流山七福神の一つ・弁財天が祀られている成顕寺から大堀川沿いに十五分ほど歩き、新橋という橋で川を離れて、緩い上り坂を上って行くと、前方に交通量の多そうな道路が見えてきました。そろそろ目指す西光院へと曲がる道があるはずだが、と思った路地の入口に案内標識を見つけました。
ははぁ、こういうことなら柏市文化財マップに載っていたなと思ったのですが、あいにくこの日は携帯していませんでした。
路地の入口から山門前まで150メートルほどあります。私が入ったのとは逆方向から向かうのがメインの通路らしく、帰る人やこれから参ろうとする人影の行き来しているのが見えました。
帰ってから調べたのですが、西光院というこのお寺の由来はまったくわかりません。山門脇の石柱によって真言宗豊山派の寺院だと知れるだけです。
山門横に説明板が建てられていたので、万事において説明の行き届かないことの多い柏市にしては珍しやと思って近づいてみたら、篠籠田の三匹獅子舞の説明に終始していて、お寺については何一つ触れられていませんでした。重要なのは獅子舞であって、お寺のことはどうでもいいようなのです。
獅子舞を奉納するというのは利根川流域に数多く見られる風俗で、松戸にも流山にも残っていますが、奉納されるのは大部分が神社であって、寺院というのは珍しいようです。
篠籠田と書いて「しこだ」と読ませるのも、いわく因縁があるように思わせますが、インターネットで調べた限りではどのようないわれなのかわかりません。
角川書店の日本地名大辞典によると、大治五年(1130年)、下総権介だった平経繁という人が伊勢皇太神宮に寄進した土地の南限の地名として「志子田」という名が出てくるのが初めのようですが、志子田がいつごろから篠籠田と転ずるようになったのか、いまのところは何もわかりません。
牡丹(ボタン)の見ごろなので、そこそこに見物客はいるのだろうと想像してきましたが、私の想像を上回るほどの人出でありました。
境内にはたこ焼きと地元産野菜の露店が出ていましたが、私がいた間、営業成績はあまり芳しくなかったようです。
西光院の風鐸(ふうたく)です。先に見た正満寺と同じく、こちらも飛鳥型の変型。
本堂の左手から後ろにかけて墓所と庭園があり、無数の牡丹が咲き誇っていました。
とりあえず花々をカメラに収め、図鑑で名前のわかる花があれば……と思ったのですが、ひと口に牡丹といっても、たとえば福島県にある須賀川牡丹園のホームページを見ただけでも百五十種以上あります。
にわか牡丹評論家の手に負えるものではないので、数多く写したカットの中から、花が瑞々しい上に、カメラのピントがきているものだけを選んで載せることにしました。
牡丹のみならず紫陽花(アジサイ)の花でも著名なスポットだそうです。
本堂裏にはひっそりと佇む大師堂がありました。
日本では牡丹の栽培は八世紀ごろから行なわれていたというのが通説のようですが、弘法大師が中国留学から帰朝するとき(806年)に持ち帰ったという説もあるそうです。
大師堂の後ろも牡丹園で、こちらのほうが広く、花の数も多いのですが、「→大師堂」という標識しかなかったためか、足を延ばす人は数少ないようでした。
西光院を出て、くるときに上ってきた坂を大堀川まで下ります。川を挟んで向こう側に当たる台地を上り詰めたところに聖徳寺がありました。
門柱によって西光院と同じ真言宗豊山派の寺院とわかる以外は何もわかりません。
西光院にせよこの聖徳寺にせよ、歴史がないはずはないので、松戸市内や流山市内であれば、どんなお寺なのか、形ばかりとはいえ、説明板の一枚もあるのですが……。
帰りは再び大堀川沿いの遊歩道を歩き、豊四季駅まで戻って電車に乗りました。