茨城県石岡探訪の〈つづき〉です。
まあ、それにしても暑い暑い一日でした。病院で診察を受けたあと、突如行く気になって電車に乗ったので、一か月分の薬の詰まった手提げの紙袋がわずらわしくて仕方がない。嵩張るけれども重くはないので、コインロッカーに入れるという智慧が働かず、邪魔くさいと感じ始めたときにはコインロッカーなど見当たらぬ地域を歩いていて、結局一日じゅうぶら下げたまま歩くはめに……。
まちなかの登録文化財。観光案内所でもらったガイドマップです。
駅前通りを歩き始めて、最初に見つけた古そうな建物です。真ん中は空いていますが、お菓子屋さん(右)とバーらしき店(タウンページで調べたらパブでした)が入っています。ガイドマップには載っていないので詳細はわかりません。
国分寺跡に到る道筋にあった建物。こちらもガイドマップには載っていない。石岡食糧企業組合とありますが、すでに閉鎖されて使われてはいないようです。
同じ並びにあった商家ふうの建物と左手の四脚門。門に掲げられた看板には「居合道剣道指南青柳道場」とありました。
以下は「まちなか」と呼ばれる地区です。十一棟の登録文化財(建物)のうち、九棟を撮影しました。
石岡市は昭和四年三月十四日夜、市街地の三分の一を焼くという大火に見舞われています。おりからの強風が禍して、六百六戸が全焼。類焼は二千戸、被災者は三千人といわれる被害を出しました。幸運にも類焼を免れた一軒を除いて、すべて大火のあとに建てられたものです。
昭和五年建築の十七屋履物店。大火のあと、この地区で最初に再建された建物であり、「看板建築」と呼ばれる建築様式の先駆けといわれています。
※「看板建築」とは何か? 受け売りではありますが、このブログの最後に私的解説を載せておきました。
ここは三軒並んでいます。上は福島屋砂糖店。昭和六年に建てられた砂糖問屋です。画像ではわかりませんが、壁は土壁漆喰造りではなくコンクリートです。木造の土蔵造りでコンクリートの壁というのは非常に珍しいそうです。
下は前の十七屋履物店の画像では右に写っている久松商店です。これも看板建築。昭和五年に建てられた化粧品店兼雑貨店です。現在は喫茶店。
江戸時代末期から明治初期にかけて建てられた染め物屋・丁字屋。
いまは「まち蔵藍」という観光施設になって、藍染め体験もできるそうです。店内では特産品や駄菓子を売るほか、喫茶コーナーもあります。昭和四年の大火で焼失を免れたただ一つの商家建築です。
きそば東京庵。昭和七年の建築。
すがや化粧品店。昭和五年の建築。当初は雑貨店。この地区の看板建築の秀逸な一つとされています。
森戸文四郎商店。昭和五年に建てられた飼料店。現在は生花店です。これも看板建築。
ここまでの七店舗はいずれもメインストリートにあります。あとの二店舗は路地を入ったところにありました。
昭和七年建築の栗山呉服店。
昭和五年の建築。ここも看板建築。いまは喫茶店・四季となっていますが、最初から貸店舗として建てられたものだそうです。
これもガイドマップには載っていないので不明ですが、喫茶店・四季の前にありました。ガラス戸には大経師と書かれています。
大経師には二つの意味があります。経巻や掛け軸の表装をする職人(経師)の長という意味、もう一つは大経師暦という暦(こよみ)を発行する権利を有する者という意味です。
大経師暦は京暦ですから、関東の地で用いる人があるとは思えません。とすると、経師組合の長ということになりますが、家の前に車が停めてあったので、まだ商売をしているのかどうか、しているとしたらどちらの大経師なのか、中を確かめてみることができませんでした。
石岡の人は何やらゆかしく、人なつっこい。
民俗資料館ではほかに訪問者がいなかったせいか、係の女性が一緒について廻ってくれました。
總社宮を出て歩いていたら、建築中の民家の前に工事用車両が止まっていました。ちょうど昼休みが終わる時刻だったので、工事人たちが戻ってくるところでしたが、通りすがりの私に「こんにちは~」と挨拶してくれたのです。私の後ろを顔見知りの人が歩いているのかと思わず振り返ってしまいました。
照光寺でも松平家の墓所を探して本堂脇をすり抜けようとしたら、休憩している工事関係者がいて、同じように「こんにちは」と挨拶してくれました。
奈良や京の都から遠く離れているのにもかかわらず、国府があったので、みやこびとのDNAが残っているのだと勝手に思ったことでした。
このまま私に仕事が見つからないのであれば、どこに住んでも同じ。石岡なら家賃も安いかもしれないので、一考の余地あり。そう思って通りすがりの不動産屋を見てみたら、ぬぁーんと新松戸と変わらない……のでした。
私が思わず口ずさんだ「遠くへ行きたい」は、オリジナルではなく、ちあきなおみがカバーしたバージョンです。バックの楽器がわずらわしい(編曲がマズイ?)キライがありますが、まさかYou Tubeにあるとは思いませんでした。
オリジナル曲ばド下手な歌手が歌っているので、私には聞くに堪えません。ちあきなおみが歌っていたなどとは知らない人が多いと思いますが、彼女が五年早く生まれていたら、彼女の歌がオリジナルになっていて、「喝采」を凌ぐ代表曲になっていたかもしれない、と思うのです。
※看板建築とは関東大震災以降普及した木造二階建ての店舗兼住宅で、屋根裏部屋を造り、建物前面を平坦にして、モルタルや銅板で仕上げて装飾をつけた建築様式です。
それまでの商店といえば、軒を大きく前面に張り出させた「出桁造り」と呼ばれるものでしたが、関東大震災後、各地の復興では街路を拡幅することに重きがおかれたので、出桁造りにして、道路に軒を出すのは違法建築ということになりました。
また、耐火性を向上させるため、外側をモルタルや銅板などの不燃性の材質で覆う必要がありました。折しも洋風デザインへの志向が強くなって来ていたことも重なって、大量の看板建築が造られることになったと考えられています。
行ってみたくなりました。
車をお持ちであれば、西光院も行ってみてくだされ。