桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

でんでんむし

2010年09月14日 23時05分45秒 | 風物詩

 十三日夜半、雷雨がありました。先日の台風のとき以来の豪雨でした。そのときの泥はねをスプレーで洗い落としたのに、我が庭の植木類はまた泥はねを被って大変なことに……。



 先日、オイチ一家がひそんでいた車の下に、今朝は一匹だけ仔猫殿がいました。残りの二姉妹は近くにはいないようでした。この前、一匹だけ出てきてミオを食べてくれた江(ごう)と同じ三毛ですが、色のついた被毛の面積が広いようなので、べつの仔猫殿です。茶々か初か。
 ミオを置きましたが、少し離れたところに坐り、鼻を上げて匂いを確かめているだけで食べようとしません。
 目(左目)を病んでいるようです。診せてもらったところで私にはわかりませんが、どんな様子なのかと思って手を差し延べようとすると、奥へ飛びすさって、「シャーッ」という威嚇の声を上げました。
「おぢさんになんの魂胆もないということがわかっていないな」
 そう呼びかけたあと1メートルほど離れると、やっと車の下から出てきて、食べてくれました。



 オヤ、露伴先生。
 我が庵のある本土寺の高台から富士川に向かって降りて行く石段で、こんなものを見つけました。マンション住まいでベランダに植木を置いていたころ、背負った貝の直径が1センチ程度のものはよく遊びにきていましたが、これは3センチ近くもある大型でした。

 柳田国男先生によれば、でんでんむしとは「出ろ出ろ」の訛り。蝸牛(カタツムリ)の「カタ」は笠、「ツムリ」は粒のこと。幸田露伴先生は何度も住居を変えたことを、カタツムリになぞらえて、自宅を蝸牛庵と呼んだのでした。



 その石段の降り口に五輪塔が建っています。
 新しそうなので、前に見たときは降り口に建つ家の装飾の一種かと思いましたが、よくよく見ると、建っている敷地は共有地のようです。最下部に梵字が彫られているだけで、ほかには文字はないみたいです。



 今朝の空です。
 富士川親水広場では私が通りかかるちょっと前まで太極拳の集まりがあったようでした。私より数歳年配らしい男女二十人ぐらいが自転車に乗ったり、歩いたりして帰って行くところでした。歩いている人の中にカタの練習をしている人がいたので、太極拳だとわかりました。
 今度はもう少し早い時間にきてみることとしましょう。

 平賀川と上富士川の合流点に架かる仲田橋まで行って鍵型に曲がり、高台に上って行く坂道を上ります。前夜の雷雨のせいで、川はいつになく水嵩が増していました。



 早い流れが治まるのを待っているのか、カルガモが日光浴をしておりました。

 坂を上り詰める寸前で目を挙げると、いつの間にか若い女性四人が現われて、私の前を歩いていました。腰の位置が高い後ろ姿から想像して、日本人ではないようです。
 私が歩いていたのは朝七時です。
 時間から類推してショーパブ(北小金に一軒あります)勤めの帰りとは思えません。かといって、彼女たちの働けるような職場がその先近くにあるとも思えません。どこから現われてどこへ行こうとしていたのか。不思議です。
 女子中学生たちも数人いました。歩き方を見ていると、みんな生気がない。



 無患子(ムクロジ)の樹があり、寶蔵院があるあたりは流山市前ヶ崎です。キャンプ場などという洒落た施設があるのも同じ前ヶ崎。流山市は土地に余裕があるのか、芝生を張った野球用グランドまであります。

 無患子の樹のある坂を下って帰ろうとしたら、20メートルほど下った道ばたに青い実がパラパラと落ちているのを見つけました。無患子の実です。
 下り坂ゆえ、転がり落ちてきたものかとも思いました。落ちていた実の一つを拾って道路の真ん中に放ってみました。いかに下り坂とはいえ、ポーンと放るだけでは転がることは転がっても、とても20メートルは転がりません。無患子の実は丸いように見えて、真ん丸ではないからです。



 と、いうことは……と思って見上げると、ここにも無患子がありました。樹高は10メートルもありません。実は数えるほどしかつけていませんが、間違いなく無患子です。
 最初に見つけた樹の子どもに当たるのか、どこからか飛んできた種子が芽生えたものか。
 葉の形は椎(シイ)の樹と似ているので、遠目で見る限りはよくわかりません。一本だけではなく、もっとあるような気もします。しかし、そこらじゅうにあり過ぎると、希少価値ではなくなってしまいます。

 いつの間にか朝の散策は自然に富士川方面を目指すようになり、夕方から夜にかけて散策に出るときは本土寺方面になりました。一度、暗くなってから富士川河畔を歩いたのですが、見事に真っ暗で、道路面の凸凹が見えず、何度もけつまずいてひっくり返りそうになり、以来、夜は歩かないことにしました。

 本土寺のほうを歩いていると、車に混じって、結構な数の勤め帰りの人々の自転車が通ります。畑が多く、見晴らしがよいので、まったく異なる道を走って行く前照灯がまるで蛍でも飛んでいるように見えます。
 富士川河畔とは違って街路灯はありますが、申し訳程度の明るさしかありません。暗闇からいきなり無灯火の自転車が飛び出してきてびっくりすることがあります。

 この田舎モンが!! そう怒鳴りつけたら、まだ若い男のようでしたが、「危ねぇじゃねぇか、バーカ」と叫んで飛び去って行きましたが……。

 ヘン、田舎モンが利いたふうな東京弁を使いやがって。
 無灯火は道路交通法違反というだけではなく、最近では自転車で殺人罪、賠償額は一億円、という事例も出ているのに、田舎モンは新聞は読まず、テレビは視ていてもバラエティ番組専門で、ニュースは視たことがないらしい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古河を歩く(2)・古河公方館... | トップ | 雨上がり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

風物詩」カテゴリの最新記事