あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

野口雨情の生家・記念館そして風船爆弾

2014-01-13 20:42:27 | Weblog
偕楽園の好文亭。
千波湖(せんばこ)に寄ってきた白鳥。まだまだたくさんいたし黒鳥もいた。
夫が「みにくいアヒルの子」の話をする。


野口雨情の生家。
東日本大震災で傾き、床上浸水したという。昨年9月に工事も終わり、まっすぐ建っていました。震災のすごさを想う。

野口雨情の資料館。
雨情の生涯を知る。
いろんなことがあったのだなあと思う。波乱万丈。
そして、お孫さんの野口不二子さんから直々いろいろな話を伺う。
夫はへそくり(うふふ…だ)でCDつきの野口不二子さんの本を買う。水戸藩士の流れ、藤田東湖など夫は私とは別世界で理解している。
初め、いらっしゃらなかったお孫さんに会えたのも何かのご縁だ。
東日本大震災のとき、貴重な親族の哲太郎の「鶯谷集」を持って逃げられたことは、何よりもよかった。ひと月くらい前に、生家から膨大な資料を自宅に運んでいたのも、なにか、虫の知らせだったのかとおっしゃる。不思議だ。そうしなかったら、今そのものはないと。水浸しで。
北原白秋、西条八十、野口雨情か。


野口雨情の記念館。
「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」などの曲が流れる中、鑑賞する。
彼は、いい作曲家に恵まれたのだろうと思う。
中山晋平、本居長世など。
歌は、心に残る。自分はいなくなってもずっと残ると。
私たちが口ずさんできた歌の多くは野口雨情だ。
聞くことで、歌うことで、昔を思い出し、ふるさと、父母を想い、元気が出てくる不思議なものだ。
たくさんのお子さんがいたのだけど、千穂子、美穂子というお子さんもいらっしゃったのを楽しく見る。

今回、磯原に行ってよかった。
行く途中に「ばってら」という田楽こんにゃくを子どもたちから買う。
各戸からお正月飾りをもらって、どんと焼きで焼くという。そのついでに売っている。ゆず味噌のそのこんにゃくのおいしいこと。

雨情以外に、磯原に関したものを展示してあった記念館だったのだけど、びっくりしたのは「風船爆弾」の存在。
偏西風に乗せてアメリカに飛ばした。約9000余りを飛ばして、着いたのは1000あったのかどうか一説には300弱。
オレゴン州のお子さん方と妊婦さんが犠牲になったという。

風船爆弾…。戦争というものはいろんなことをさせたのだ。
それにかかわった女性たち。極秘に作られていたということ。
今「永遠の〇」を読んでいるが、戦争は人を人にしない。狂気の沙汰だ。
ざまざまな戦いは、いろんな地名、戦略と理解するのが容易ではないが、ひとり一人の命は大事じゃないのか。

磯原、海に面した素敵な町だった。
コメント
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