<第47話は「哀しくとも」。「刀伊の入寇」(寛仁3年、1019年)に
巻き込まれたまひろ(吉高由里子)と乙丸(矢部太郎)は翌年、
藤原隆家(竜星涼)とともに都に生還。藤原彰子(見上愛)への報告のため、
土御門殿を訪れた。 帰り際、藤原道長(柄本佑)とバッタリ再会。
見つめ合っていると、女房が「北の方様がお呼びでございます」。
源倫子(黒木華)の元へ向かった。倫子「お帰りなさい」
まひろ「ご心配をお掛けしたこと、娘から聞きました」 倫子「今、あなたが
初めてこの屋敷に来た日のことを思い出したわ。誰よりも聡明で、
偏つぎを1人で皆取ってしまって。ふふふふふ」
まひろ「ご無礼いたしました。世間知らずで、お恥ずかしゅうございます」
倫子「五節の舞にも、私の代わりに行ってくれたわね。倒れたと聞いて、
申し訳ないことをしたと思ったものよ。懐かしいわね。それで、あなたと
殿はいつからなの?(微笑み)私が気づいていないとでも思っていた?」
まひろの顔は氷のように固まった。 スポニチアネックスより>
目の前で周明は矢でなくなってしまった。
何を言いたかったのはだいたいわかったけど凄く残念だった。
大宰府や京では異国人の襲来を懸念して、あちこちに配備の準備に
かかっていた。
頼通?は倫子(母)から「上に立つものは苦しいもの。」と、諭すように
言われていた。上に立つってどんな立場でもつらいだろうから、人に聞いても
助言などもらうものではないということなのか?つらい立場だ。
本人の裁量次第、道長はそれを貫いてきたからな~。
いくらまひろに弱音をはいても、戦のことになれば裁量次第だったろうから。
2ヶ月後、実資の言葉に誰もが返事をしなかった。
(大宰府への兵を送ることにかんしてだったか?)
まだこの時はまひろは大宰府にいた。
京で宮仕えしていた賢子、道長は彼女(賢子)のことを気にかけていた。
大宰府で長々滞在していたが乙丸が、とうとう根を挙げてしまった。
泣きながら「京へ帰りたい。きぬに会いたい」と懇願していた。
本当はよそへ回るつもりが行かれなくなったからね。
藤原隆家が京まで連れて帰ってきた。(長道中ご苦労様)
乙丸さっそくきぬさんに紅を渡していた。凄く喜んでいたね。
(京にもあるだろうに…下働きのものは紅など使わないのが普通
だった時代、紅をもらえば女は喜ぶよ。宮仕えなんかしてないんだから…)
帰ってきたことをまひろは彰子に報告したら、「そばにいてほしい」と
懇願されていた。「賢子ではご不満でしょうか?」と聞いたら、
「まだまだ若輩もので、そなたがいてほしいです」と言われてしまったが、
自分の務めは終わったのだということを話していた。
彰子としてはまひろは母以上に頼れる人となっていた?
彰子と会った後にばったり道長と出会ったが、言葉も交わさずに…
道長の顔が微妙だったが、ホッとした顔になっていた。
(大宰府での話を文で知っていたので心配していたからね)
まひろは倫子から呼ばれて出向く。
大宰府でのできごとをねぎらった後に道長の話になって…
「それで、あなたと殿とはいつからなの?(微笑み)私が気づいて
いないとでも思っていた?」
この一言は強烈だったね~。この言葉は道長に言った言葉だったと思ってた。
2人に投げかけた言葉だったのか~ 😲
最後になって倫子さん嫉妬していたことをバラして、もうこれ以上は
許されないからの意味だと私は思ったが…
まひろも自分の道は自分の道だと悟りなが余生を生きましたで終わるのかな。
変な終わり方しないでほしいな~。