復活させたばかりの朝の散歩。
今朝も……と、考えていたら、夜明け前の気温は氷点下でした。北国ではあるまいし、四月になってから氷点下を記録するのは観測史上初めて(?)ということになるのではないか。
二十数年前、桜が咲いたのに雪、それもかなりの積雪を見る、てぇことはありましたが……。
朝の散歩モードに入っていたギアを元に戻すより先に、身体はギシギシと音を立てて軋んでいます。
この寒さは昨日が好天だったので、放射冷却現象が起きたのと昨日の午後から今朝未明まで北寄りの風に変わったためです。
今日は清明。
万物が清々しく明るく美しいころ、と定義されていますが、晴れているので明るいことは明るいが、寒いのと清々しいのとは違うだろうと、毒づいてもしょうがない天気に毒づいていたら、昼が近づくころからは字面にピッタリの陽気になりました。
我が畑のほうれん草です。プロ用の種ではなかったためか、バサッと開いてしまうので、葉を一枚ずつ鋏で切りながら収穫します。
竹ざるを脇に置いて、料理鋏片手にチョキチョキと……。朝はおひたしにし、昼はカリカリに焼いたベーコンを熱々になったサラダオイルごとザバッと振りかけて食べました。ベーコン云々は昔々キリンシティというビアホールでよく摘んだメニューです。初めて収穫、初めて食べましたが、味は……とくに悪くない。
昼が近づくころから気温がグングン上がり始めました。連れて、朝のうちはノッキングばかり起こしていた我が身も動くようになりました。
昨日もわりと暖かかった(でも、我が地方では平年並み以下)ので、二日前の日曜日はまったく咲いていなかった清瀧院の枝垂れ桜も咲いているだろうと、観に行くことにしました。その前に本土寺参道の桜を……。
本土寺参道の桜です。昨朝、初めて観たときは一分咲きだったのに、一日半で四分咲きから五分咲きです。
土筆(ツクシ)がありました。富士川べりで。
そろそろ土筆の季節だと思い、数日前から富士川を歩くときには気をつけていたつもりですが、見逃していたものかどうか……今日初めて気がつきました。
一昨年は三月三十日、流山の江戸川堤を歩いたときに、すでに多くが杉菜に変わっているとブログに記しています。やはり今年の春は遅い。
流山市前ヶ崎・香取神社の桜。
神社の杜に囲まれているので、太陽の恩恵を受けることが尠ないようです。よって、まだ一分咲きにも到っていませんでした。
家の中にいると寒いものだから、出かける前はしばらく庭に出て様子を見ます。その結果、冬のコートをジャンパーに替えて、スヌードも手袋もせずに出ました。
陽射しは燦々と降り注いでいるので、少し歩くと汗をかきます。しかし、庭で様子を見ていたときより風が冷たい。私にはまだスヌードと手袋が必要でした。
今日もうさ伎(うさぎ)は姿を見せなかったのに、小春メだけはおりました。
おやつを置かぬうちはいつも前に回って、私が立ち去らないように通せんぼをします。キミにあげようとわざわざ寄り道しているのだから、おやつを与えることなく去るわけはないのに……。
梨の芽。前ヶ崎の台地には各所に梨園があります。つい先日まで伸び過ぎた枝の剪定が行なわれていました。
清瀧院の枝垂れ桜です。
二日前はまったくといっていいほど花がなく、花見客も私一人でした。一方、東漸寺のほうは満開に近い状態だったので、大勢の花見客。
好対照でしたが、今日は平日だというのに、東漸寺がそのまま清瀧院に引っ越してきたか、と思うような盛況ぶりでありました。
参道入口にある民家で、ミックスらしい白い犬が飼われているのですが、いつも私が出入りするたびに、ワンワンキャンキャンとうるさいので、枝垂れ桜の季節がきたらどうするつもりか、と危ぶんでいたところ、人が出入りするたびにワンワンキャンキャンとうるさいのは変わらない。
今日もときおり風あり。風鐸(ふうたく)がカラン、しばらく時を置いて、カラン、といい音(ね)を響かせていました。
三好達治(1900年-64年)さんに「甃(いし)のうへ」という詩があります。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂(ひさし)々に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうえ
二十四節気をさらに三つに分けた七十二候では、今日から九日までの清明初候は、玄鳥至(げんちょういたる)といって、燕が南からやってくる季節、ということになっていますが、まだ姿を現わさぬようです。