昨夕、茨城県北部を震源とする大きな地震がありました。十一日の地震ほどではなかったものの、食器棚がカタカタガタガタ……ガチッガシャッ……と鳴り始めたので、飛んで行って押さえにかかりました。
十一日の地震以来、地震でもないのに身体が揺れているようだったのが、ようやく治まりかけたかなと思うころだったのに、また復活です。
こういう幻覚のような厄介なヤツの正体は、インターネットを視ると、「地震酔い」という症状で、対処方法も紹介されていますが、対処方法を試みたところであまり効果はなく、今日現在、私はいまだに揺れています。
昨夜は仰向けになって寝ているときに、何度か背中が揺れるように感じました。また、地震がきやがったと思って枕許の電灯を点け、見える範囲を見回しましたが、身体で感じたほどの揺れだったのに、天井から下げてある蛍光灯もスイッチ紐も揺れていない。
日中、パソコンの前に坐っているときも、ときどき揺れるのを感じます。またか、と周りを見廻すのですが、コトリと音を立てるものもなければ、柱や鴨居にぶら下げてあって、揺れていいはずのものが揺れている様子もありません。
私が被ったダメージといえばPCモニタだけだったのに、精神的ショックが大きかったのでしょうか。十一日の地震で食器棚を押さえていたときに感じた、なんともいえない気持ちの悪さからも脱し切ることができません。
グラグラと揺れる中で、あ~、なんか、気持ち悪ッ! と感じながら思い出していたのは、昭和五十三年六月十二日のことでした。
この日の午後五時十四分、宮城県沖地震が起きました。
その日のその時間、私は仙台の中心街にある九階建てのビルの最上階にいて、ある経済人にインタビューをしていました。
地震が起きる直前、女性秘書が遠慮がちに入ってきて、インタビュー中の人物にメモを差し出しました。地震が起きた時間から逆算すると、五時五分ごろであったと思います。
人物は「ちょっと失礼します」と私に断わり、秘書を促して部屋を出ました。聞こえませんが、ドアの外で話をしているようでした。
やがて戻ってきた人物は「大変申し訳ありませんが、三十分、いや、二十分だけ中座させてください」といい、「○○さん(私です)にコーヒーを……」と秘書に命じて部屋を出て行きました。
私はその時間を利して、用を足しておこうと立ち上がりました。
部屋から廊下に出ようとした瞬間、強い眩暈に襲われました。同時に、なんとも形容できない気持ちの悪さを覚えました。
廊下には何もなく、照明は天井に埋め込み式なので、揺れるものはありません。地震がきたとは思わないので、コリャ、なんじゃらほいと思い、わけはわからぬが、気づかぬうちにとんでもない病気に罹って、それが発症したのではないか、と思いました。
ふと気づくと、女性秘書が両手で頭を抱えて、しゃがみ込んでいるのが見えました。私に持ってきたのであろうコーヒーカップを載せたお盆とカップが廊下に転がっていました。いろんなところのドアが開き、てんでに人が飛び出してくるころには、病気に罹ったのではなく、大きな地震がきたのだと理解していましたが……。
インタビューは中断されたまま、十五分おきぐらいに秘書がきて、インタビューは日を改めてもらいたいこと、鉄道が停まってしまっているようなので、今夜は(私は)東京には帰れそうもないこと……なのでホテルの手配をしたが、被害を受けたホテルも多く、弊社の寮に部屋を用意したということ……等々。
まだ東北新幹線のない時代でした。私は最終の特急「ひばり」で東京に帰る予定でおりましたが、東北本線は寸断されて不通。復旧したのは翌日午後でした。
地震に見舞われると、このときの光景を思い出すことがあり、なんともいえず気持ちの悪かったことも思い出しますが、実際に気持ちが悪くなったわけではありません。
ところが、十一日の地震当日はとっさに食器棚を押さえながら、実際より遙かに長く揺れるのを感じたとき、三十年も前のことがまじまじと甦ってきて、「あ~、あのときと同じだ」という気持ちの悪さを感じたのです。
当日はしばしば強い余震があり、震源を別にする地震もありました。いずれもパソコンを前に坐っているときか、布団に横になっているときだったので、気持ちが悪くなるということはありませんでした。
もちろん地震の発生ごとに、私が坐っていたか、横になっていたか、何をしていたかを記録しているわけではないので、このあとのことから、多分立ってはいなかったのだろうという想像です。船酔いでも横になれば軽減されるのですから……。
そして昨日の地震―。
とっさに食器棚を押さえに行ったので、当然立っています。そうしたら、またやってきたのです。なんとも表現できぬ気持ちの悪さです。
地震が去ってしまえば、なんということもありません。しかし、治まりかけていた地震酔いが復活しました。
地震酔いに限らず、現在の体調が原因で調子の悪くなる日があるのなら、その状態がずっとつづけばいい、というとおかしいけれど、つづかないので、次の通院のときには、そういう症状が起きた、ということを医師に告げるのを忘れてしまうのです。
で、病院から帰ってきて、「ああ、このことを訴えておくべきであった」と思い出す。
寝不足気味であることも原因の一つかもしれません。身体が揺れたような気がして目覚めることもあり、本当の地震で目覚めることもありますが、ごく普通の目覚めを迎えた日でも、昼間はとくに何も感じないのに、夕暮れが迫ってくると、寝不足だったということがわかってきます。
ふと気がつくと、かなり背中を丸めてパソコンに向かっています。たま~に坐禅をするときは、道元禅師がおっしゃった、ただ坐れ、という教えに背いて、背筋を伸ばそうとして坐るのですが、しばし坐ったあと、以上終わり! と独り言を呟いてパソコンの前に戻ると、いつの間にか背中が丸くなっている。
真冬の間、部屋の中に2メートルほども射し込んでいた陽射しが、太陽の位置が高くなったために、二階のベランダに遮られて、いつの間にか射し込まなくなりました。
気温は高くなりましたが、我が庵はかえって寒く感じられるようになっています。