あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

えっ~錦江楼だぁ

2014-01-21 23:28:57 | Weblog
今日、テレビで「全日本温泉宿アワード日本人が一番行きたい究極温泉宿」を見た。
この番組は少し気になっていて、予告に桜島が見えた気がしたのだ。
でもでも、鹿児島が出てくる気配がない。
冬の宿の特集だったかしらと思ったりしてしまった。
それほど、きれいな雪の宿が多かった…行ったことのある黒川温泉まで雪が降っている場面だ。

ところが

なっ、なんと1位が指宿温泉の「錦江楼」だった。

うわぁ~うそ~えっ~!!
「錦江楼…きんこうろう?」

そうなのだ。
私の実家の近くの宿なのだ。
この近くに畑があり、小さいときにお手伝いの方にお茶を運んだ。
今は、大きな道路になった。
ほんの少し、申し訳程度に土地がある(使いようがない…)

ああ、でも、「錦江楼が一番なんて」と、だんだん嬉しくなった。

だって、「錦江楼」は、かつての「かんぽの宿」

幼稚園に勤めていたころ、自転車で桜島を見ながら、この宿の前を通ったものだ。
今日の桜島は?
冬の桜島は色が変わる。薄紫、青、濃い紫…とにかく、きれいだ。

そして、結婚して、実家に帰ったら、温泉を利用したり、子どもたちと泊まったり、母との思い出もたくさんある。
錦江楼になって、露天風呂ができた頃にも泊まった。

他にもたくさんの宿がある。
指宿ロイヤルホテル、フェニックスホテル、海上ホテル、指宿シーサイドホテル、白水館、吟松、指宿いわさきホテル、秀水園、指宿休暇村、コーラルビーチ、こころの宿…
今、挙げたところには全て泊まった。
あと名前が変わって指宿ベイテラス(以前のグリーンピア)など。

それぞれに趣があっていい。
スタッフは人情溢れる方ばかりです。

桜島、砂蒸し温泉、自然、、人情、黒づくめのお料理(牛、豚、鶏)きびなご、さつま揚げ…指宿は最高です。

焼酎もね(私は飲めないけど)

どうぞ、皆様、私のふるさと、指宿にお出かけくださいね。


それから、今日、おおぎやなぎちかさんのブログからいらっしゃいました皆様、ようこそ。

拙いブログですが、たまにはいらっしゃってくださいね。

本当に子どもさん方の作文よりも下手な文章ですが、童話、絵本の勉強中というか、書いています。

短歌も始めました。

書くことが好きなのかなあと思ったりします。

よろしくお願いいたします


ではでは、おやすみなさい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふたつのブックマークと「永遠の0」談義

2014-01-20 23:40:54 | Weblog
今朝、おおぎやなぎちかさんのブログを見たら、我が次女のことを優しく温かく書いてくださっている。
fromイーハトーヴ 児童文学&俳句
感謝、感謝です。

そして、慣れないながらに、ブックマークに、我が娘の起業した仕事のホームページBeauty&Cosmetic Careとおおぎやなぎちかさんのブログを入れました。

なんだか、いろんな操作に疎い私ですが、よろしかったら、ご覧くださいね。

そして、また、私の拙いブログに載せてもかまわないって方がいらっしゃいましたら、ご連絡くださいませ(ちかさんのマネですね

娘の起業のフェイシャルトリートメントは、よちよち歩きながらも一歩一歩進んでいる気がします。

今日も依頼があり、お仕事に出かけました。

どうぞ、皆様、よろしかったら、ご連絡ください

どこまでも親ばかな私です。でも、こういうことでしか応援できない…(>_<)

だいたい、美容関係にも疎い私です(なにが得意ですか?…う~ん、ない、ない
なんだこりゃ…です。

おおぎやなぎちかさんは、言わずと知れた童話作家です。
たくさんの賞をお取りになり、また本も出しています。
俳句の世界においては第一人者。指導者です。ブログをご覧になれば一目瞭然です。
季節風大会の越水利江子さんの分科会で知り合い、お付き合いさせてもらっています。
優しい方です。知性溢れる方です。


ふたつのブックマークをよろしくお願いします。

さて、今日のお昼は「永遠の0」の話で盛り上がる。

Mさんの中学2年生の息子さんが「お母さんも読めば」と本を貸してくれたと。彼は映画を見て感動して、本を読んだ。何でも本が大好きで、平行して何冊も読むという。
トロンボーンを吹いていて、物理の勉強をしたいって。
もう、すごいなのひとこと。
H係長の中学1年生の息子さんも映画に感動して本を読んだと。

