桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

有朋自遠方来 亦不楽(3)

2009年12月20日 09時28分37秒 | つぶやき

 入院して無聊をかこつようになってから、何より愉しみに待っていたのは、関西在住の友が見舞いにきてくれることでした。十一月二十八日に東京に所用があって、その前日にくることは前々から決まっていたのです。

 くることが決まったころ、自分ではすこぶる体調が悪いと思っていただけですが、実際は胃潰瘍の前兆に悩まされていたので、「病院で会うということにならなければいいけれど……」と冗談交じりに話をしていました。まさか正夢になろうとは思いませんでしたが……。

 入院八日目の十一月二十七日。
 友が到着したのは夕暮れ時でした。病院のすぐ近くにホテルをとっていましたが、チェックインをあと回しにして、先に訪ねてきてくれました。
 私の夕食の時間が迫っていたので、コンビニでお握りを買ってきた友と私のベッドに腰かけて一緒に食事。



 その夕食です。病人食で、味のほうは致し方なしと思えた食事が関西育ちの友人には、結構塩気が強いと感じられたそうです。



 友が見舞いに持ってきてくれたキイロトリの縫いぐるみです。
 手前は京都鴨川べりで拾ってきてくれた公孫樹(イチョウ)の葉だそうです。その他、盛りだくさんの見舞いの品々をもらいました。

 
 


 翌九日目は土曜日。友人は所用で東京行。朝、見舞いにきてくれたその足で東京に行き、戻ってきたのはまた夕暮れ時でした。

 その日の朝食から夕食です。ようやくお粥を脱して普通の米飯となりました。おかずも食材の形がはっきりして、見た目だけはもう病人食ではありません。



 十日目の朝食はパンでした。
 この日は日曜日。入院していなければ、とタラレバの話をしても詮方ないことですが、海を見に城ヶ島へ行き、新幹線で帰る友を新横浜か品川で
見送るはずでした。

 血色素量と赤血球数が基準値に満たないのを除けば、ほとんど恢復しています。病室で膝突き合わせていても芸がないので、また外出許可をもらって、散歩に出ることにしました。
 といっても、遠くへは行けません。かといって、近辺には遠来の客をもてなすような名所もありません。大谷口(小金)城址のある歴史公園を案内することにしました。
 病院からは約1キロの距離。普段なら十分少々で歩いてしまいますが、ソローリソロリとしか歩けないので、倍ほどの時間がかかりました。

 好天ではありましたが、冷たい風があって、薄ら寒い陽気でした。貧血のせいで血の巡りが悪いのか、時間が経つのにつれて、指先も冷たくなってきます。コートのポケットに突っ込んでも、一向に温かさが戻りません。



 大谷口城址で見上げた空。
 ときおりクルクルと回りながら欅(ケヤキ)の落ち葉が舞い落ちてきます。のんびりと眺めていたいところですが、一週間の温室育ちに慣れてしまった私にはちょっと厳しい冷気でした。

 城址は小高い丘になっていて、20メートルほどの高低差があります。
 上り下りしても息の切れることはなかったので、大勝院を訪ねることにしました。大谷口城を築いた高城胤吉が一族の祈願所として建立した真言宗豊山派の寺院です。

 城址をあとにして新松戸駅のほうに少し戻ると、傾斜30度ほどの急な上り坂があります。その坂を上り切ったところに大勝院があります。足慣らしならぬ心臓慣らしを兼ねて坂を上りました。
 坂の左側には崖を背にして建つ家が並んでいます。どの家も一階部分はガレージだけ。階段を上って家に辿り着くという設計になっています。
 西伊豆の山を背に家を建てるとしたら、やはりこんな設計になるのだろうかと思いながら、温泉付きの家を持ち、地元の漁師さんたちとコミュニティを立ち上げて……と、友と他愛ない話。



 大勝院境内にある樹齢五百年(推定)といわれる公孫樹の老木です。
 新松戸の公孫樹はほとんど散ってしまったのに、この樹はまだ沢山の葉をつけていました。根元のあたりは大人三人が両手を拡げてやっと届くか、という太さ。幹に手のひらを当てると、ほんのりと温かさが伝わってきます。



 近いので、これまでに何度か訪ねていますが、久しぶりに訪ねてみると、新たな発見がありました。
 本堂前の灯籠に桔梗の紋が刻まれているのを見つけたのです。対になった右側もそうかと思えば、こちらは違い鷹の羽でした。
 なにゆえに桔梗紋か。
 真言宗智山派の寺院なら、総本山・智積院の寺紋が桔梗ですから、わからないでもありませんが、ここは豊山派……。

 北小金駅から柏に出て、昼は高島屋のレストラン街で鴨汁そばを食べました。数日前、テレビで視ていて無性に食べたくなっていたものの一つでした。
 退院したらいろんな料理をつくってみたい。新しい料理には新しい皿を……高島屋の食器売場を歩いて、山中塗のきれいな汁椀を見つけました。なんと一つで6500円也といい値段がついていたので、とても手は出ませんが、手にとって見るだけで眼福というものでした。



 その夜の夕食。左上の緑色に囲まれたような白いものは好物のじゃが芋かと思ったら、蕪でした。

 食事を終えると、友の帰る時間が迫っていました。今度はいつ会えるのかわかりません。せめて駅まで送りたいところですが、私が行けるのは病院の玄関まで……。
 冬の夕暮れなので、外はすでに真っ暗ですが、時間はまだ七時過ぎ。そんな時間に松戸をあとにしても、友が自宅に着けるのは深夜なのです。
 そんな遠い距離を厭いもせず、私を励ましにきてくれた……。私は思わず涙が滲むのを覚えました。
 振り返り振り返りしながら、暗闇に友の姿が消えると、また独りきりになりました。
 いつ退院できるのかわからないこともあり、この世に独りだけ取り残されたような気がして、身体がふか~い虚脱感に包まれて行くのをいかんともしがたい。