打越通信

日記ふういろいろ

ウイルス

2013-11-08 18:20:30 | パソコン
先日行った熊本のお客さん、プログラムやデータの退避のために持っていったUSBメモリにウイルスが入り込んだ。
会社で退避を戻そうとするとウイルスチェックプログラム(ESET)がウイルスを感知した。
<INF/Autorun>SZ>というマルウェアーだった。
当然、削除ををして感染は避けられたが、念のためにフォーマットをかけた。
会社ではウイルス対策をしているが、我が家はどうかと考えるとノートPCの一台は会社で使っているウイルス対策ソフトをいれているがもう一台はフリーな状態だ。
<INF/Autorun>SZ>というウイルスはネットで調べる限りデータを破壊したり情報を盗み撮りしたりするモノではないようだ。
ただパソコンの速度が遅くなったりするようで気持ちが悪い。
トロイ型のウイルスで、CDやUSBメモリなどで拡散するようだ。
早速、客にメールを送って意識付けを行うが、なんの反応も無い。
そういえば昔、Windows98の時だったか我が家のパソコンが感染した。
どういう現象が出たかというと、その頃はインターネットに出すのにISDNという電話回線で出していた。
当然まだ固定料金という考え方は無くネットに接続するたびに課金される料金体制のときだった。
このウイルスに感染すると勝手に回線を繋ごうと頻繁に出て行くのだ。
ルータ(正確にはターミナルアダプタ)のランプを見ていると回線接続のランプが点滅している。
最初は何で?と思ったが、調べてみるとワーム(ウイルス)だった。
これは放置していたら回線料だけでとてつもない金額になると思い、ネットで駆除方法を見つけた。
特定のフォルダーやCドライブの直下にその悪い奴はいた。
手順に従って削除をして、やれやれと思っていると、なんと生き返るのだ。
名前を変えて亜種ができる。
最後の手段はレジストリーの書き換えまでやったがダメだった。
結局、データを退避してOSの再インストールするしかなかった。
データは復元すれば良いが、ネットの設定やメールの設定は最初からしなければならず、確か2、3日かかったのではなかったかな。
ウイルス対策ソフトのおかげで今では知らぬ間に駆除してくれるので意識は無いが、久しぶりにウイルスを目にしてそんなことを思い出した。

お父さん日記

2013-11-07 19:57:50 | 日記ふう
今朝はいつものようにうるさい目覚しに反応して起きることが出来なかった。
目覚しの5分おきに鳴るアラームを止めて1階のリビングに行き電気を点けて時計を見ると6時少し前だった。
それから慌てて朝飯を食って妻に上熊本駅まで送ってもらった。
一応、今週から衣替え、冬服だ。
しかし11月も上旬を過ぎようとしているがそんなに寒くは無い。
6時37分の満員電車で熊本駅へ、そして新幹線。
今日はどうしたんだろう、指定席が一杯だ。
なんと私の隣の席にも人が乗ってきた。
いつもはガラガラのつばめの指定席、福岡からのツアーなのだろう、しかしこんなことは初めてだ。
体がだるく感じられるので新幹線の中では熟睡だった。
会社に出ても午前中はだるくて仕事にならない。
昼前から客先に出た。
いつもの同僚ともう一人今日は同行する。
何を食うかという話になり、糟屋警察署の前に「ラ族」というラーメン屋があるのでそこに行こうとなった。
201号線を福岡ICを過ぎ、立体交差する道を右に曲がればそこにラーメン屋があった。
こじんまりしたお店だが客で半分程度席は埋まっていた。
座敷席が空いていたのでそこに3人座った。
注文はラーメン(530円)に半チャーハン(270円)、3人一緒だった。
出てきたラーメンのスープを飲んで、ビックリ。
豚骨なんだけど甘みがあり、独特の味だった。
麺もしっかりとした食感でスープとなじんでいた。
妻がこの頃、私のブログをチェックし
「食べ物ブログじゃないんだから。食べ物の写真もダメ」
などと言う。
そういえばある人から言わせれば
「なんで食事の写真が出てくると?」
と聞かれるし、ある人は
「ブログに食べ物の記事を書くとアクセスが多くなる」
と言う。
べつにアクセスを気にして書いているわけではないのだが、別に生活の一部なのだから良いではないか。
そういういきさつもあり、写真は無い。
博多に来て初めて独特な旨いラーメンをいただいた。
それから客先へ向かった。
だが忙しそうで相手にされなかった。
結局、ラーメンを食いに出かけた感じだ。
早々に会社を出て自宅までの100kmの帰路へ駅に向かう。



