昨日は立冬。
去年もそうでしたが、冬の始まりにしては暖かい朝でした。晴天がつづいて、玄関前にこしらえた「探査装置」によれば、廣徳寺の湿った落ち葉もごみ袋に詰めごろ、と思われるのですが、風邪をひいてしまいました。前日から洟水が止まらず、朝になって頭も重い。
寒くなってきたので、好天がつづいているのを幸いに、羽毛布団を出して陽に干し、ヌクヌクにくるまれて、極楽極楽と眠ったのですが、さすがに暑かったとみえて、夜中に目覚めると、布団を蹴飛ばしている。未明にもまた蹴飛ばしている……てなことが風邪ひきの原因のようです。
それでも、作務に励んで汗をかけば治るかもしれない、と腰を上げかけましたが、イヤ、暖かい時期ならいざ知らず、汗に濡れた身体で寒い中を帰ってきたら、もっとひどくなるかもしれない……などと思いあぐねているうちに、七時になり八時になり、風邪はひいても腹は減るので、朝飯を食いますか、と用意をしている間に九時を過ぎて、出るタイミングを失してしまいました。
昨日は本土寺の御会式。万灯練り行列がありました。
午後一時に行列の出発地の東漸寺へ行くつもりでしたが、モタモタしているうちに出かけるのが遅れ、北小金駅近くまで行ったときには、すでに「ソレソレソレソレーイッ」という掛け声と団扇太鼓、鉦、笛の音が間近に聞こえ、行列の先頭は駅南口のロータリーを廻っていました。
行列をやり過ごして東漸寺へ行きました。
行列が出払ったあとなので、森閑としていました。ほんの少しですが、紅葉が始まっていました。
日蓮宗の本土寺に対して、こちらは浄土宗。
日蓮は攻撃的な人(としか私には思えないのですが)で、とくに「諸仏諸経の怨敵 聖僧衆人の讎敵(しゅうてき)なり」とか「念仏は無間地獄の業」といって批判したのが浄土宗の宗祖・法然上人です。
それが一千年近くも経てば、場を提供しただけとはいえ、呉越同舟のようなことにもなるのですな、と紅葉を眺めながら思ったことでした。
行列の進む速さは一時間に500メートルぐらい。
旧水戸街道を通り、常磐線の跨線橋に向かいます。そのあたりで休憩と聞いたので、私もいったん家に戻って、仕残した農作業のつづき。
大きくなってきたハーブと桔梗の苗を庭に移し替えようと、土を篩って畝をつくっているのです。
ついでに我孫子の志賀さん邸と与野の妙行寺で拾ってきたカクレミノ(隠れ蓑)とモッコク(木斛)の実を庭に埋めました。
芽を出してくれるかどうかわかりませんが、出るとしても来年の春。それまで生きなければならぬと、ちょっとオーバーながらも考えました。あと十年、歳をとったら、本気でこうして自分を叱咤しなければならなくなるのでしょう。
本土寺参道に入った練り行列。
万灯行列を先導するのは纏です。江戸の火消しが万灯行列を見て、法被姿に纏を持って加わったのが始まり。
ひと通りクルクル廻すと、周りを囲んでいる人が順繰りに交替して行きます。持った瞬間、「重ーッ」といっていますが、一本5~7キロあるそうです。ただ、江戸時代、火消しが振った纏は15キロ。しかも地上ではなく、屋根の上でした。
男と女の違いがあるのかもしれませんが、上の画像は男で、私のかつての地元・台東区からやってきた人たち。画像下は女で、いまの地元・松戸の人たち……。台東区に較べると、松戸の法被の着方は少しだらしなく見えます。
祭なのだから、足許は紺の地下足袋と思っていましたが、白足袋に草履の人のほうが多かったようです。纏を持ったときは大変ですが、あとは手を叩きながら掛け声をかけ、時速0・5キロで歩くだけ。御輿を担ぐわけではないので、草履履きでも支障はないのでしょう。
本土寺山門脇を通って境内に入って行きます。
通常¥500の参拝料が本日は無料。
行列見物はそっちのけで、ここぞとばかり境内を巡る人が大勢いましたが、私はなんとなく後ろめたいような気持ちが湧いて、境内はちょっと見ただけ。紅葉もまだまだであったし、とくに見たいものもありません。
五重塔前では寺の関係者がお出迎え。最後に南無妙法蓮華経の大唱和。
どんなに譲っても、南無妙法蓮華経だけはいただけないので、私は心の中で南無釈迦牟尼佛と唱えつつ帰路に着きました。
さて、ドラゴンズは残念賞。
よく「打」は水物、よって守りを固めるのが常道といわれますが、稲尾、権藤、村山といった投手の出現は夢のまた夢であるいま、守りの中心である「投」もまた水物。
今季両リーグ一という防御率を誇った「投」はやっぱり水物であったという結果に終わってしまいました。水物でなかった投手がチェン独りというのでは四つ勝つことは望めません。
なんという花なのか名前は知りませんが、近くの畑地脇に色とりどりの花を咲かせていました。花が少なくなったいまの季節、とりわけ目立ちます。(後記:このブログへのコメントで貝殻草であると教わりました。ドライフラワーに最適な花だそうです)
こちらは菊。これも畑地脇。
富士川にはチュウサギとコサギがきておりました。