今朝、通勤途上の駅近く、中華料理屋の軒先に懸けられている燕の巣をカメラに収めました。
昨日も撮ったのですが、ズームを使うときのカメラ操作に慣れていないため、ピンぼけでした。参考までにその写真↓。
この狭い巣に、昨日は五羽もの雛 ― 四羽しか見えませんが、左奥に一羽隠れているのです ― がいて、ビッシリという感じでしたが、今朝は二羽しか見えませんでした。兄貴分の三羽は飛行訓練ができるようになって、しばし外出中だったのか、それともすでに旅立ってしまったのか。
もし旅立ったとしたら、来年また元気な姿を見せてくれよ、と悦ぶところなのでしょうが、私は途中休む場所とてない大海原を小さな身体で飛んで行かねばならない彼らの姿を想像して、物悲しさが先に立ってしまいます。
第二梨園の梨。
駅から勤め先に向かう道筋に二つの梨園があります。第二とは私が勝手に命名しているだけで、二つ目の梨園という意味。
スーパーはもちろん、臨時の梨売場でも、とうに出まわっているというのに、第一、第二とも収穫の様子がありません。
私には二十世紀が違うというほかには、梨の種類の違いはわかりませんが、これはもう少しあとになると出る新高という梨なのでしょうか。いずれにしても、この梨たちもそろそろ旅立ちの時……。
熊蝉です。
昼休み、外に出ようとしたら、勤め先の玄関を出たところに転がっていました。この蝉は高いところに止まる習性があるので、啼き声は聴いても、その姿を見ることはなかなかありません。私も前に見たのは何年前であったのか。定かではないほど遠い昔です。
腹を見せてひっくり返っていたので、起こそうとしたらまだ生きていました。さすがに飛ぶ力は残されていないようです。彼もまた間もなく旅立つのでしょう。
旅立ち(出発)というと、私は上条恒彦さんを思い出します。単純な発想ですが……。
上条さんとはいまから十四~五年前、一度だけ会ったことがあります。余計なことながら、私には一度だけ、という人が多過ぎる。
私より七歳上。
どんな話をしたのか、ほとんど憶えていませんが、三歳のときに父上を亡くされているという話を聴いたことだけは鮮明に憶えています。このころの私の仕事は浪花節的な話を聞き出すことが多かったのです。
三歳の体験といえば、そのときに肉親の死に直面したというより、長じてのちに、切々と迫ってくる悲しみやこの世の不条理に直面させらることになったのだろうと思います。
見るからに優しそうで、温厚な人でしたが、私はこの人の優しげな眼差しは、そういう悲しみや不条理を知っていたからなのだ、と思い、返す言葉もなく、まじまじとお顔を見つめるだけでした。
(12) 出発の歌 上條恒彦(2001 OA) - YouTube
まだ、残暑が厳しいようですが、いかがお過ごしでしょうか。
特に外でする仕事は大変ですね。
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