外から赤ちゃんの将来を見越して様々な世話をするお母さんがいつでも共に居て,いつでも対等で,赤ちゃんと一心同体になる人で,しかも,いつでも身も心も赤ちゃんと共に居て,絆がある,というだけではありません。自分自身を信頼し,自分を縛り付ける者(訳注:悪い良心=自我の上に立ち,自我に様々な文句を付けて,縛り付ける悪い良心そのものの超自我と,子どもや人の上に立ち,子どもや人に様々な注文を付けて,縛り上げる悪い良心の持ち主である大人達)と戦う自分の様々な働きの度量も信頼することです。つまり,私どもは,自分自身と十分に当てになる(信頼できる)ことを一体として見る(見なす)ことができるんですよ。ですから,赤ちゃんの将来を見通して世話してくれる人たちに,もう守ってもらう必要はないし,プレゼントを運んでもらう必要もないのです。

 精神病理学の論文では,「口が寂しい性格」という場合が多いものですが,これは,この口の舞台の悪い良心との戦いが未解決であるのが原因となって,知らず知らずのうちに自分と何を一体にしたらいいのか分からずに迷子になっていることが骨身に沁みて,自分は信頼できると見なすまともな発達ができずにいる人です。口の舞台の最悪の生き方が,支配者となり,他の生き方の余地がなくなりますと,赤ちゃんの様々な危機は,相手にされずにホッタラカシにされるかもしれないという不安,あるいは,単に,独りぼっちにされるかもしれないという不安,それに,関わってもらうことに飢えている不満ですが,その赤ちゃんの様々な危機が見て取れるのは,力づくで抑え込まれている顔ですが,相手にされずホッタラカシにされて,無理無理抑え込まれた悲しげな顔,神様に見捨てられたかと勘違いして,役立たずと感じて,無理やり抑え込まれた怒り顔です。このような赤ちゃんの様々な危機がありますと,命が回転して逆向きに根がケチで欲張りになります。それは,精神分析では,「根っからの無慈悲」と呼ばれ,人様には有害なやり方で,いろんなものを無慈悲にも自分の手に入れようとします。しかし,初め(値っ)から最高の人(訳注:キリスト)も1人いますね。その人は,まず自分が与えてから受け取る関係を自分から作り出して,一番大切なこと(訳注:互いに大切にすること)を命の中に回復して復活することになります。そして,ひとりびとりあらゆる人間の中で,人生の習慣になる心の下層となる「始まり(根っこ)」があります。この始まりに,キリストを豊かに信頼するお母さんから生まれるものは,いつまでも残る(訳注:信頼という名の)宝物です。その心の下層は,心の習慣になって,私どもが信頼していることの中と,失くした1つしかない天国に対する,ほのかではあっても,どなたにでもある,母親との一体感を失った痛みと混ざったいつまでも消えない疼きの中とに,おのずから出ます。最初の舞台と後の舞台すべてをピッタリと一体にして全体像となすと,聖書の神様信頼する根源的信頼感と現実をリアルに見つめる賢慮を併せ持つ(訳注:本物の)大人になれます。 

 赤ちゃんの時にねじ曲がった生き方の向きが,どれくらい病んでいるか,どれくらい割に合わないかは,そのねじ曲がった向きが,人格全体とどの程度一体化しているかの程度次第,ねじ曲がった向きが,子どもを大切にすることの創造的なパターンにピッタリと合っている程度次第,上手な様々な人付き合いに使える程度次第,ということになります。

