打越通信

日記ふういろいろ

春の嵐

2013-04-10 07:20:30 | 日記ふう
母が亡くなって10日以上が過ぎようとしている。
通夜も告別式も初七日も滞り無く過ぎたがやはりショックは大きい。

金曜日の夕方7時前の少し早めの新幹線に乗り熊本駅で降りて、改札を抜けて駐車場に向かっていると、妻から悲痛な声で連絡があった。
救急車を呼んで今から搬送するところのようで、妻が救急隊員に搬送先を確認している。
妻から聞いた病院に向かう。
頭の中は真っ白になり運転するのもままならない。
病院の駐車場にクルマを入れて、病院の玄関に入ろうとすると妻と母が乗っている救急車だろうかサイレンを鳴らして坂道を上がってきた。
そのまま救急車を追いかけ救急入り口にまで走った。
心肺停止状態の母のまだ暖かい手を握り締め必死に声をかけた。
しかし母からは返事が無かった。
母はそのまま救急治療室に入り心臓マッサージを受けた。
妹に連絡をしてクルマで何処を走っているのか聞く。
先生からは
「もうだめです」
と言われるが
「妹が来るまでお願いします」
といって待ってもらった。
妹が着き、母のそばに行き声をかけるが唖然とするだけだった。
「それでは死亡確認をします。」
先生が日時を伝える。
あとで知ったが母の母と命日が同じになってしまった。

悲しむまもなく葬儀屋を決めなくてはならない。
式を熊本でするか母の地元でするか悩み、親しい叔父に相談した。
そして同じ団地の親友のジローちゃんに連絡した。
すぐに奥さんと駆けつけてくれた。
彼の知り合いの葬儀屋に連絡を取ってもらい、その日は母を我が家に連れて帰った。



葬儀屋さんにお願いして、母の祭壇は花で埋め尽くしてもらうようお願いした。



通夜も告別式も終わり、その日のうちに精進上げ(落とし)を行った。



ご住職の関係で初七日は後日になるが初七日と精進上げは関係無いそうだ。

初七日は母の実家で行った。
近所の親戚の人たちそうで庭の掃除をしてくれていた。
初七日も終わり母の遺骨をもって熊本の我が家に帰ってきた。
あわただしく過ぎたこの二週間弱の日々だった。
いま我が家でゆっくりと母を悲しんでいる。
しかしいつまでも悲しんでいては、母に申し訳ない。
そんな気持ちで昨日からは再び仕事に復帰している。