先日の地震の二、三日後からスーパーの売場からパンが消えました。
パンがないと、体調不順であまり食欲の湧かぬ我が身にとっては、死活問題、とまでは行かなくても、かなり致命的でありました。
以後、二日か三日おきに足を運びましたが、パンはおろか、お米もパスタ類もカップ麺も、ホットケーキの素に到るまで、およそ腹の足しになりそうな商品の棚は空っぽでした。
食後の服薬が欠かせないので、腹が減っていようがいまいが、薬を服むために何か食べておかなくてはなりません。
幸いお米は地震前に買ってあったので、食べるものが何もない、という状態ではありませんでしたが、何か食べておかなければ、と思っても、とくに朝は御飯、という気にならないのです。
食パンさえあれば、ベーコンエッグズをつくって、下敷きにレタスかサラダ菜を布いたサンドイッチにし、インスタントではあってもスープを飲めば、曲がりなりにもバランスのとれた食事と相成りますが、目覚めたあと、薬じゃ薬じゃと思い、その前に何か食べておかねば、と思っても、そういえばお米しかなかったかと思うと、もともと湧かない食欲がまったく湧かなくなってしまいます。
苦肉の策で、フルーツ缶詰とゼラチンを買ってきてフルーツゼリーやコーヒーゼリーをつくり、食事代わりに食べていました。
主食にフルーツゼリー、デザートにコーヒーゼリーを食べて薬を服むわけです。魚は好きですから食べていましたが、焼き魚をおかずにフルーツゼリーというのは、いくら変人気味の私でも食べられない。おやつ代わり(時間的に)に、魚を食べたり、野菜サラダをとる、という妙な食生活を送ってきました。
思い返せば、確か売場からパンが消えた日であったと思います。
跡形もなく消えているとは知らず、のんびりと散策をし、帰りにパンやその他の買い物をして行こうと思いながら、スーパー近くまできたとき、パンパンにふくらんだレジ袋を両手に提げて、歩くのも覚束ないような老人とすれ違いました。さらに夫婦とその娘と思われる三人連れがこれも両手にパンパンのレジ袋を提げているのに出会いました。
そのときはとくに何も考えずに見送りましたが、見送ってスーパーに入った私が見たのは、何一つ商品のないパンコーナーでした。食パンはもちろん、菓子パンも調理パンも、総菜コーナーで売られているサンドイッチも、およそパンと呼べるものはすべて見事に空っぽ……。
その夜か翌朝ぐらいからか、買いだめというのがニュースで報じられるようになりました。
大災害が起きると、いつも日本も棄てたものではないと思えるような、心温まるニュースに接しますが、それだけにこの手のような輩がいると、氷の刃で胸を刺されるような気持ちになります。まして火事場泥棒のようなヤツバラは論外です。
昨日今日と雨です。
避難生活を送っておられる方々に思いを馳せれば、多少のことは我慢せねばならぬとは思いますが、雨の前が暖かかっただけに、氷雨のように感じられます。しかも、今日は雨のち曇という天気予報が外れて、暗くなってからも雨は熄みません。つれて奇形を持つ私の右足はナイフかなんかで傷つけたあとのように痛む。
わずか二日間とはいえ、家に閉じこもったままでいると気鬱が進行するようだし、パンは手に入れられないとしても、おかずにする野菜や魚がなくなっていたので、気は進まないながらも、傘を片手に買い物に出ました。
と……、
パスコの食パンが山盛りに入荷していました。
しかし、「世界のヤマザキ」のほうは食パンだけ空っぽ。流通と原料入手に難があるので、とお詫びが出ていましたが……。
一週間前に種子を播いた紅花に芽が出ました。寒いので庭には下りず、窓越しに眺めています。
次第に流通も改善されていくとは思っていますが、どうして買占めに走るのか本当に気が知れません。
電気がなければ何も出来ませんが、この際、食パンを焼く機械を買われたらどうでしょうか。
わたしはブログ友の感化?をうけて3年ほど前にナショナルの製品を買いました。爾来、隔日に作っていますよ。2年経てば償却できると思ってます。ブログにもその経緯を載せました。
食パンが払底しているのはたぶん今の時期だけで、やがて元に戻るとは思いますが、自分チで好きな時にパンが焼けるというのはいいですね。
貴ブログ中の「ホームベーカリー」を拝読しつつ、しばし研究せむと考えております。