駅前のホテルにはこんな看板が建っていた。
今週の日曜日から九州場所が始まるわけだ。

連休明け

2013-11-06 20:32:35 | 日記ふう
3連休明けは熊本で仕事だった。
客先には午前10時ころ入れば良いのだが、妻がバス旅行に行くため交通センタに6時15分までに行かなければならない。
通常の生活の5時半に起きて通常の生活より30分も早めに家を出なければならなかった。
妻は一緒に食事に行った時、その店の何周年かの記念抽選に当たったのだ。
家族4人で行って妻だけが当たったわけで、大分の別府温泉に入って美味しい料理を食ってくるそうだ。
送っていったん家に帰り途中のコンビニで買ってきたサンドイッチにコーヒーで朝食だった。
ゆっくり目に家を出て仕事先の大津町に向かった。
天気は薄いいわし雲で良い天気だし寒くもなく暑くもなく旅行には最高の天気だ。
妻がうらやましい。
午前中の仕事を終えて昼食だ。
めんどくさがりなのでカレーを食いたいと思ったらあの店へ、ラーメンだったらあの店と大体決めているので、今日はそばを食いに行った。
仕事は午後4時ころ終わり、そういえば妻がいないので夕食は無いわけだ。
帰り道で食事をして帰ろうか、何か買って帰ろうか、いったん家に帰り何か食いに出るか迷った。
迷ったが帰り道にほか弁があったので生姜焼き弁当を買って帰った。
妻は午後8時前に帰ってきた。
お土産と言って焼酎をもらった。
オンザロックにしてチビリチビリ、妻の旅行話を聞きながらいただいた。

<なんか子供の日記みたいだ>

祝事

2013-11-05 18:16:31 | 日記ふう
歯医者の方も先週で治療は終了した。
まだ若く、そしてものすごく人あたりが良く丁寧な仕事をする先生だ。
実は親友のジローさんともお友達でその関係で紹介をいただいた方なのだ。
やっぱり歯の力ってすごいものだ。
ただ完治しただけで今まで細かった食が何を食っても美味しく感じられるのだ。
さて、今日はちょっとした祝事があり、朝からジョギングに出かけ気合を入れた。
時間がなかったので軽く遊水公園を一週だけ走った。
シャワーを浴びて背広に着替えて会場のKKRホテルに出かけた。
3階の記念撮影にもっと良いロケーションで熊本城をバックに記念撮影。
紅葉が始まった熊本城、小雨が降っていたが多くの観光客で賑わいの声が聞こえる。
それから2時間半のささやかな祝事だった。
食べて飲んで楽しいひと時を過ごすことが出来た。
このところ法事ばかりだったので、前向きな祝事に少しはしゃぎすぎたのかも知れない。

阿蘇プラザホテル

2013-11-04 20:19:49 | 食事
<どっちゃん行く?熊本>キャンペーンではないのだけど、休みの日、阿蘇まで出かけた。
法事や祝い事でお返しに送ってくるカタログだ。
品物でも良いのだが前回(湯布院)に続き、今回は阿蘇プラザホテルを予約した。
温泉に入って料理を頂く、といった商品だ。
連休阿蘇は多いだろうと大津から通称、ミルクロードと言う道を走る。
途中で阿蘇谷か見えるちょっとした休憩所で休憩だ。
するとヘリコプター遊覧の人に声をかけられる。
体験遊覧でお一人様3000円という。
すぐに妻は乗り気になる。
「今日の目的はこれではないでしょ」
何とか説得して先を急いだ。
内牧温泉に入ると、地元の祭りがあっているようで通行止めの看板がある。
阿蘇駅の方向に走っていると「阿蘇プラザホテル」の看板が見に飛び込んできてすぐに分かった。