それから、MさんもH係長も「永遠の0」の本を読んでいるとのこと。
息子さん方からお母さんへだ。ゆかい。

「百田尚樹さんって、いろんな違うパターンの本を書くのよねえ」
「風の中のマリア」を読んでスズメバチを嫌いだと言えなくなった」
「ボックスもいいのよねえ」と、百田さんの本談義。
久しぶりに楽しかった。
職場の方々、MさんもH係長も係りが違うけど「うわぁ~話してみるもんだ」ととても嬉しかったのです。

今日はここまでにします。
いろんな方からも嬉しいメールやお電話をいただいたのですが…そろそろ寝る時間です。

睡眠が大事。

ちなみに、Tちゃん、冬休みが終わって今日から幼稚園。6時半に起きたそう。
Cちゃんは、ハイハイでなくて、ほとんど歩いているそうです。
すごいな、すごいな。

おやすみなさい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩師のお誕生日&「季節風117号」が届く

2014-01-19 19:10:31 | Weblog
暖房をつけて、パソコンに向かっている。

昨夜は、ららぽーとからの帰りも遅く、今日は家で、諸々の用事をする。

携帯を頼んだり、書類を書いたり…。

そして、今日は漆原智良先生のお誕生日だ。
80歳、傘寿。すごいと思う。
温かくて本当に優しい先生だ。
お会いできたのを嬉しく思う。
「先生の周りの方は皆様温かい優しい方ばかりですね」と申し上げたら「そういう方としか付き合いません」と。
先生のお言葉ゆえ、その重みが伝わってくる。
童話についての、生き様についても、教師としても、人としても学ばされる。
まさしく人生の師です。

これからもご健康で、私たちを引っ張っていってほしい。

元気でいることは、努力なしにはないなとも思う。

先生、おめでとうございます!!


そして、今日、「季節風」が届く。
送ってくださるのもありがたいと思う。すごい手間隙がかかっている。

私の投稿作品への批評が載っていた。
私の作品は季節風大会に出したものを推敲したものである。
忙しいのに読んでくださり、こうして、感想を書いてくださることに感謝する。
越水さん、イノウエさん、佐野さんの優しいお顔が浮かぶ。
本当にありがたい。
おっしゃっていることがよくわかり、自分でも思っていたことではある。
自分で、まだまだ甘いなあと反省する。

皆様への批評も辛口であればあるほど、不思議とニヤリとする。
私だけじゃなく、友達も言われていると「そこまで言うのか」と笑ってしまった。
おっとっと…ごめんなさい。

いい意味でファイトが沸々と沸いてくるのだ。

日常生活でのあの人がどうのこうのなんてどうでもいいことになり「ああ、書かなくちゃ、書かなくちゃ」となんともいえない気持ちが湧いてくるのだ。

日本のどこかで(谷村新司の歌みたいだけど)みんなが頑張っている。
プラスの気持ちになる。
まだ、さらっとしかページを繰っていないのだけど、これから、じっくり読んでいきたい。
季節風の皆様の温かい心広い気持ちに心からありがとうございますと言いたい。
こうした雰囲気の中で作家がたくさん生まれている。
そして、子どもたちに多くの愛と元気を届けている。

季節風を送ってくださる高橋秀雄さん、皆様に感謝します。
本当にありがとうございます。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「永遠の0」を見る

2014-01-18 22:30:00 | Weblog
午後から、ららぽーと横浜に「永遠の0」を見に行った。
土曜日だったこともあったのか、席はほとんど埋まっていた。
いままでの映画でいちばん多かった。

本を読み終えたばかりだったので、原作と脚本がどう違うのかひじょうに興味深かったのだけど、ほとんど根本的なことは変わっていない(当然か)
映画は時間の制約があるから、だいぶはしょってはいるけど、百田さんの言いたかったことはちゃんと出ていたと思う。
しいて言えば、高山、藤木などが出てこずに合コンの場で、特攻は自爆テロだと言わしめたところがちがったくらいか、ラストの特攻兵の名前を見る場面もだけど…ね。

ふう~ん、こうして映画にするのかと思ったし、監督の山崎さんはやはり凄腕だなと思った。
宮部もゼロの操縦は凄腕だったけど。

それにしても、死にたくない、家族のためにと信念を貫いていた宮部。
賢く、優しく…そして特攻隊員として突っ込んだ。
本でもそうだけど「あんなゼロは見たことがない」とアメリカ兵に言わせる。プロローグとエピローグは心に残る。
松乃に「宮部は約束を守った。帰ってきた」と言わせたが、そうだろうなと思う。
井崎が病床で話したこと「あなたたちに話すために生きながらえていたんだ」ということ。

