少し寒気が緩みました。地震被災地の方々には多少なりとも明るさが戻るかな、と愚考しております。
我が地方は一昨日昨日と夜明け前はまた氷点下。今朝はちょっぴり暖かかったのに誘われたのか、アケビ(通草)が芽吹きました。
去年十月、柏市岩井の將門神社を訪ねた帰り、手賀沼畔にある「道の駅しょうなん」で買って味見をしたあと、種を播いておいたものです。
庭ができたのをいいことに、買ってきた種子や球根だけでなく、散策途中で拾った隠れ蓑、栗、柿、銀杏、椎等々、さらに食べてみたら種があった柚子、伊予柑、林檎等々……闇雲に庭に播いています。
アイスキャンデーのバーをもらってきて、種を埋めたところにそれぞれ名前を記した標識を建てましたが、標識はわずか半年ばかりの風雨に晒されただけで判読不能になってしまいました。
いまのところ、アケビ以外に芽吹いた様子はありませんが、これでは芽を出してくれたところで、かなり成長して葉を出してくれるまで何がなんだかわかりません。
アケビは漢字で表記すれば通草。草ではないのに、生まれ立てはまだもやしみたいです。
これは摘み菜(ツマミナ)の花。
国語辞典を見ると、摘み菜とは蕪や大根を間引いた葉っぱのこと、と載っていますが、私が購入した種子の袋には「アブラナ科の葉菜」と書かれています。
書店で野菜の図鑑を立ち読みして、「摘み菜」という種類の植物はないことを知りました。そして、蕪も大根も同じアブラナ科であることを知りました。ただ、仲間であっても、蕪の花(黄色)と大根の花(白色)は似ても似つかぬものです。
花の色からすると、蕪なのでしょうか。いずれにしてもアブラナ科なので、菜の花とよく似ています。もしかしたら土中には蕪が育っているのかも。花が終わったら抜いてみようと思います。
最初はおひたしにでもしようかと思って播いたのですが、根が物臭なものですから、葉が出てからは放りっぱなしにしておいたので、雨が降れば泥はねを被って、念入りに洗わなければ食べられぬ有様です。
うーむ、面倒じゃな……と尻込みしているうちに、真ん中から茎がすくすく伸びて、一番の成長株は高さが60センチにもなってしまいました。
咲き始めのルッコラの花です。去年十月末、庭にいろんなハーブの種を播きました。パセリ、セージ、ローズマリー、タイム、レモンバーム、カモミール、オレガノ、チャイブ……等々。
同じ時期に播いた桔梗は途中まで育ったものの、この冬の寒さで全滅してしまいましたが、ハーブ類は辛うじて生き残っている中で、このルッコラだけが異常に成長しました。こちらも、物臭のために、いまでは高さが40センチ。
昼が近づくころ、異様に暖かくなったので、散策に出ました。
しばらく廣壽寺へ行っていなかったので、廣壽寺へ行って……。それから清瀧院の枝垂れ桜の芽吹きの具合を見てから、名都借(なづかり)地区の香取神社を回ってこようと庵を出ました。
最初に前ヶ崎の香取神社に寄ると、小春がいました。こやつと私との関係はいまや「餌」だけで成り立っています。ニャーニャーと私の足許にまつわりついて、うるさいほどの餌の催促。足許をチョコマカと歩き廻るので、何度か踏みつぶしそうになりました。
餌を置くと、いつもどおりがっついています。
地震で参道側に倒壊した燈籠は片づけられていましたが、修復は先のようです。
廣壽寺でも燈籠が倒れていました。
樹齢四百年以上と伝わる清瀧院の枝垂れ桜はあまり芽吹きが見られません。去年、北小金にある東漸寺の枝垂れ桜はここより一週間も早く開花したそうです。今年も遅れをとりそうです。
名都借の香取神社は二度目。去年八月以来です。
鳥居脇にこんなものがあったとは、前は気づきませんでした。
右の石はなんとなく手水鉢のようなので、これも地震のせいで倒壊したものか、しかしこんなところに手水鉢とは?……と首を傾げたら、説明板が建てられていて力石とありました。地震で倒壊したのではありませんでした。
昔々、村の若衆たちがこの石を持ち上げて力自慢を競ったのだそうです。左下は四十二貫(157キロ)、上の小さいものでも三十三貫(124キロ)の重さがあると書かれてありました。下の二つはもともと名都借村にあったものですが、上は隣の前ヶ崎村(先に訪ねた香取神社のある集落)にあったものです。担いで帰れたら譲るといわれた名都借の力自慢が悠然と持ち帰って三つになったというお話。
天気予報では、暖かいのも彼岸の中日まで。今日明日明後日と三日の間に、食べ物、衣料品、石油類……少しでも多く被災地に届けられますように。