~ストーリーテリング「愛依の風」ainokaze~

絵本・素語り・わらべうた
ストーリーテラーやえはたのりこ(やえちゃん)の徒然便り

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私らしく・・・とは

2007年12月04日 | 日々徒然

押入れを整理していたら、綴り箱の片隅に色々なものが出てきました。
開けるまで忘れていましたが大事にとっておいたようです。

高校2年生の担任の先生からの手紙がありました。大学生の頃、私は、何かで悩み、どうやら先生に手紙を書きその返事を送ってくれたものです。
その手紙の最後に「私は今の君も大好きです。君らしく生きてください。」とありました。
先生は元気にしてらっしゃるでしょうか。

もう一つ、大学で東京に出てきた時、父が半紙に「典子(本名です)らしくがんばれ」と書いてありました。

二つの中には、「私らしく」と書いてあります。この時は20歳前でしょうか。
どんな私だったかな。あの時大事にしていたものはなんだったのだろう。
私にはわからないことが、わかっていたのでしょうか。私らしくっていったい。
この時に、「私らしくって何ですか」と質問すればよかった。今も尚わからないのだから。

私の母は琵琶湖近くで育った人で、その辺りの風習も大事にしていました。関東ではあまりしないようですが、私は十三参りをしました。嵐山の法輪寺にお参りをし、渡月橋を後ろを振り返らずに渡りきるのです。
この時、法輪寺には半紙に墨で一文字好きな文字、言葉を書いて自分の代わりに置いてくるということもしました。十三歳にはちょっと照れくさい慣わしです。
私が、その時、自分なりに思いを込めて書いた字は「心」でした。
とても純粋な気持ちだったと思います。澄んだ空気を静かに吸って少し緊張して書いたのを覚えています。

年を重ねるに従って、はかりしれない「心」の良心、真心、は、深いところに存在して、表面の邪心にとらわれる日々もあります。

何度か訪れる転機に自分の良心と向かい合ってそれに従うことができる素直さを持っていたいと、それを全うできない自分の情けなさに腹が立つこともあります。

小学校のおはなし会に行った時、5年生の教室の前にお習字がずらっと並んでいました。そこには「美しい心」と書いてありました。

心は優しい心に、美しい心に、育ってほしいが原点なのですよね。
心は磨かなければ、尽くさなければ、配らなければ育たないものなのでしょう。

大事なときに何を選択するのかも心ひとつ。
私らしいとはなんでしょう。たくさんの方に出会い、経験をし、学ぶことも、教えられることもあった今、この自分が進む道はどこへ向かうのか考える年になってきました。

と、綴り箱を開けたばっかりに浦島花子のように昔に返って純粋だったン十年前を思い出してみてしまいました。

12月ですからね。自分を省みるのもありでしょう。


今はもう、昔遊び?

2007年12月04日 | 日々徒然

今でも、ほとんど毎日遊んでます。
お手玉、けん玉、独楽まわし。

今はもう、昔遊び?といわれてしまうのかしら・・・。
ちょっと一息つくときに、料理の合間に、ちょっと。

わらべ歌にあわせて、お手玉ほい。両手で2こ、3こ、片手で2こ、3こ。4こ失敗。
けん玉、ほい。1,2,3,大皿小皿真ん中に。玉持ってひょい。1回転。
最後は、独楽よ。独楽に紐をきゅっと巻きつけて、しゅっしゅっしゅーっと!仕上げは手の上それ!回れよ回れ。紐を渡して、跳ねさせキャッチ!

私のストレス解消遊びです。
小さい頃からずっと遊んでいます。お手玉は母が作ってくれていました。古布とあずきで。けん玉は、赤い玉が傷だらけです。独楽まわしは父は名人のようです。

子どもたちのおはなし会でも、みんなに遊んでほしいので、時々披露し遊び伝えしてきました。「ゲーム機よりずっとずっと楽しいよ」と言いながら。体や感覚に受け継いだものは案外自然にできるものです。

こんな遊びはみんな父から教わりました。女三姉妹でしたが、よく父と遊びました。

お正月前頃から、凧を作ってくれたり、「本物の鳥の羽で作るのが一番だ」と言いながら、羽子板の羽も鳥の羽でこしらえてくれていました。高くうちあげて、ゆっくりくるくるくると回りながら落ちてくる羽の出来栄えを見ては「ようし、これで上手にできるぞ」と満足そうな微笑を浮かべている顔も浮かんできます。

そんな父が病気になってしまいました。


父は、今頃の時期から、沢庵用に大根を干したり、白菜を漬けたり、干し柿の柿を吊るしたり、うまし柿を作ったり。遊びの途中に縁側のつるし柿を食べるのも楽しみでした。
この冬は、軒下はがらんと寂しいままかもしれません。

病気は気の病なの?元気の気。気力の気。みんなの気持ちをあわせれば
お父さんの病気良くなるかなぁ。