 ですから,ここでも,他と同様,「赤ちゃんを縛り付ける様々な敵」が「子どもを大切にする計画」の中で現れることを,まず初めに論ずべき課題として,よくよく考えなくてはなりません。その「赤ちゃんを縛り付ける様々な」は,1つの子育て,1つの出産の経済的,道徳的な全体像の中で,苦しい迷子と,見なすことができます(みなすことができないかもしれません)。たとえば,「チャンス到来」を熱心に信頼することを取り上げてみましょう。「チャンス到来」を熱心に信頼することは,伝統的で特権的なアメリカ人が,自分は器量が大きいし,運命を司る神様は善意の塊だと信頼することです。この聖書の神様に対する信頼は,ときに,堕落しているように見える場合があります。多くの人がギャンブルに興じていますし,あるいは,運命を司る神様を貶める,自分勝手で,自殺的な「危険な橋を渡る」場合もあります。あるいは,俺様は,平等なチャンスに対する権利があるばかりではなくて,1つの創造の計画の中に参加する全ての人よりも俺様が好かれてるんだと言い張る輩がお出ましになる場合もあります。同じ堕落の道で,気分がよくなるいろんな嗜好品が,古くて新しいいろんな味覚からも,吸ったり飲んだりすることからも,ムシャムシャ食べて,飲み込んで,消化することからも,手に入れることが出来ますから,私どもが身に覚えのある,聖書の神様を信頼する根源的信頼感が豊かなお母さんが心から優しいことを態度で示すことにもならないし,そのお母さんが心から優しいことにも繋がらない,様々な依存症に,多くの人が陥ることに,神様の命の向きとは逆に回転して堕落します。

 ここで,私どもは,人格と子育ての2つを1つにする身の処し方を必要とする,聖書の神様の創造の光が自由に解き放たれていることに触れていることは、明らかです。また,口が寂しい人が「バラバラにされた」中で,大なり小なり悪い働きをする問題と,赤ちゃんの時に安心安全を繰り返し与えられず,聖書の神様を信頼する根源的信頼感をもらえなかったことが下層となって生じているとみられる心の様々な病に対して,これは誰にでもありうることだとして身を処することも,「なるほど,本当のことですね」とするものでしょう。復活している生きる課題が出る,母子関係(訳注:時に父子関係)の唯一無二の課題は,聖書の神様を信頼すること(いまの産科と小児科が,子どもを大切にする様々な方法について非常に関心を持っていることに,現れています)です。すなわち,聖書の神様を信頼する根源的な心の習慣を1人の赤ちゃんの中で不動にするならば,大人は誰も,軽症・重症を問わず,依存症にもなりませんし,自分に妄想(もうぞう)を抱くこともないし,欲張って金・地位・異性をむさぼることもなくなりますからね,という聖書の神様を信頼する信頼です。

 復活して生きる課題に対する見方は,それぞれですが,精神科医,産科医,小児科医,人類学者のみなさんでしたら,この人たちには親近感を覚えますが,きっと賛成してくれると思います,「聖書の神様を根源的に信頼することが,迷って不信に傾くよりも,いつでも勝っている心の習慣(訳注:安定的な愛着)を不動にすることこそが,赤ちゃんの最初の(訳注:神様が課した)義務ですし,したがって,お母さんが赤ちゃんを心から大切にするために,一番初めにしなくてはならない義務でもあります。「聖書の神様を信頼する信頼が育つ」のは,赤ちゃんの頃の経験からですが,「食べ物や,大切にしていることを態度で示すこと」の絶対量で育つものではありません,むしろ,お母さんが2度生まれで復活しいて,「どれだけ心から優しいか」次第で育つものです。お母さんたちが,子ども達の中に,慎ましい世話人としての心からの優しさによって,創造します,と言わなくてはなりません。お母さんの慎ましい世話人としての,心からの優しさは,赤ちゃんひとりびとりのその子ならではのニーズに敏感に応えて大切にすることと,自分の仲間の生き方の,信頼できる土台の中で,自分には値打ちがあると堅く信頼していることの2つを1つにした優しさです。

 

聖書の神様を信頼する根源的信頼感が育つ」のは,お母さん自身も「聖書の神様を信頼する根源的信頼」の質が高いからです。エリクソンははっきりと言いますね,子どもの中に信頼を創造するのは,神様の代わりに,心から優しいお母さんだ,と。

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