脊振山系の山を越え、広い佐賀平野に出る。
畑とクリークがどこまでも続き、所々に集落が点在している。
今では縦に横に舗装された道が整備されていて、どの道を使ってもどの方向に進んでいるのかだいたいわかる。
ナビもこのあたりでは縦横の道ばかりであまり役には立たないようだ。
有明海は遠浅でどこまでが干拓地でどこまでが自然の海岸だったのかわからないが、大昔の人たちはこの広大な平野に、はたして住んでいたのだろうか。
小高い山も無く、木々が集まった森のようなものも無い平地では、さぞ生活するには不憫だったに違いない。
そんな事を思いながら、佐賀の街中からひたすら海岸線に向かってクルマを走らせた。
ナビを確認すると海岸に一番近い国道らしき道があるので大川方面に向かった。
この先は海なのか川なのか堤防らしき道に出た。
公園があり大きな白い像が見える。
駐車場にクルマを止め堤防に出てみると「筑後川昇開橋」だった。
<ああ、あの橋だったのか>と渡ってみることにした。
日差しが強くおまけに逆光だったので岸辺からは小さく見える。
ちょうど老夫婦が散歩されていたので一緒に細い橋をてくてく歩く。
筑後川も河口近くなので川幅はかなり広い。
川の上流を眺めるとちょうど中州の先端が見える。
筑後川の右側が家具で有名な大川の町、反対側が佐賀県になる。
この川のおかげで上流の日田あたりから上質な木材が運ばれ、大川の町で上質な家具になりふたたびこの川で船に乗り江戸や大坂あたりまで船で運ばれて行ったのだろう。
幼稚な頭でそんな事を考える。
そうこうしていると橋はだんだん大きくなって来た。
いやいや歩いているところ自体が橋なのだから、橋の中心部という事になるのだ。
結構高い塔が2本、複雑な構造で建っていた。
逆光だったので更に不気味な感じで見えたのだ。
昇降部分を渡ると操作部屋のような場所があり、おじさんが一人いて
「ああたはカメラを持っとるようだけん、動かしてみようか?」
と言ってスイッチを入れてくれた。
えっと思うほど静かに橋が上がっていく。
電気で動いているようだが金属が擦れ合う音もほとんどしない。
少しずつではあるが確実に上に上がっていく、その間おじさんが一生懸命に橋の説明をしていた。
しかしこちらはそれどころではないが<昭和10年建設><国鉄佐賀線><昭和62年廃線>などの単語が聴こえる。
この橋は鉄道橋だったのだ。
その昔、福岡の高瀬から佐賀までの佐賀線が使っていた鉄道橋だった。
鳥栖経由で乗り換えるよりこの海岸線を使えば距離的に随分と近くなる。
しかしその佐賀線も何故か国鉄からJRに変わると同時に廃線になり・・・という事だ。
海軍だった祖父の元へ祖母は幼い子供をつれこの佐賀線に乗って佐世保に向かったのだろうか。
そんな感傷的な事を思っていると、そういえば我が子が生まれ、クルマを飛ばして佐世保に向かった頃、国道208号線から夕暮れに見た橋はこの橋だったのか、と私にも思い出があったのを思い出したのだ。
畑とクリークがどこまでも続き、所々に集落が点在している。
今では縦に横に舗装された道が整備されていて、どの道を使ってもどの方向に進んでいるのかだいたいわかる。
ナビもこのあたりでは縦横の道ばかりであまり役には立たないようだ。
有明海は遠浅でどこまでが干拓地でどこまでが自然の海岸だったのかわからないが、大昔の人たちはこの広大な平野に、はたして住んでいたのだろうか。
小高い山も無く、木々が集まった森のようなものも無い平地では、さぞ生活するには不憫だったに違いない。
そんな事を思いながら、佐賀の街中からひたすら海岸線に向かってクルマを走らせた。
ナビを確認すると海岸に一番近い国道らしき道があるので大川方面に向かった。
この先は海なのか川なのか堤防らしき道に出た。
公園があり大きな白い像が見える。
駐車場にクルマを止め堤防に出てみると「筑後川昇開橋」だった。
<ああ、あの橋だったのか>と渡ってみることにした。
日差しが強くおまけに逆光だったので岸辺からは小さく見える。
ちょうど老夫婦が散歩されていたので一緒に細い橋をてくてく歩く。
筑後川も河口近くなので川幅はかなり広い。
川の上流を眺めるとちょうど中州の先端が見える。
筑後川の右側が家具で有名な大川の町、反対側が佐賀県になる。
この川のおかげで上流の日田あたりから上質な木材が運ばれ、大川の町で上質な家具になりふたたびこの川で船に乗り江戸や大坂あたりまで船で運ばれて行ったのだろう。
幼稚な頭でそんな事を考える。
そうこうしていると橋はだんだん大きくなって来た。
いやいや歩いているところ自体が橋なのだから、橋の中心部という事になるのだ。
結構高い塔が2本、複雑な構造で建っていた。
逆光だったので更に不気味な感じで見えたのだ。
昇降部分を渡ると操作部屋のような場所があり、おじさんが一人いて
「ああたはカメラを持っとるようだけん、動かしてみようか?」
と言ってスイッチを入れてくれた。
えっと思うほど静かに橋が上がっていく。
電気で動いているようだが金属が擦れ合う音もほとんどしない。
少しずつではあるが確実に上に上がっていく、その間おじさんが一生懸命に橋の説明をしていた。
しかしこちらはそれどころではないが<昭和10年建設><国鉄佐賀線><昭和62年廃線>などの単語が聴こえる。
この橋は鉄道橋だったのだ。
その昔、福岡の高瀬から佐賀までの佐賀線が使っていた鉄道橋だった。
鳥栖経由で乗り換えるよりこの海岸線を使えば距離的に随分と近くなる。
しかしその佐賀線も何故か国鉄からJRに変わると同時に廃線になり・・・という事だ。
海軍だった祖父の元へ祖母は幼い子供をつれこの佐賀線に乗って佐世保に向かったのだろうか。
そんな感傷的な事を思っていると、そういえば我が子が生まれ、クルマを飛ばして佐世保に向かった頃、国道208号線から夕暮れに見た橋はこの橋だったのか、と私にも思い出があったのを思い出したのだ。
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