鎌倉に棲む知人から「長谷寺のサルスベリ(百日紅)が満開です。桔梗も咲いています……」という残暑見舞いをもらいました。
この人と知り合いになったのは私が浅草の住人だったころ、隅田公園の花見に興じた日でしたから、十年越し……ということになります。
いつだったか寒中見舞いをもらいましたが、私は返事を出したかどうか……。何年も暑中寒中見舞いのたぐい、年賀状のたぐいをもらっていなかったのに(私のほうでも出しませんでしたが)、去年、いまの住まいに転居したので、葉書を出しておいたら、思い出したように花の便りをくれたのでした。
花の便りをしたためてくれたのには伏線があります。
毎年毎年春がきて、ハナカイドウ(花海棠)の咲く季節が近づくと、今年こそ鎌倉の光則寺に花海棠を見に行こうと思いながら見に行けない。
隅田公園で知り合ったときに、そんな話をしたからです。
ごみ出しに出た朝、近所の事情通にバッタリと出会ったので、鎌倉の百日紅が満開らしいと話すと、鎌倉の百日紅は見たことがないが、松戸にも名だたる樹があるらしいのですよ、という話を聞くことになりました。
名だたる樹があるのは本法寺という日蓮宗の寺で、松戸市内の巨樹古木を紹介する市のホームページに載っているということなので、早速覗いてみると……。
市の保護樹木になっていて、樹高は4メートル、幹周り1・6メートルとありましたが、樹齢の記載はありませんでした。
場所は和名ヶ谷(わながや)という市の南東部で、武蔵野線の東松戸か、東松戸で北総鉄道に乗り換えて一つ目の秋山が最寄り駅。我が庵から行こうとすると、二回もしくは三回の乗り換えを強いられるので、ちょっと不便です。
松戸市内の寺は大体巡り終えている私ですが、南東部と南西部には行っていないところが残っています。それもこれも我が庵からだと交通の便がいま一つであるため。
これまで行ったことのないところなので、ヒントをもらったからには早速行ってみたいと思ったのですが、まあ、ともかく連日の暑さで、その暑さの中を出かけて行くのはちょっとばかり腰が引けてしまいます。しかし、暑い盛りに咲く花なのだから、暑い盛りに見に行くのが道理なのではないか、と思い直して腰を上げました
今年は熱中症が猖獗をきわめているので、近くのスーパーへ買い物に行ったとき、「おお、そうじゃ」と思って売場に行ったのですが、テレビCMで視た「しろくまのきもち」というネッククーラー(サマースカーフ)は生憎売り切れでした。
ところが、違うメーカーのものがふんだんに並んでいたので ― 一方が売り切れなのに、別のメーカーのものはふんだんにあるという現象は「?」と疑ってかからねばならないのですが ― 「あったあった!」という悦びのあまり、買ってしまったのです。悦んだのは「しろくま」より断然安かったからでもあります。
水を入れた洗面器に浸すと、中に仕込んである物質が水を吸ってふくらみ、それを首に巻けば、ひんやり涼しく感じるという代物。で、買ってから二度三度使いましたが、どうにも涼しいとは思えない。暑い盛りの今日のような日こそ最適な出番なのですが、効き目はなさそうです。
安物買いの銭失い、とは、こういうことです。 代わりに冷凍庫で凍らせた保冷剤を手ぬぐいで巻いた手製のネッククーラーをこしらえました。
そのことはともかく、東松戸駅で降り、駅舎の日陰になっているところにしばしたたずんで、首に手製のネッククーラーを装着して歩き出しました。
駅を出ると、しばらくはただただだだっ広いだけの道がつづきます。宅地造成に向けてつくったような道路ですが、家があるのは道の北側だけ、南側は空き地か野っぱらが延々とつづいていて、強烈な陽射しを遮ってくれるものがありません。
遠く近くに丘が見えて、そこには樹が繁っているようですが、大雑把にいえば、およそ木陰とは無縁の町でした。
道は途中から細くなって、下り坂になります。一応舗装されていますが、昔ながらの農道のようです。
坂を下り切ったところ、国分川が流れていました。
川を渡ると、前方に小高い丘が見え、木立の中に寺院と思われる大きな屋根が見えてきました。目指す本法寺です。
東松戸駅をあとにして、二十六分で着きました。
境内にある本法寺縁起によると、大同二年(807年)、弘法大師が巡錫して通源寺を創建したのが始まり。建治三年(1277年)、時の住職が日蓮聖人の直弟子・日頂聖人の説法に感銘を受けて、日蓮宗に改宗、名を本法寺と改めました。
サルスベリ(百日紅)がありましたが、圧倒されるような高さでもありません。猛暑を突いてわざわざ行ったのですから、ちょっとがっかりでした。
暑い中を折角出かけてきたのですから、少し足を延ばしてみようと考えて、行きに渡ってきた国分川河畔に降り、下流に向かって歩いてみました。
本法寺から二十分以上歩いて、胡録神社へやってきました。去年、バスで通りすがりに窓から眺めたことがあったのですが、そのときは、奥に見える石段が随分高いように思えたのですが、改めて眺めてみると、それほどでもなさそうです。
しかし、鳥居をくぐって徐々に近づき、石段を目の前にすると、やはり高い。いつごろつくられたものなのかわかりませんが、高いだけでなく、石段がところどころずれたり傾いたりしています。
恐る恐る上って拝殿前に着きました。慶長元年(1596年)、徳川家康の家臣で小金城にゆかりの秋山越前守虎康が戦死者を弔うために出家し、このあと訪れる本源寺を開山しますが、その際、この地の守護のため、大六天を祀った祠がこの神社の発祥といわれています。
胡録神社の参道に並んで、本源寺の参道がありました。日蓮宗の寺。
境内に入ると右手に幼稚園がありましたが、夏休み中なので静かなものです。
近くにはこんな住居がありました。一階が駐車場、二階が居室になったアパートのようですが、なんとなくかつては厩(うまや)だったのではないか、という気がしたのでカメラに収めました。
これも由緒がありそうな家 ― 大きな門です。
胡録神社の参道前に京成バス(松戸駅~市川駅)の停留所がありましたが、時刻表を見てみると、バス便は一時間に二本しかありません。
一つ先 ― 大橋という停留所まで歩けばもう一系統ふえるので、歩くことにしました。
こうして昼を過ぎたころには北小金に帰ってきてしまったので、北小金駅から徒歩二十分ほどのところにある寶蔵院のサルスベリを見に行きました。
枝ぶりは本法寺のものと較べて遜色ないように思えます。ただしこの寶蔵院があるのは流山市。
私が持っている歳時記を見ると、サルスベリの花の色にはピンク、紫、白と三種があるようです。
紫はどこかで一本だけ見た記憶がありますが、それ以外には見たことがないので、本当に見たのかと自問し始めると、幻であったのかもしれぬ、という思いがしないでもありません。それに、「どこか」というのはどこであったか記憶がないのです。ピンクには画像のように濃い色と薄い色があるので、濃い色を紫といっているのではないかという気もします。
白色はいろんなところで目にしたつもりでしたが、いざカメラに収めようと思って捜すと、なかなかありません。やっと見つけることができました。
本土寺の参道は蝉時雨でした。暑いので、観光客はむろんのこと、買い物に行ったり、もろもろの用だってあるであろう地域住民の姿もありません。