アメリカは、自主独立の人を創りだす遊び場であり、実験場である、というのは、新しい国ならでは、なのかもしれませんね。
そのアメリカに渡ることの意味を考えます。
大海原をわたってアメリカにつくことは、誕生を意味することが多いのです。初期のアメリカは、実際、イスラエル国民と同一視されました。なぜなら、この国に本気で来るために、あるいは、新天地を征服することで自分には値打ちがあると感じるために、どこかの「エジプト」の圧政から、天が命じたとおりに、脱出し、そして、海を渡ったはずです。共同の過去を、神話のように繰り返することは、旧世界の国々から様々な形で脱出することに、飛びぬけて素晴らしい、自分の自由意思を重んじる考え(自発的行動)を授けました。他方で、それは、1つの選ばれた人民に仲間入りしなくてはならない人々、あるいは、そうなりたいと願っている人々で、しかも、それゆえに、1つの家族、1つの国、1つの文化、あるいは、1つの言葉を見捨ててしまったり、追い出されてしまったりしたことに関して、罪責感もなく、非難されるべき点もないのです。
アメリカにわたることが、旧約聖書にある「出エジプト」になぞらえられる、ということ自体が、芝居がかっている、と感じませんでしょうか?しかし、当時のアメリカ移住を実行した人の多くが、自分自身の「出エジプト」を実現しようとしていたことが分かります。
ですから、アメリカに移住することは、 過去の母国での圧政から、脱出することになります。自分の脱出が、聖書の「出エジプト」を繰り返すことになるのですから、それは神をも味方につけた心強さがあったはずです。それはまた、人から指図されるのではなく、自由意思を重んじる考え方に基づくものでした。そこに移住した人々は「選ばれた人民」となれるばかりではなくて、母国などをすてたり、母国から追い出されたりしたことに対して、罪責感もなければ、非難されるべき点もないのですから、移住先の労働は楽ではなかったでしょうけれども、晴れて自由という感じだったでしょう。