桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

スノードロップ咲く

2011年03月02日 20時44分02秒 | 

 スノードロップが咲きました。
 昨日は曇のち雨、という予報だったのに、九時半を過ぎたころ、陽射しが出ました。おやまあ、と思って庭を見たら、六つ植えた球根のうち、三株が花を咲かせていたのです。



 陽射しに恵まれるとは思っていなかったので、ま~た天気予報は外れ、とうれしくなって洗濯機を回し始めたら、陽射しが出たのはほんの三十分ほどで、洗濯機がピーピーと鳴って、終わりを報せてくれるころには曇り空に逆戻りでした。

 

 秋に播いた桔梗は順調に育っていたのに、この冬の異例の寒さで全滅してしまいました。で、通販でもう一度買い直しました。これから播き直すのですから、今年は花を見ることはできません。
 一緒に秋桜(コスモス)の種も買いました。こちらは早咲きなので、四月になってから播いても、六月の終わりには花を咲かせてくれるようです。

 寒くなったり暖かくなったり、日ごとに気温が変動しています。
 春一番の吹いた五日前の最高気温は20度、四日前は10度、三日前は17度、そして一昨日は雨のおまけがついた上に、昼になっても2度台という寒さ
 株価が乱高下するみたいに、寒暖の差が日替わりで激しいと、突然暖かくなられても身体がついて行けず、寒くなればなおのことついて行けず、本当に寿命の縮まる思いがします。

 昨日も昼の気温は6度台という低さ。しかし、前日が寒かったので、四日前、20度からいきなり10度に下がった日より寒さが身体にこたえません。
 外れた、と糠喜びした天気予報がどうやら当たって雨になりそうだったので、雨で一日じゅう家にこもっていた前日の分を取り返そうと散策に出て、久しぶりに清瀧院へ行ってみました。

 我が庵からは歩いて二十分ほどのところにある真言宗豊山派のお寺です。
 枝垂れ桜の古木があって、近辺ではわりと著名なので、芽吹きの様子を見てみようと思ったのと、前に二、三度行っていますが、墓所を見ていなかったので、見てみようと思ったからです。

 最近、お寺を巡ると必ず墓所を覗かせてもらい、僧侶特有の墓(卵塔とも無縫塔ともいいます)を捜すことにしています。
 それを見たからといって、何がどうなるというものでもありませんが、風化しかかった墓石に刻まれた、宝永とか延享という遙か遠い昔の年代を見ると、タイムスリップしそうな気持ちになります。ことに私が訪ねるお寺は昔ながらの田園地帯にあることが多いので、風景はその時代とあまり変わっていないのだろうと思え、すると長閑で豊かな気分になるのです。

 歩いて行くところどころの畑では耕耘機の音が響いていました。
 決して暖かくはないけれど、掘り起こされた土の匂いがかすかに漂ってきて、春だなぁと感じさせるので、寒さで閉ざしがちだった私の心も、気のせいか開いてくるようです。

 

 清瀧院の墓所は境内から少し離れた場所にあります。
 中央あたりに十基ほどの卵塔が並んでいましたが、刻まれた文字は風化しかけていて、ほとんど読めませんでした。一番高い卵塔だけ「阿闍梨法印宥慶」と刻んであるのが読み取れました。
 いつごろの人なのか、建立した年月が右側に刻まれているのを読んでみました。元文三年と読めるようですが、「元文三」の部分は私の推測を交えているので、間違っているかもしれません。左側には「中興開山七十五歳寂」と刻まれていて、これはかなりはっきりと残っていました。
 元文三年であれば西暦1738年、江戸時代で、将軍は吉宗の時代です。

 かすかに風がありました。墓所の隣の竹林がときおりサワサワと音を立てます。

 ふと「雨月物語」の最初にある「白峯」の一説を思い起こしました。おぼろげに憶えているだけですが、讃岐に配流されて、失意のうちに亡くなった崇徳(すとく)院の墓を西行法師が訪ねる話です。

 崇徳天皇は鳥羽天皇の第一皇子ですが、「古事談」という書物によると、鳥羽天皇の祖父・白河天皇と鳥羽天皇の中宮・藤原璋子が密通して生まれた子であるために、鳥羽天皇から忌み嫌われていたという人です。鳥羽天皇から譲位されて天皇の位に就きますが、やがて鳥羽上皇に男子(近衛天皇)が生まれると、無理矢理譲位させられてしまいます。
 この鳥羽-崇徳という対立が、やがて保元の乱の引き金となり、敗れた崇徳院は讃岐に配流、恨みに燃えながら悶死するのです。



 樹齢四百年と推定されている清瀧院の枝垂れ桜です。

 枝垂れ桜は私がときどきお参りする東漸寺にもあります。樹齢は三百二十年と清瀧院より若いのに、幹を支える支柱の数は東漸寺のほうが多いようです。
 去年の開花は東漸寺のほうが一週間近く早かったそうです。間近に寄ってみましたが、まだ芽らしきものは見えません。

 忘れていたことをふと想い出しました。
 先月二十五日、取手の雛飾りを見に行き、白山通り商店街を外れまで行って、つるし飾りを見たとき、「わあ、きれい!」という甲高い女の子の声を聴いたことです。
 周りには女の子どころか誰もいませんでしたから、明らかに幻聴です。幻聴だと思いながら、なぜそんなことが起きたのか、別段不思議とは思いませんでした。

 あとで思うと、真っ昼間に幻聴を聴いたことを不思議とも思わなかった、ということが不思議です。 
 その店の前で踵を返し、通り過ぎてきた弘経寺(ぐぎょうじ)というお寺に参詣しようと商店街を戻りながら、いつであったか、同じ声を聴いたことがあるのを想い出していました。
 いつだったろうか、と思う間もなく、かつて私が見たことのある景色が甦ってきました。

 十年近く前のことです。
 河原があって、川が流れています。
 その川の流れも、岸辺に生える草々も、すべてが金色に光り輝いているという景色です。
 川べりに人間が立っていました。背を向けていますが、その人影も金色に光っていました。
 その人影は私自身です。自分が自分を見ているという妙な光景。私がどこにいて自分を見ているのかわかりませんが、少なくとも河原には私しかいない。ほかには誰もいないのに、そのときも、「わあ、きれい!」という女の子の声を聴いたのです。

 あとになって思い返したことですから、不正確な部分もありますが、取手市内の道を歩きながら、私はまったく別の光景を思い浮かべていたのです。車の通行もほとんどない道だったので、よそ見をしていても轢かれずに済んだのかもしれませんが、瞬間的に私は別世界に行っていたのかもしれない、と思い返したことでした。

 今日、ハローワークへ行ったついでに、また坂川の河津桜を見てきました。どんな催しがあったのかわかりませんが、桜まつりは二十七日の日曜で終わったようです。
 すでに満開を過ぎて、葉を出している樹もありました。

 


 一本の樹にカメラを構えた人が群がっていたので、何事かと近づいてみたら、目白(メジロ)が蜜を吸いにきていたのでした。
 なあ~んだ、寄ってたかって写すほどの鳥ではないのだが、と思いながら、私もシャッターを押しました。下の画像の中央に写っているのですが、添付画像にしてしまうと、花以外には何もないように見えます。