あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

ご縁のあった子どもたち

2006-11-12 10:31:51 | Weblog
いい天気になるのかな。洗濯物を干しました。
娘は箱根へ。息子はアルバイトです。

先日、かつて保育した子ども、ふたりのホームページとブログを久しぶりにクリックした。
子どもといっても30代である。
ひとりは男の子で医師をしている。久しぶりに読んだら、大学院の学生になっているようす。自分の専門の全国大会の事などが書いてあり、その専門の中心になり活躍しているのが伺われた。
リーダー的ではあったけど、今でもリーダーのようである。
チラッとした文章に彼の幼いときの真面目さと優しさが感じられ、嬉しかった。

もうひとりの女性は、アロマセラピーのお店を開いている。たくさんの仲間がいるようで、いい仕事をしているようである。心の癒しを手伝っているのかな。

ふたりともまず浮かんでくるのは5歳のときの顔である。

私がご縁のあった子どもたち、それぞれに活躍していることと思う。
時々思い出すけど、果たして私は子どもたちに会えるだろうか。
今これを頑張っているよと言えるものがあるのかというと、何もない。
頑張っている子どもたちには会えないなと思う。

悲しいことに亡くなった子どもが2名いる。
ひとりの子どもはとても素直なかわいい男の子だった。オートバイの事故。
もうだいぶ前になるけど、ふるさとに帰省したとき、彼の家に行った。
悲しい再会だった。

もうひとりの子はお下げ髪の目のくりくりしたかわいい女の子。
結婚してお子さんが生まれても、年賀状を下さり、幸せな家庭生活を送っているとばかり思っていた。
彼女の訃報は別な教え子から聞いた。ただただ悲しい。

私の教え子たち・・・いいえ、そんな大それたことは言えない。私が教えてもらったから・・・受け持った156名の子どもたち。
ご縁のあった子どもたちである。

いろいろなことがあった。それぞれの家庭。

お父さんを急に亡くした子ども。通勤途中に会ったとき元気に挨拶を返してくださったお父さんだったのだけど、告別式の時の無邪気な子どもの姿に心が痛んだ。

また、転園していった男の子だったのだけど、その子のお母さんの病状が悪化、そのことの電話をもらってお見舞いに行った。お母さんは帰らぬ人になった。あの子は今どうしているだろうか。お仏壇に手を合わせたあの情景を思い出す。
帰省のたびにその病院の近くに行くとお見舞いに行った病室を思い出す。

事件を起こした保護者もいた。少なくとも2名はいた。家庭訪問の時はそんなことは思いもしなかった。子どもたちはどうしているだろうか。元気だろうか。

たった156名の子どもたちのいろいろな事件、ドラマ。

今はただ、ひとりひとりの子どもたちが元気で幸せでいてほしいと思うばかりである。

そしてこちらで少しばかり保育をした。3歳で会ったその子どもたちは高校生と中学生。
母親を亡くした子どもがふたり。・・・もうなんとも言えない。
そのふたりのお母さんとのお別れ・・ちょこんと座っていた女の子、男の子。時間も場所も違うけど、言葉がない。それぞれにお母さんたちふたりとも役員をしてくださっていた。

子どもたちよ、たくましく育ってねと思う。

今、いろんな事件がおきている。命だけは大事にしてほしい。
自分の命、人の命、そう思う。
コメント
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