何かに守られ、何かに動かされていると思う。

「死ぬな、生きる努力をしろ」
宮部のこの言葉、今、辛いいじめにあっている子どもたちを思い出した。
どんなでもいい、逃げていい、場所を変えてでも自分を守るために生きてと思う。

百田さんは、この小説をいろいろな出版社に持っていったという。でも採用されなかったと聞いたことがある。

時機がある。

すばらしい本、映画に出合えた。

多くの方に本を読んでもらいたい。それが不可能ならば、映画を見てほしいと思った。


夫は私に付き合って2回目(2回目の感動があったという)息子はすでに見ており、次女は友達と今夜見てくると出かけている。

知覧の特攻隊基地に行きたいと言い、実際に何回か行った息子と娘。
母も一緒だった。
多くの若い命の犠牲の上に今の日本がある
これからの日本をしっかりと見据えて、しっかりと生きていってほしい。

私たちはその命を無駄にすることなく、しっかりと政治を見て、生きていきたいと思う。

戦争で亡くなった方々のご冥福を祈ります。

映画のラスト、俳優岡田さんのアップは涙なしには見られなかった。

サザンの「蛍」の歌もよかった。
知覧の特攻隊基地に蛍が来たんだよなあ。
出発の前夜に、「ぼくは蛍になって戻ってきます」と言った特攻隊員。
飛び立った夜に実際に蛍が飛んできた。
実話である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「永遠の0」を読了~母を想う~

2014-01-18 12:18:46 | Weblog
昨夜あれから「永遠の0」を読み終えた。
なんという展開か…正直びっくりした。
宮部久蔵と祖父と祖父の松乃の関係である。
でも、さもありなんと…。

鹿屋から飛び立ったという宮部久蔵。
かつて、子どもたちと鹿屋基地に行ったことを思い出す。いろいろな写真があった。
これは小説だけど、いろいろな大事な人生、心模様があったのだろうと想う。

当たり前のことだけど、決して戦争はしてならじと当たり前に思う。

日本兵にもアメリカ兵にも家族がいるのだ。
一機落とした、落ちたということは、そこにひとり、あるいは複数の命が消えたということである。

すごい奇跡の倍率で生まれてきた命なのに。

学徒出陣、予備学生、特攻隊要員…。

母の前夫のSさんを思い出した。
彼は法政大学の文学部を卒業して(鹿児島から上京するのはたいへんなことだった)教師になった。
その彼にも赤紙がきた。
そして、戦死した。

母の気持ちを慮る。ほとんどそのことについては話を聞いていない。
どんなに辛かったか。
今はきれいな文字での(そう思う)日記が残る。
宮部久蔵は大正8年生まれ。
母は大正4年生まれ(1915年)である。
Sさんは、30代半ばで亡くなっている。

「永遠の0」でも、数多くの偶然があるが、我が家にも不思議な偶然がある。
Sさんの息子(私の兄だけど)は、法政大学のタワーの建設に携わった。
我が子どもの上ふたりは付属高校から法政大学だ。
私は、Sさんが法政大学を出たなんて知らなかった。

子どもたちは自由な校風にあこがれて進学した。

この偶然をどう捉えようか。

数えきれいほどの高校、大学があるのにここで勉強したこと。

ちなみに椋鳩十(学生時代に講義を受けた)そして、今も応援してくださるうるうる先生こと漆原智良先生もこの大学の出身である。

横道にそれたが、人生は不思議なご縁で繋がっている。
目に見えないないもの、見えない人に守られていると思うのだ。

松乃が祖父、元やくざの景浦(書いてはいないが暗示している)に助けられたように。

百田尚樹さん、小説家としても上手だなと思う。
綿密な取材のもとでの小説。
参考文献に城山三郎の「指揮官たちの特攻」があった。
以前読んだ。そこの登場人物の中都留さんのことが出てくる。
確かそうだったと思う。
特攻隊基地は鹿児島の鹿屋、知覧、そして、国分もか。

