冬が舞い戻ってきたか、と思うような日がつづいたあと、昨日は今年初めて真夏日になりました。
昨八日は薬師如来の縁日でもありました。今月は縁日がようやく日曜日と重なったので、柏の布施薬師堂へ行くことに決めていました。
今年一月、布施弁天へ行ったとき、薬師堂があるのを見つけて、いつか縁日の日にお参りにこようと考えていたのですが、柏か北柏からこの薬師堂へ行くバス便は一日五便しかありません。日曜日と重なるのを待ったのは、土日に限ってバス便が一時間に一本と数が増えるからなのです。
北小金から常磐線で三つ目、北柏で電車を降りました。この階段を降りてきて目の前の道路を渡ると、布施弁天行のバス停があります。
終点までは行かず、一つ手前の寺山坂下という停留所で降りました。
バスを降りるとすぐ左手に四つの御堂が見えます。入口に近いほうから不動堂、大師堂、大日堂、そして薬師堂です。
この日、薬師堂は扉が閉じられていました。一月にきたときは扉が開けられていて、暗いので定かではなかったけれども、厨子の中に三体の立像が祀られているのが見えました。
薬師堂の前には香炉がなかったので、扉の開いていた大師堂の香炉に焼香しました。
お寺を巡るときは八十本ほどのお線香を一束にしたものを携帯することにしていますが、うっかりして忘れてしまうのがライターです。煙草を吸っていたときは持つのが当然だったので、持ったかどうか、改めて考えてみることもなかったのですが、煙草をやめたあとは、改めて意識しなければ忘れてしまいます。
それでも、線香は持ったのにライターを忘れるというボケをいつも繰り返し、その都度駅の売店で買う始末です。この日も電車に乗ったときにライターを忘れていることに気づいて、北柏の売店で購入したのです。こうして煙草を吸わないのに、百円ライターが着々と貯まって行きます。
庵には阿弥陀如来が祀ってあって、時に応じて水をお供えし、焼香するので、ライターは必需品ではありますが、着々と貯まって行くと、置き場がありません。
薬師堂から布施弁天東海寺まではほんの二~三分です。
文化九年(1812年)建立の楼門・最勝閣。
開創は弘法大師といわれますから、千二百年も前のことですが、伽藍は戦火に遭ったりして何度も焼けていて、本堂は享保二年(1717年)の再建。
堂内は撮影禁止とありました。その注意書きに気づいたのはこの扁額を写したあとでしたが、この扁額も堂内ということになるのでしょうか。
本堂のある丘と相対峙するような小高い丘(亀山と呼ぶようです)があって、そこには妙見菩薩を祀る妙見堂がありました。
布施弁天のある一帯はあけぼの山農業公園でもあります。一面の菜の花と雛罌粟(ヒナゲシ)の花畑が拡がっています。
蓮池には蓮と睡蓮があるそうですが、画像は両方とも睡蓮。
蓮と睡蓮はよく似ているので、素人にはどっちがどっちだかわかりませんが、見分ける方法はいくつかあるのだそうです。
その一つが葉に切れ込みがあるかないかということ。切れ込みのあるのが睡蓮、ないのが蓮とのことです。よって、これは両方とも睡蓮。花を管理しているおじさんが教えてくれました。
前にきたときには回っていた風車ですが、この日は止まっていました。
利根川の堤防が間近に見えたので上ってみましたが、川はまだまだ先(水辺までは800メートル以上)で、川面を見ることもできません。
真っ直ぐ行ける道もないようだし、帰りのバスの時間も迫っていたので、行くのは断念。
今年の二月なかば、柏市立高校へ行ったときも北柏駅を通ったので、妙蓮寺(日蓮宗)と東陽寺(真言宗)という二つの寺院を巡りました。今回も北柏駅の一つ手前のバス停で降りて、両寺を巡ることにしました。
妙蓮寺に寄ったのは、ただただ無患子(ムクロジ)の樹があるからです。
我が庵近くの民家に植えられている無患子は去年の実をつけたまま若葉を繁らせていますが、こちらはすっかり実を落としていました。
妙蓮寺から東陽寺までは150メートルほど。
北柏駅までほど近いのに、両寺とも所在は我孫子市です。東陽寺にはホームページがありますが、お寺の由来については何も書かれていません。少なくとも明治七年、このお寺を仮校舎として根戸学校が開校しているのですが……。