種々の事情で難航していた,研究室の学生の研究テーマの調整が最終段階に入ってきました。
学部4年生で私が指導教員を務める学生のテーマで,コンクリートの研究がゼロになりそうです。
いろいろな事情で,私が指導する4年生は2人になりそうです。2人とも,コンクリートではなく,防災をテーマに研究することになりそうです。
修士1年生は,私の指導は6人となる見込みです。全員がコンクリートの研究です。
いろいろと事情があるのですが,今年度後半から私が不在がちになることも理由の一つです。コンクリートの研究はどうしても追込み型になりがちなので,学部4年生でコンクリートの研究を指導しないということは,かなり身軽になれそうです。学部4年生と研究をしたいという気持ちもありましたが,解放されることもたまにはよいですね。
何でも抱え込み過ぎることもよくないので,少しは身軽にさせていただいて,海外での時間を有効に使わせていただきます。
身軽と言っても,ドクターの学生の他に,修士2年を4人抱えていますので,身軽になることをもっと喜ぶべきなのかもしれません。
大学というところは不思議なところです。
私が知っていることは国内の大学のことがほとんどであり,また教員として勤務した経験は横浜国立大学だけなので,限られた知識なのかもしれませんが,もうすぐ10年近くの経験になりますので,私の言うことは著しく的外れなことでもないかと思います。
まず,大学の役割は大きいと思います。世の中から無くなったら結構大変かなと思います。
分野によって違うかとは思いますが,世の中に相当に貢献できる可能性はある組織です。私も研究室を構えていますが,同じような社会システムの中の大学の研究室でノーベル賞を受賞するような研究者も日本にはたくさんいるわけですから,やはり大学のポテンシャルはすごいんですね。
Civil Engineeringの分野での大学の果たせる役割も相当に大きいと思います。果たせるかどうかは個人次第ですが,やり方によってはかなりのことができるように感じます。
一方で,大学ほど腐りやすい組織もない。世の中と徹底して交わることも可能ですけど,世の中から隔絶することも可能。
また,大学にいると,企業に比べると,批判されることも少ないので,自己批判するしかない。それが甘い人は腐る。特に,若い時から教員で,自分が研究室のボスで,学生とばかり接していると,誰も批判しなくなるので,この状況で腐るなと言う方が難しいのかもしれません。
これだけ流動性が高く,激動と言える世の中で, 活動レベルの低い研究者,教員が非常に高給を受け取り続けている場合も少なからずあるでしょうから,やはり矛盾を感じます。大学だけではないかと思いますが。
シニアの教授で本物の方々はしっかりと君臨していただければと思いますが,本物でない方々が居座り続けていることの弊害はこれからますます目立ってくると思います。我々若手(中堅?)も相当な業務や負担を抱え込んでおりますが,明らかに我々より高給取りで,我々よりも業務量・貢献度の少ないシニアは存在すると思います。私の場合,給料がモチベーションではありませんが,何でもかんでもできるわけではありません。
しかるべき年齢で一度活動状況を精査して,継続的に登っていただくのか,再雇用等で給料も大幅に見直すなど,何らかのアクションは必要でしょうね。
近年,あまり以上のようなことは思わなかったのですが,いよいよ日本も本当の激動ステージに入ろうとしていますので,大学も本格的に変わるべきと私が感じているのかもしれません。