あのきれいな自然の中で、特攻隊員はいかなる気持ちで飛び立ったのか。
志願ということ自体が命令か。

あの勇壮な開聞岳は全てを知っているんだなと思う。


うまくいえないけど、今、読むべき本だと思う。

ぜひ、皆様もお読みください。

ラスト、感動的です。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうして?~写真はロンドンのバス~

2014-01-17 21:06:50 | Weblog
のんびりとした休みもいいものだ。
ごろんと横になって本を読む。
最高の贅沢、幸せだ。
でも、本当は、その本に対して申し訳ない。
正座して読む本かもしれない。
「永遠の0」だ。

今日の写真はロンドンでのバス。
二階建ての赤いバスだ。
      

「永遠の0」
まだ、読み終わらないのだけど、何度涙が出てくることか。
特攻隊。
知覧には何度も鹿屋にも行った。

この本、今、時機を得ていると思う。
生きている人の話は伝えねばならない。
伝えたい。

ああ、でも、日本人もアメリカ人にもそれぞれに愛する人がいた。

人を殺せば殺人罪になるのに、どうして戦争というものはそうではないのか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友達はいいな~今日はリバプール~

2014-01-16 21:19:10 | Weblog
寒くなりましたね。
手袋が欠かせない。
お昼は、でも、お日様がぽかぽかではありました。

私の今週の仕事が終了。
今週はお休みがあったので早かった。
昼休みが終わろうとしたときにエレベーターに乗ったら、Mさんがいて、話をしてしまったら…そのまま、自分の階を通り過ぎて「あらら」と。
階段を下りて、職場に戻りました。

友達が「友達関係って変わっていくもの。衣服が季節で替わっていくように」という。
そうかもねと思う。

だから、新しい出会いもあるのだ。
ずっと気の合う人とは長年お付き合いできる。

で、今日の写真はイギリスはリバプールの港。

ビートルズの通りもありました。
マッシュー・ストリート。


ビートルズは今もいい。

睡魔が襲ってきました。

とりあえずは、おやすみなさい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日もいいことが~今日はイギリスのカッスルクーム~

2014-01-15 22:52:37 | Weblog
今日はひじょうに寒かった。
でも、いいことがたくさん。
まずは、次女のフェイシャルトリートメントをお友達のTさんがTさんのお友達と一緒に予約してくださって、娘はお伺いした。
雪を心配したのだけど(Tさんにもご心配していただいて…優しいなあ)降らずによかった。
日野市のご自宅まで行く。

ありがたい限りである。
母としてはひじょうに心配であったけど、娘もそれなりの年齢。
あれやこれや言うのも過保護で、過干渉か…苦しいところである。

元気に帰ってきてほっとする。
Tさんのこと、おうちのことをべた褒め。
まあ、納得。
Tさんは優しいし、おうちもきれいだったろうと思う。

いい仕事ができたか心配だけど、まあ、どうにか終わってほっとする。
とにかくTさん、ありがとう。
このブログを見ていらっしゃったら、心から感謝です(私信)

そして、私は午後から仕事を休んで夫と一昨年(もう一昨年だ)の追突事故の示談の交渉。
理路整然として、なおかつ温かい(と思う)弁護士さんに担当してもらってよかった。
これも出会いなんだろう。
今もふくらはぎは痛むし(腰が関係するという)後頭部というのか頚椎は痛む。
肋骨においても痛みがある。
いつ治るのか、不安ではあるが、自分の体はケアしていきたい。
今日の示談でまとまりそうだ。
それにしてもすごい時間と労力がいる。
ただ、思うのは、知らないということでいいことはないということ。

今回、まだまだ少ないのだけど、いろんな勉強をしたと思う。
十年位前に、あることで女性の弁護士さんに会って、私がもっと若かったら、なりたかったかもしれないなあと思ったことがあった。
いい仕事だなあ、やりがいがあると…今でもお年賀状はいただく。

今回の弁護士さんの言われることは説得力があったし、理解できた。
とても好ましい方だった。
今度のことで数人の弁護士さんに会ったけど、今回の方がいちばん良かったかもしれない。
何か、用事のある方がいらっしゃいましたら、ご紹介します。
こんな出会いもありがたいなと思うのです。


やっと、先が見えてきた。
だから、夫とお疲れ様とすき焼き(夫が風邪気味というのもあるけど)
そして、スーパーのケーキ(なんと慎ましい!ケーキ屋さんじゃないのが私らしいよね)

だから、せめて、今日の写真はイギリスはカッスルクーム。
イギリスの田舎で、ホントに心がほわっといい気持ちになるところだった。

そして、今日、おいでくださった方にイギリスのきれいなバラの花を…幸運が訪れますようにと。


イギリスは各家にお花をかざってあり、本当にきれいだった。
7月のカッスルクームの風景です。
皆様に心の安らぎを…。
今日、いっぱい、いいことのあった私。

訪れてくださった皆様にもいいことがありますように。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の余韻を~偕楽園からの夕日~

