入院後四日間は何も食べさせてもらえず、点滴だけで過ごしました。
動くといえば、トイレに行ったり、一階にある売店に新聞や雑誌を買いに行くだけですから、リンゲルの点滴だけでも腹が減るようなことはありません。
しかし、三日目ごろから妙に嗅覚が過敏になり、同室の人たちの食事が気になって仕方がないようになっていました。
毎朝六時になると部屋の明かりが灯され、ナースが薬を持ってきて、血圧測定と検温をして行きます。
私の場合は加えてリンゲル液の交換、鉄剤の注射と採血があります。
血圧測定と検温を終えると、洗顔や歯磨きに立つ人、隠れて煙草を吸いに行く人……。
周囲が少しずつ騒がしくなってきたと思ったら、八時になっていて、朝食の時間です。
「○○さーん、お食事でーす」という声が前後左右で聞こえ、パタパタとスリッパを鳴らしながら歩き廻るナースの足音がしますが、むろん私のところには誰もきません。
三日目の朝、シャカシャカと何かをかき混ぜるような音につられて目を挙げると、隣のベッドで寝ているオヤジが何かをかき混ぜている姿がカーテン越しにシルエットとなって見えました。
六人部屋で、ベッドとベッドの間は厚めのカーテンで仕切られているだけですから、各自のベッドに備え付けのランプを灯すと、おぼろげながらその人の姿が見えるのです。
やがてズルッズルッという音が聞こえました。「あ、納豆を食っているな」とわかりました。
私は格別納豆が好きだというわけではありません。しかし、この朝ばかりは無性に食べたくて仕方がない。
昼時にはトマトスープらしい匂いが漂ってきました。もうたまらん、という感じです。
私がいる病室の隣に談話室があって、そこには無償の小冊子が何冊か置かれています。主にサプリメント会社の広告で成り立っている冊子で、健康や病気に関する記事に混じって、特定の病気によいと謳う病人食のレシピなども載っています。
私が見た一冊には、焼いた秋刀魚を載せたパスタが紹介されていました。滅茶苦茶美味そうに見えました。
めでたく退院の暁には是非つくろうと思いました。
すでにパスタ皿は持っていますが、もう少し深めのものがほしい。模様の目立たない、真っ白な皿がいい。これも退院の暁には探しに行こう。
希望が湧いてきました。
点滴中(最初の数日は500ミリリットルのリンゲルを一日四本打ちましたので、ほぼ二十四時間、腕に針を刺したままの状態です)は点滴スタンドを引きずりながら歩くこともできますが、煩わしいのでベッドに横になっていることが多くなります。することもないので、テレビを視るか新聞を読んで暇を潰すことになります。
朝五時半ごろになると、一階の新聞販売機に朝刊が届きます。売っているのは朝日、讀賣、サンケイスポーツの三紙。130円也を入れて朝日新聞を買います。
ベッドで胡座をかいて、隅から隅まで目を通し終わるころには朝食の時間。一階では売店が店を開くころです。
朝食を終えると売店に行って毎日新聞を買います。余計なことながら、私は讀賣は決して読みません。
私の好物のポテトチップスが売られているのを横目でチラリ。
水分をとることは許されていますが、さすがに缶コーヒーは駄目です。コーヒーのCMに出ている高田純次の顔を思い浮かべながら、それも横目でチラリと眺めて、買うのはミネラルウォーターです。
部屋に戻って、水を飲みながら毎日新聞も隅から隅まで目を通しますが、読み終わるころはまだ十時です。
なが~い一日はなかなか時間が経過しません。
テレビを視るためには、この販売機でテレビカードというものを買わなければなりません。一枚1000円で十二時間視ることができます。
四日目。二度目の血液検査の結果が出ました。
懸案の赤血球数は215から208へダウン。血色素量も6・5から6・4へダウン。ヘマトクリットも19・6から18・8へと、軒並みダウンでした。しかし、潰瘍による出血はもうないとのことです。
五日目にしてようやく食事が出ました。リンゲルを脱し、初めて供された朝食です。
重湯であろうと想像していたら、三分粥でした。味噌汁 ― と、いうより具が何もない味噌スープ ― に、クッキングチョッパーで粉々に砕いたような、得体の知れないおかず二品とヨーグルト。
おかずはかつて食べたことのある味ですが、新生児の離乳食のようで、見ただけでは原型がなんなのかまったく見当がつきません。口に入れて噛む、というより胃の腑に流し込みながら、これは元々はなんなのだろうと考えました。間違いなく食べたことのある味なのですが、結局わかりませんでした。
毎食前、胃酸を中和するタイメックという液状の薬(左・ヨーグルトのような味がします)を服み、食後はプロマック(手前)とガストロームという顆粒状の薬を服みます。
プロマックは胃粘膜を保護する薬。ガストロームは消化管粘膜全体を保護し、壊れた組織を修復する薬だそうです。
昼食。三分粥に依然として得体の知れないおかず。プラス牛乳200ミリリットル。
夕食も三分粥。ようやく麻婆豆腐らしいとわかるおかずにグレープジュースがつきました。麻婆豆腐はそれらしいとわかっても、もちろん香辛料は抜きです。
翌六日目は五分粥、七日目は七分粥、八日目は全粥となって、九日目にして普通の米飯に戻りました。