クルマを駐車場にいれロビーに入ると、高級そうな壷や皿が並んでいる。
通された部屋はちょっとした宴会場で、その広い部屋にぽつんと2人分のテーブルが並んでいた。
先に風呂に入ることにして12時ちょっと過ぎに料理を用意してもらうことにした。
お風呂は大浴場で、先客は2名ほど。



内湯にはつかりもせずいきなり露天風呂だった。
涼しい秋風に吹かれて最高の時間だ。
約1時間ばかりで風呂をあがって部屋に戻る。



ビールが運ばれた来たので前菜をつまみに飲み始めた。
仲居さんに美術品のことを聞くと。
「先代の社長の趣味です」
と言う、



ご飯は鳥の炊き込みご飯のようで炊き上がるまで30分くらいかかると言う。
そして評判がいいという牛のヒレ肉のスープ。
前菜に刺身でビールが進む。
そのうち妻も風呂から上がってきてノンアルコール・ビールで乾杯だ。



ヒレ肉のスープ、肉の味が出ていて濃厚な味だ。
当然肉もしっかり頂く。



その後も何品か運ばれてきて、最高に贅沢な料理だった。
しかしそんな背景には前年の水害がある。
このホテルも1階は水にやられ、泥の山がロビーにつもり大変だったようだ。
今ではそんな雰囲気は一つもない。
大変だったろうと思うが、こうしておもてなしができるところまで復活している。
そんなホテルのスタッフ、ありがとうございます。
温泉に料理、そして壷や皿、絵などまるで美術館のようなホテルに満足だった。

ジョグ再開かな

2013-11-02 14:24:34 | 日記ふう
久しぶりに遊水公園に走りに行った。
いやいや走るというよりジョグだ。
2年ぶりくらいだろうか、先ずはゆっくりとそしてしっかりと走り出した。
キロ7分から8分だ。



だからウォーキングしている人と同じ位のスピードになる。
シューズもウェアーも昔の古いヤツだ。
一周1.8kmの公園の堤防だ。
いつも散歩をしているのだが、やっぱりジョグで走るとなつかしい気がする。
走り狂っていた頃は、最高で13周走ったところだ。
一周目さすがに息が続かない、走っては歩き、走っては歩きの繰り返し。



2週目はなんとか走ったが、走り終えて息を整えるのに時間がかかること。
こんなに体力が無かったのかと思うと情けなくなる。
でも走った後の爽快感は格別で、細かった食も改善された。
翌日もストレスが取れた感じで仕事も捗る。
しかし足はパンパンで階段の登り降りが大変だった。
今はまだ長い距離は走れないが時間を見つけ走り始めようと思っている。

箱崎公園

2013-11-01 20:51:29 | 日記ふう
客先に出て昼食を食った後はこの箱崎公園を散歩する。
公園の樹木も少しずつ紅葉を見せ始めている。
公園のベンチに座り、いろいろと考えごとをするには良い。



ふと去年の今頃は何をしていたのかと思った。
父が亡くなり母を引取り、一緒に生活を始めた。
しかし母は肺に病気を持ち酸素呼吸器が手放せない状態になっていた。
病院に連れて行くが医師からは
「肺の病気は悪くなる事はあっても、良くなる事はありません」
と言われていた。
進む病気に痴呆がはいり始め、ちょっとした介護が必要になっていた。
私は仕事で家にいないため、その分は妻に負担がかかっていた。
介護認定も要介護2が出ていた。
ケアマネとも話し合い、ペルパーを入れてなんとか切り盛りをしていた。
が、妻の心の負担は変わらない。
今後の事もあり、妹を呼んで将来の事を何度も何度も話し合った。
介護施設に入れるにしても安い施設でも月額はマンション並みのお金がかかるし、高級な施設になれば一千万円単位の金額になる。
それに母の場合は呼吸器が必要になるわけでこんな状態で預かってもらえるのか不安もあった。
話し合いをするが結論は出ない。
そんな時もこの公園で将来の事を考えていた。



母が亡くなり、去年のような事は無くなったわけで、亡くなった寂しさはあるがその反面救われた感がある。
そんなことを思い出して散歩した。
人はその場その場でいろいろな状況に置かれ考えているのだ。
去年の私に今の私が想像出来ただろうか・・・