私がコミュニケーション好きなのは皆さんご存知と思いますが,私の日常を見渡してみると,ほとんどの時間がコミュニケーションに費やされていると言っても過言ではないです。特に夜の時間で仕事しているときのほとんどは,コミュニケーションでしょうか。
今日も,午後から六本木で仕事ですが,建設業界における「マネジメント」について企業の経営陣と議論し,夜もお酒を飲みながらの意見交換会です。すべてコミュニケーション。私の考えも伝えますが,私も多くを学び,議論することで新たなビジョンや連携も生まれてくるでしょう。
さて,一方で,私の属している研究室においては。
近年は,総勢で30名近い集団となっています。研究室に所属する期間は人によって違いますが,学部・修士と経験する最も多いパターンでは3年間所属します。
研究室に所属する目的は人それぞれです。指導を受ける教員の選択肢も複数あります。
ですが,私がほとんどコミュニケーションを取らないメンバーは結構います。
私と教授のコミュニケーションも,私と日常的に連携している外部の研究者とのコミュニケーションの量・質に比べると,ほぼ無いも同然です。
同じ組織に属していながら,不思議なものですね。
私はよく,「手段の目的化」に警笛を鳴らし,「目的」や「ニーズ」もしくは「ゴール」から思考することの大切さを説きます。このような考え方をできる人たちにしてみれば,「当たり前」だし,実はこちらの方がすごく簡単なのです。私は今後,何かプロジェクトにチャレンジするときに,「手段」から考えることを一切しないと思われます。それぐらい,「目的」から考える方が自然であり,近道で,簡単なのです。
ところが,我が研究室に所属している学生で,何度も聴いているはずのこのやり方を実際に実践できる人はあまりいません。
昨年の4年生の鞆の浦の研究を行った赤間君は,これをできる学生でした。
本人の資質もあると思いますが,私とのコミュニケーションの量・質が多く高かったことも一因と思います。フィロソフィーだけ聞いても実践しなければ身に付くわけがありません。彼の直面している課題に対して,「目的」から思考することはどういうことで,どのように「手段」を使い,身に付けて行けばよいのかを,彼は日々考え,実践し,悩んだときは私とコミュニケーションしました。
「コミュニケーション」こそが,私の研究室に属して得られる最大の財産だと思うのですが,あまりにも身近にいると,「怖かったり」,まさに本来の目的から目をそらしがちになり,コミュニケーションがおろそかになるのでしょうか。
人間とは一方が避けると,もう一方も避けるようになります。自分に関心を示してくれる人は他に無数にいるので,わざわざ相手をする必要もないからです。
私もどんどんと学生と年齢が離れて行きますので,自分自身も工夫したり改善して,外の人とばかりコミュニケーションすることにならないようにしないと...