今日六日は第一土曜日なので、仕事は休み……ヒマな私はまたぼんやりと妄想にふけっております。
中庵宗巌と同時代に、私の興味をかき立てる人物がもう一人おります。
今川氏真(いまがわ・うじざね=1538年-1615年)という人であります。桶狭間の戦(1560年)で織田信長に討たれた今川義元の嫡男です。
この人も名門今川家を滅ぼしてしまったので、中庵宗巌と同じようにドラ息子呼ばわりされています。ただ中庵と異なるのは、父親の死後、内容はともあれ十年近く独力で領国の経営に当たっていたということです。
中庵が家督を譲られたのは二十二歳の天正七年(1579年)。秀吉によって改易の憂き目に遭ったのは三十六歳の文禄二年(1593年)。
都合十四年です ― 。
氏真より四年も長く国主の地位にあったわけで、中庵贔屓の我が身にしてみれば、氏真何するものぞ、と吼えたいところですが、中庵が家督を継いだあと、天正十五年(1587年)までの八年間は父・宗麟が生きていて、後ろ盾になっていました。
宗麟の病没と前後して秀吉の九州平定が終わっていますから、以降は表立った敵はいなくなった状態です。
同じドラ息子といっても、氏真の時代は東に北条、北に武田、西は織田・徳川と三方を強敵に囲まれていました。中庵が楽だったということではありませんが、氏真のほうがずっと厳しい状況だったといえるでしょう。
上杉謙信が武田信玄に塩を送ったという有名な逸話があります。
海のない甲斐の国では駿河から運ばれてくる塩が命の綱でありました。それを止められて困った信玄に謙信が越後の海から塩を送ったというものです。その塩を止めたのは氏真だったのです。
当時、誰もが恐れていた信玄に真っ向から立ち向かおうとしたのです。すると、結構きつい性格かとも考えられますが、私は氏真はかなり無理をしており、ついにそういう緊張状態がつづくことに疲れてしまったのだと思います。
父の義元は、武将というより公家でした。そういう父の血を引いたからか、育ちか。氏真は和歌にも造詣が深く、蹴鞠は達人の域に達していたそうです。
剣術は塚原ト伝に学んだそうですが、腕前のほうはどうだったのか、しかとわかりません。父がそうであったように、氏真もすでに武門の人であることを棄てていたのかもしれません。
永禄十二年(1569年)、徳川家康に攻められて、立て籠もっていた掛川城を開城し、和睦を請うところで戦国大名としての今川家は滅んだというのが定説になっています。
どなたの著作であったか憶えがないのですが、このときを最後に氏真は「降りた」という表現がありました。
「降りた」ときの氏真はさぞかしホッとしたことでしょう。
氏真は信長に今川家伝来の「千鳥」という香炉を献上しています。
「信長公記」巻八には、
(天正三年)三月十六日、今川氏実(氏真の誤記)御出仕。百端帆御進上。已前も千鳥の香炉、宗祗香炉御進献の処、宗祗香炉御返しなされ、千鳥の香炉止置せられ候キ。今川殿鞠を遊ばさるゝの由聞食及ばれ、三月廿日、相国寺において御所望。御人数、三条殿父子、藤宰相殿父子、飛鳥井殿父子、弘橋(広橋の誤記)殿、五辻殿、庭田殿、烏丸殿、信長は御見物。
と、記されています。
百端帆というのがなんであったのか、いまでは不明だそうですが、ともかく何かを土産に挨拶に出向いた。以前も献上しておいた千鳥の香炉と宗祗の香炉のうち、信長はこれだけもらっておこうといって千鳥の香炉を召し上げていたことがあった。この香炉は今川家の、いわば家宝です。
それを献上したばかりか、所望されて三条西実枝、公明親子らとともに蹴鞠まで披露している。
蹴鞠は公家たちにとっては嗜みの一つだったのではあり、同じ年の七月には、誠仁(さねひと)親王が主催する蹴鞠の儀が禁裏で行なわれて、今度は誠仁親王みずからが信長に蹴鞠を見せているほどですから、見世物になっているという感覚はないのかもしれませんが、よりによって親のカタキの目の前で披露するようなことか、と私は感じるのです。
信長は誠仁親王を通じて朝廷工作をもくろんでいたので、このときは半分義理で見に行ったのかもしれませんが、氏真に蹴鞠を「御所望」したときの「信長は御見物」という短い一節に、私は片膝を立てて坐り、鼻を鳴らして見ている信長の姿を想像します。
「降りた」あととはいえ、かつての武将としては考えられぬ行為だと感じるのは私だけでしょうか。
相手が信長では、嫌だと思っても逆らえまい、とは思うのですが、もの悲しいというのを通り越してしまっているように感じられます。
氏真は中庵宗巌より二十一年も早く生まれ、十年も長生きしました。
駿河と豊後……。
遠く離れて、まったく縁のなかったような二人なのですが、徳川の時代になると、中庵の孫・大友義親が今川氏真の孫娘(氏真の嫡男・範以の娘)を妻に迎えるという不思議な縁(えにし)が生まれます。
※今川氏真の画像は「静岡県史」から拝借しました。
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