令和に入ってしばらくブログを更新していませんでしたが、新年度に入って2ヶ月が経過しました。梅雨入りもしたようで、今日は母の古希のお祝いを家族で1泊2日でしますが、かなりの雨です。
10連休や、5月19日の2年連続での大槌ヒルクライムへの出場(完走、昨年より5分程度タイムを短縮)、初めてのポーランドへの出張とアウシュヴィッツ訪問、高校生を対象とした夢ナビでの30分+3分講義、等いろいろありましたが、段々と日常に落ち着いてきました。その間、締切りを大幅に過ぎてしまった原稿などもありましたが、何とか仕事も追いついて、巻き直しに向けて一息、といったところです。
昨日、都心での仕事を終えた後、久しぶりに水泳をし、1100mのスイム。今朝はお祝い会に出かける前にジムにて5.7kmのRunと1100mのスイム。やはり、日常で、しっかり体を動かして、当たり前のやるべきことをやる、という時間が自分にとってはとても快適です。
当たり前のことを当たり前のように継続する。それが本質なのだろうと思います。
今年度も2ヶ月半が経過しました。私のような凡人の場合、基本的には1年間を一つのプロジェクトと捉え、その間にしっかりと成果を得られるように事前設計し、種まきをし、メインの活動をし、刈り取っていく、ことがルーチンです。やはり1年単位で、自分の役割も大きく変化するし、数年や10年単位で考えることもありますが、基本は1年を見据えます。山あり谷ありですが、一応の区切りのある1年間の毎日をコツコツと積み重ねるしかありません。
ヒルクライムにしても、今朝の30分のRunにしても、終わりはあります。一応見えている終わり、山頂に向かって、自分を奮い立たせて、しかしやるべきことは目の前の一歩一歩しかない、この感覚が今の自分にはとてもフィットします。そして、目標を達成したときの達成感は自分を根底から支えてくれる自信を強化してくれます。
また、当たり前のことを一つ一つきちんとやっていく、ということは実はとても幸せなことです。アウシュヴィッツで感じたこと、その前後で再読した「夜と霧」から感じたことには触れませんが、日常を過ごせる、とは幸せなことです。その感覚が、特にポーランド出張の後は強くなり、長女のお弁当を作るとき、学生や共同研究者たちと打ち合わせをするとき、水泳での一かき、Runningでの一歩一歩、などに幸せを強く感じられるような感覚が戻ってきました。
私のような平凡な研究者にとっては、とにかく継続するほか、一級に迫っていく方法はありません。平凡であろうと、真摯に目的を考え、妥協せず、しつこく取り組んでいれば、他の誰もが発見し得ないようなことにも偶然に遭遇したり、信頼できる多くのデータの積重ねで新しいことを提言できたり、あまりにも失敗を繰り返しているので経験値が増えたり、と多少なりとも社会に貢献できるようになるのかと思います。
一人の人間ですから、自分の行動、生き方には一貫した哲学を持ちたいものです。研究者、教育者、エンジニアとしての振舞い、生き方と、趣味や日常の過ごし方にも、自分なりの哲学を貫きたいと思います。
今日の午後から明日の昼にかけては、私の親愛なる母の古希のお祝いを、家族揃ってお祝いできるとても大切な時間です。皆で心をこめて準備をしてきたので、ささやかではありますが、母が幸せな時間を過ごしてくれると嬉しいです。