白っぽい桜が咲いているのを夢に見ました。
夢の主題は桜ではなかったのですが、これはなんという桜で、どこに咲いているのだろう、と夢の中で思っていた記憶が残りました。
しかし、今朝は夢の余韻に浸っている余裕はないのでした。血液検査のために通院しなければならなかったからです。
五時過ぎに目覚めましたが、朝は相変わらず食欲が湧きません。グダグダ過ごしているうちに、そろそろ服を着なければ……という時間になり、通院のあとはどこかへ行くかという気分になるかもしれないので、昨日のうちにつくっておいた、ゆかりと鱈子の握り飯、それに辻利の緑茶ペットボトルを鞄に入れました。
握り飯は、起きたときに腹が減っていれば食べて、昼は外食にしてもよいと思っていたのですが、食べる気になりませんでした。
六時五十分に家を出るときの気温は9度と暖かい。とはいえ、私には依然として両肩のあたりが嘘寒く感じられるので、充分な暖かさとはいえません。
天気は、晴は晴だが薄雲がかかっているような弱々しい陽射しです。予報ではかなり暖かくなりそうでした。何を着て行こうかと逡巡しているうち、時間がなくなって、結局腹には何も入れずに出動となりました。
この一週間、鉄分増量剤を服んでいたおかげか、血色素数、ヘマトクリットなどは基準値に戻っていました。また四週間後に通院です。
診断結果に特段の問題はなかったのですから、喜ばないまでも落胆する要素は何もないのです。しかし、薬をもらって、今日のお勤めも終了という十時過ぎ、すっかり疲れてしまっていました。上野公園の桜……とも思ったけれど、春日通りを下って帰る間にその気も失せて、湯島駅の階段を降りてしまいました。入ってきた電車は運良く常磐線直通だったので、何かを考えるいとまもなくすんなりと乗車。
電車が下車駅の北小金に近づく直前、車窓を過ぎ去って行く桜の花を眺めているうち、ふと夢の中に白い桜の花が出てきたことを思い出し、すぐに大勝院の山桜を思い浮かべました。
真言宗豊山派の寺院にある樹齢七百五十年といわれる古木で、北小金駅からだと歩いて十三分ほど。我が庵からだと十七分ほどかかるところにあります。
新松戸に棲んでいたころはちょくちょく行っていたのに、北小金の住人となってから、なぜだか訪ねるのが間遠になっていました。距離はほとんど変わらないというのに……。
かつては参道であったと思われる300メートルほどの道を進むと大勝院の山門です。去年十二月なかば以来、四か月ぶりの訪問。
山門左にある染井吉野。
樹齢七百五十年といわれる山桜です。
主幹は人間の背より少し高いあたりで立ち枯れて、左上方に枝が伸びているだけです。
去年は四月四日に、あんず通りへ杏(アンズ)の花を観に行くついでに立ち寄って、花が咲いているのを観ていますが、今年は開花はこれから。夢に出てきたのはこの花ではなかったようです。
大勝院の風鐸(ふうたく)。
枝垂れ桜がある清瀧院と同じ真言宗豊山派の寺院であるからか、風鐸も同じ飛鳥型です。夕方、少し強い風が出ましたが、私がいたときには風鐸を鳴らすほどの風には恵まれませんでした。
例によって歴住の墓所にお参りさせてもらいました。ここはどれも無縫塔ではありませんでした。真ん中が開山和尚の墓石と思ったのですが、示寂の年を見ると、享保十五年(1730年)と彫られていました。
右側にもっと古そうな墓石がありますが、文字はまったく読み取れません。
このお寺は天文六年(1537年)の開創とされています。実際はもっと古く、柏市の廣池学園の敷地となっているところにあったのですが、大谷口城の築城とともに現在の土地に移ったのが天文六年。門前に置かれた「大勝院の由来」という石盤にも、それ以前の歴史は記されていません。
珍しい樹を見つけました。一本の幹に咲いているのに、白、紅、ピンクと三色の花があるのです。樹高は高いものでも3メートルほど。
東洋錦という木瓜(ボケ)で、人気の高い品種なので各所で見られるとのことですが、私は初めて見ました。墓所の周りに数本ありました。
よくよく見ると、白い花には紅色の筋が入っているもの、ただ白いものと多種多様な色です。
大勝院のある丘はかつて大谷口城があった一画です。直接行くことはできませんが、裏手が大谷口歴史公園になっていて、城跡の一部が保存されています。
山門前の急坂を下り、城址を半周して、まてばしい通りに出ました。我が庵に帰るためにはもう一度台地を上らなければなりません。
台地を上り終えたあと、民家の庭先でまた一本の幹から紅白二種の花を咲かせている樹を見つけました。こちらは梅の仲間のようでした。
本土寺近くの苺園では苺の直売が始まっていました。ところどころにある無人の野菜直売所にも苺が出ています。
ここでは1パック700円、デラックスパック1500円とあります。どれぐらいの大きさなのか、見てみなければなんともいえぬが、と思いながら、今日は野次馬根性が出るような心理状態ではなかったので、素通りしました。近いので、機会があればレポートすることにします。
家に帰ったのは十二時過ぎでしたが、握り飯は結局手を着けることなく持ち帰ることになりました。辻利も薬ができるのを待っている間にひと口口をつけただけです。
※このブログを開設して二年半。前に較べれば多少は解像度の良い画像を載せられる方法があることに気づきました。代わりに画像が大きくなってしまうので、読みにくくなったかもしれません。いつまで経っても満足するものができません。