<第40話は「君を置きて」。まひろ(吉高由里子)の書く“光る君の物語”が
相変わらず宮中の話題になる中、一条天皇(塩野瑛久)が体調を崩し、
不穏な空気が漂い始める。占いによる不吉な予兆が藤原道長(柄本佑)に
報告され、次期皇位をめぐる公卿たちの動きが加速。
中宮・藤原彰子(見上愛)が一条天皇の容態を心配し、まひろが付き添って
いると、現れた道長に対して彰子が感情をあらわにし…という展開。
寛弘8年(1011年)。占いには「崩御の卦」。大江匡衡(谷口賢志)と道長の
会話を聞いてしまった一条天皇は、譲位を決意した。
藤原定子(高畑充希)との子・敦康親王(片岡千之助)が次の東宮になる
ことを望んでいたものの、藤原行成(渡辺大知)に説得され、
彰子との子・敦成(あつひら)親王の立太子を承諾。彰子は激怒した。
「病でお気持ちが弱っておいでの帝を、父上が追い詰めたのですね」
「信じられぬ!帝は、敦康様を次の東宮にと、私にも仰せであった。
心が変わるはずがない」「まだ4歳の敦成を今東宮にせずとも、敦成には
その先が必ずあります。それに、敦成の母でもありますが、敦康様の母でも
あるのです。敦康様をご元服の日までお育て申し上げたのは私です。
2人の皇子の母である私に、何の相談もなく、次なる東宮を敦成と
お決めになるなぞ、とんでもなきこと。父上は、どこまで私を軽んじて
おいでなのですか!帝にお考えを変えていただきます」
道長は「政を行うは私であり、中宮様ではございませぬ」と制止した。
6月。一条天皇は譲位し、25年に及ぶ一条朝は幕を閉じた。
居貞親王が三条天皇(木村達成)となり、敦成親王が東宮となった。
定子の娘・脩子内親王(海津雪乃)は「これが、我らの宿命なのか」。
敦康親王は「致し方ありませぬ」「父上のお姿を見ておったら、
帝というお立場のつらさがよく分かった。穏やかに生きていくのも
悪くなかろう」と受け入れた。 一条天皇は出家。「露の身の 風の宿りに」。彰子は一条天皇の手を握る。「君を置きて 塵を出でぬる 事…(ぞ悲しき)」。彰子は「お上!」と泣き崩れた。「辞世の歌を詠じた翌日、一条天皇は崩御した」 行成は「権記」に、道長は「御堂関白記」に記し、涙した。
32年の生涯に幕。 スポニチアネックスより>
おおかたこのあらすじなので…
出だしの部分を少し。
中宮やら一条天皇、まひろを含め藤壺にいる女御が集まって…
まひろが書いた物語を読み進めていた。
それを聞きながら一時を過ごしていた場面に道長もいた。
女御たちが不実の関係の話を道長にふっていた。
道長は「不実はあってはならぬが、自分に返ってくる」と答えたら、
女たちが驚いていた。倫子様一途だと思った人もいたのか?
「そんな話、道長様から初めて聞きました」と目を丸くして驚いていた。
言わないのが男だが、まひろがそばにいたから…ついつい言ってしまったとか?不実だとわかっていてまひろと逢瀬を重ねていた?なんだかね。
側室もいたわけで…
ここから後は一条店の王が亡くなるまでの話。
その中で一条天皇がどうなるか占っていた場面があった。木細長い木に
横線が入っていて、細長い木上に置いたり、下に置いたりして吉凶を
占っていた。陰陽師ではなくなったんだね。安倍晴明ほどの陰陽師は
いなくなったのだろう。占い師は「占いではこの世の変わることで…
一条天皇は亡くなる」と言って去って行った。
いつまで占いや陰陽師を頼っていたのだろうか?平安時代がおわるまで
陰陽師はいたと思うが、清明の後釜はいなかったということか…
その途中で、、賢子が物々交換した後にもらったものを盗まれた。
それを助けた輩は双寿丸(伊藤健太郎)という若武者だった。
ノコノコ、賢子の家までついてきて、ごはんムシャムシャ食べている
ところにまひろが帰ってきた。「この人誰?」状態。
(いとさん、なぜご飯茶碗にあんなにこんもりごはん盛ったんだろうか?
おいしそうに食べてはいたが…💦)
これから賢子ちゃんとこの若い双寿丸がどういう関係になるのか楽しみです。