桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

我孫子志賀直哉邸探索

2010年10月21日 07時50分58秒 | のんびり散策

 將門神社の帰りです。「猫町」をあとに台地を下って行くと、手賀沼が見えてきます。
 沼畔の遊歩道と並行して走る道路まで下り切ると、入口にあったのと同じ「将門通り」の標識がありました。道路の向こう側には龍光院の案内板も建てられていました。



 ハス(蓮)の群生地を見たあと、遊歩道を歩かず、この道に引き返していれば、恐らく龍光院の案内板を目にしたのに違いないので、回り道をする必要はなかったのです。
 そろそろかな、と思って遊歩道を離れたときは、すでにこの標識の遙か彼方を歩いていたので、目印になるものには遭遇しなかった、というわけでした。
 しかあれど……回り道をしていなければ、將門神社に辿り着いたあと、きた道をそのまま引き返していたのに相違ないので、辨榮(べんねい)聖者の石碑を見ることもなく、聖者がこの地で生まれたということも知らずにいたのに違いなし、と自分を慰めました。
 そしてもう一度しかあれど……この標識を目にした瞬間、ドッと疲れが襲ってきました。

 我孫子の一駅先・天王台にも將門にまつわる柴崎神社があるので、帰りに寄るつもりでいましたが、地図を元にアバウトな計算をしてみると、およそ一時間は歩かねばならないとわかって、完全に意気阻喪。
 しかし、このまま帰るとしても、我孫子駅に戻るバスの停留所を捜さなければなりません。

 周りは平坦な田圃地なので、くるときにバスを降りたスポーツ広場入口あたりを視界にとらえることはできますが、結構距離があります。それに、少し腹も減ってきました。
 バスが手賀沼を渡り切ったあたり、確か何か施設があったなと思い起こして、同じ歩くのであればと、橋のたもとまで行ってみることにしました。



 道の駅・しょうなんがありました。
「しょうなん」とは、湘南に非ず、沼南です。手賀沼の「南」という意味で、柏市と合併して消滅してしまいましたが、かつては沼南町がありました。
 左が野菜の直売所、右奥にレストランがあります。ちょうど昼時だったので、レストランは結構混んでいました。人の多いレストランで食べるより、手づくりの梅干しを使った、と謳う握り飯とお茶を直売所で買って、手賀沼の風に吹かれながらの昼食と相成りました。
 車でやってきている人は段ボール箱をかかえ込むほどの野菜を買って行きます。私は昼食のほかにトートバッグに入る程度のささやかな量で、しかも重くない果物と葉物の野菜を選んで買いました。

 食事を終えると、脚の疲れもやや治まり、元気も恢復しました。
 バス停が見当たらないこともあって、ひとまず手賀大橋を歩いて渡ることにしました。
 橋を渡っている途中で、去年手賀沼の北岸を歩いた帰り、志賀直哉さんが住んでいた家の跡を訪ねたのに、道を間違えて辿り着けなかったことを思い出しました。



 我孫子市役所近くの若松交差点に建つ志賀直哉邸跡などの所在を示す案内板。ここまできて、志賀邸を訪ねることにすると、結局、我孫子駅までは歩くことになりそうです。



 去年はこの二股で迷った末、志賀さんなら山の手だろうと軽率な判断を下して右手の径を上った結果、志賀邸には辿り着けなかったのです。
 去年きたのは七月中旬の猛烈に蒸し暑い日でした。あまりの暑さに、選択すべき道を間違ったとわかっても引き返す気にならず、気息奄々となって駅まで歩いたことを思い出しました。
 大体、先の案内板のあるところから志賀邸跡まで800メートルもあるのに、途中には標示が一切ない、というのがおかしい。

 


 瀧井孝作仮寓跡という標識がありました。松戸周辺にある城址へ上るような径を上り切ると、ここで代表作の「無限抱擁」が書かれたという説明板が建てられているだけで、名残は何もありません。
 瀧井孝作(1894年-1984年)は志賀さんに出会って小説家を志した人であり、我孫子に住んだ(わずか一年だけ)のも、志賀さんを追いかけてきたからです。そのあと、京都~奈良へと志賀さんが移り住む先を追いかけています。

 この先、志賀邸に到るまでに、またどっちだろうかと逡巡させる二股があります。そこにも案内板はありません。志賀邸は沼畔だったと決めたからには徹頭徹尾下の道と決めて歩きましたが、それらしきものが現われません。



 また道を間違えたのかもしれぬ、とガッカリし始めたとき、ひょっこりという感じで現われました。



 移築された書斎だけが遺されていました。
 志賀さん自身が描いた見取り図によると、画像の中央の空間が母屋のあった跡で、書斎が移築されたところには物置があったようです。



 志賀邸前にある白樺文学館。月曜日だったので休みでした。



 志賀邸から300メートル。杉村楚人冠(1872年-1945年)邸跡。いまは緑南作緑地という公園になっています。
 朝日新聞「天声人語」の名づけ親はこの人。縮刷版を発案したのも、いまのインターネット検索システムに当たるものを発案したのもこの人。

 我孫子駅に到る途中、白樺派のカレーを売っている店を見つけました。レトルトパックに入っています。が、レトルトなのに525円とバカみたいな値段だったので、買うのはやめました。
 私が非常食用を兼ねてサティで買うビーフカレー中辛は88円。この値段でも充分に美味いのです。



 道の駅・しょうなんで野菜と一緒に求めたアケビ(通草)。



 瀧井孝作仮寓跡で拾った栗と志賀さんちで拾ったカクレミノ(隠蓑)。

將門神社~志賀邸跡~我孫子駅というこの日の行程でも、佐倉探訪につづいて道を間違えた結果、二万歩も歩いてしまいました。


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1 コメント

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Unknown (にゃん)
2010-10-21 10:25:21
我孫子まで行ったなら 駅ナカの立ち食い蕎麦の唐揚げそばを食べてほしかった…
テレビでも紹介されて かなり有名なんですよ
その昔 山下清が働いていたとゆう 立ち食いでも有名です
次回は 是非食べてみて下さい
ちなみに 唐揚げは 持ち帰りも出来ます
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