2014-01-14 22:00:00 | Weblog




写真は偕楽園からの夕日。

今日は、久々の出勤。
私としては4日間の休日でした。
休養のはずが、急に水戸と磯原に行ったのだけど、それは、とてもよかったなと思う。
徳川斉昭、藤田東湖、野口雨情、野口哲太郎、風船爆弾、石炭、岡倉天心と横山大観など、知らなかったことを旅行する前よりか少し知った。
西郷隆盛が藤田東湖に会い、学び、感動したことも初めて知った。
「旅は学びである」と、夫が最近言うのだけど…。

「永遠の0」の坂井三郎さんを知らなかった。
夫に言えば「知っていたよ」と。
そうかと思う。


野口雨情が最初の妻ヒロさんと協議離婚したこと、晩年は手紙のやりとりがあったとお孫さんの不二子さんが言われた。
2回目の奥さんは中里つるさん…たくさんのお子さんが生まれる。
室蘭新聞にいたことも石川啄木と交友があったこと、ともに新聞社で机を並べたこと…いろいろおもしろい。
日本中を回って小唄も作っている。すごいなあ。
さかのぼって、中退するのだけど、早稲田大学で坪内逍遥に会ったのが大きかったのではないかと夫は言う。

話は変わって今晩はお好み焼き。
そして、磯原のべったらをまねてこんにゃくをゆでて見ました。

風船爆弾、こんにゃくでのりを作っていたというのも驚きでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野口雨情の生家・記念館そして風船爆弾

2014-01-13 20:42:27 | Weblog
偕楽園の好文亭。
千波湖(せんばこ)に寄ってきた白鳥。まだまだたくさんいたし黒鳥もいた。
夫が「みにくいアヒルの子」の話をする。


野口雨情の生家。
東日本大震災で傾き、床上浸水したという。昨年9月に工事も終わり、まっすぐ建っていました。震災のすごさを想う。

野口雨情の資料館。
雨情の生涯を知る。
いろんなことがあったのだなあと思う。波乱万丈。
そして、お孫さんの野口不二子さんから直々いろいろな話を伺う。
夫はへそくり(うふふ…だ)でCDつきの野口不二子さんの本を買う。水戸藩士の流れ、藤田東湖など夫は私とは別世界で理解している。
初め、いらっしゃらなかったお孫さんに会えたのも何かのご縁だ。
東日本大震災のとき、貴重な親族の哲太郎の「鶯谷集」を持って逃げられたことは、何よりもよかった。ひと月くらい前に、生家から膨大な資料を自宅に運んでいたのも、なにか、虫の知らせだったのかとおっしゃる。不思議だ。そうしなかったら、今そのものはないと。水浸しで。
北原白秋、西条八十、野口雨情か。


野口雨情の記念館。
「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」などの曲が流れる中、鑑賞する。
彼は、いい作曲家に恵まれたのだろうと思う。
中山晋平、本居長世など。
歌は、心に残る。自分はいなくなってもずっと残ると。
私たちが口ずさんできた歌の多くは野口雨情だ。
聞くことで、歌うことで、昔を思い出し、ふるさと、父母を想い、元気が出てくる不思議なものだ。
たくさんのお子さんがいたのだけど、千穂子、美穂子というお子さんもいらっしゃったのを楽しく見る。

今回、磯原に行ってよかった。
行く途中に「ばってら」という田楽こんにゃくを子どもたちから買う。
各戸からお正月飾りをもらって、どんと焼きで焼くという。そのついでに売っている。ゆず味噌のそのこんにゃくのおいしいこと。

雨情以外に、磯原に関したものを展示してあった記念館だったのだけど、びっくりしたのは「風船爆弾」の存在。
偏西風に乗せてアメリカに飛ばした。約9000余りを飛ばして、着いたのは1000あったのかどうか一説には300弱。
オレゴン州のお子さん方と妊婦さんが犠牲になったという。

風船爆弾…。戦争というものはいろんなことをさせたのだ。
それにかかわった女性たち。極秘に作られていたということ。
今「永遠の〇」を読んでいるが、戦争は人を人にしない。狂気の沙汰だ。
ざまざまな戦いは、いろんな地名、戦略と理解するのが容易ではないが、ひとり一人の命は大事じゃないのか。

磯原、海に面した素敵な町だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする