細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(73)「福島モデルにみる日本の電力安定供給のあり方」秋田 修平 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 10:04:13 | 教育のこと

「福島モデルにみる日本の電力安定供給のあり方」秋田 修平

 我々が普段利用している電気であるが、この電気(電力)の安定供給を支えているのはどのような技術なのであろうか。電気を作る技術と聞くと、多くの方が「発電所」という施設をイメージするのではないかと思う。

 それでは、現在の日本で最も多くの電力を供給しているのはどのような発電方式なのであろうか。総務省「エネルギー白書2021」*1によると2019年度の日本における一次エネルギー供給は37.1%が石油、25.3%が石炭、22.4%が天然ガスによって賄われている。このデータを参照するに、日本の電力供給には火力発電の技術がとても重要であるということがいえるであろう。特に、石炭は存在している地域が比較的分散されており、エネルギーの安定供給という面でも日本に必要なエネルギー源であるように思われる。

 では、さらに日本の火力発電で使われている化石燃料の運搬方法に着目してみるとどうであろうか。現在、日本の火力発電で使われている化石燃料のほとんどが海外からの輸入によって賄われている。つまり、海外から日本へと電気の源を運んできているのである。そして、この化石燃料の輸入に関してとても重要な役割を果たしている施設の一つが、福島の小名浜港である。福島というと原発のイメージが強いかもしれないが、広野や相馬、勿来といった沿岸地域には多くの火力発電所が点在しており、小名浜港はこれらの発電所に原料を届けるために大きな役割を果たしている。また、小名浜港は国際バルク戦略港湾として国に指定されており、近年でも国土交通省が大水深岸壁の工事に取り組むなど、日本としてもその整備に力を入れてきた経緯がある。さらに、これらの発電所で作られた電力は首都圏へと送り届けられており、福島の発電施設は首都圏の電力需要を賄う上で重要な役割を担っている。この電力の多くが小名浜港に輸入された化石燃料をエネルギー源とする電力であることを考えると、その重要性が実感できるのではなかろうか。

 ここまでで、日本の電力供給の現状を分析することにより、火力発電の必要性とそれを支える小名浜港(港湾の土木工事)の重要性については確認することができたように思う。ここからは、この現状と現在の日本の政策について考えていきたい。現在の日本は、2020年10月に菅首相が2050年での炭素排出実質ゼロを目指すという目標を掲げるなど、脱炭素への道を歩んでいるといえる。では、この「脱」炭素は日本にとって本当に歩むべき道なのであろうか。ここまで述べてきた日本の現状を鑑みるに、脱炭素にはより慎重な議論が必要なように思われる。日本はこれまで、化学工学的な化石燃料の活用技術はもちろんのこと、化石燃料の輸入・運搬を効率的に行うための土木的なインフラ整備にも注力して自国の安定的な電力供給を維持してきた歴史がある。このように、資源の少ない中で様々な分野の技術を磨くことにより電力供給の安定性を確保してきたのが日本という国なのである。以上のことを考慮すると、この日本において我々が目指すべきは、これまでの技術にさらに磨きをかけることで「持続可能な火力発電」を実現していくことであるように思われる。なお、ここでいう持続可能な火力発電とは、需要に見合った発電量をより少ない燃料から確保できるように技術を磨いた上に達成される、世界的な情勢に大きく左右されない安定した電力供給を可能とする発電システムを指すものである。脱炭素の名の下に、安定的な電力を脅かしてまで火力発電の規模を縮小していくよりも、これまでの先人たちによって磨かれてきた世界トップクラスの技術を継承・向上させ「持続可能な火力発電」を目指すことこそが日本が投資をして取り組むべきことであるように思われる。なお、ここでひとつ述べておきたいが、この主張は再生可能エネルギーなどへの投資・研究を否定するものでは全くない。もちろん、太陽光発電や地熱発電などの再生可能エネルギー分野の開発・研究も必要であり、補助的なエネルギーとして再生可能エネルギーの技術を磨いていくことはとても重要である。一つの発電方法に頼るのではなく、複数のバックアップ的な方法を確立させておくという観点からも再生可能エネルギーの開発・研究は大切なことであるといえよう。しかしながら、供給の安定性を考慮すると、再生可能エネルギーにはまだ課題があるように思われる。先人たちの努力の結晶である技術を捨ててまで、脱炭素化を推し進めるだけの安定性を確立できていないのが現状であり、この現状はしっかりと受け止めた上で日本という国の方針を定めることが重視であると考えるのである。

 以上のように、日本を取り巻く電力供給の現状を分析することで、化学工学や土木といった様々な分野の技術の必要性や重視性を認識することに加えて、脱炭素化という現代社会の大きな話題に対しての新しい見方ができたように思われる。このように、まず現状を捉え、次にその現状に見合った策を考えるという2つの段階を経ることで、様々な問題に対して実現可能かつ効果的な解決方法を見出すことができるのではなかろうか。

参考文献 *1 総務省「エネルギー白書 2021 国内エネルギー動向」
      https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2021/html/2-1-1.html

 


学生による論文(72)「2本の港湾道路」 渡邊 瑛大 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 10:03:03 | 教育のこと

「2本の港湾道路」 渡邊 瑛大

 日本では、古来より列島内だけでなく大陸との貿易が盛んであり、沿岸部には数多くの港町が存在している。そして、幕末には、函館・横浜・新潟・神戸・長崎の5都市の開港によって外交貿易も盛んになった。そもそも、港町として発展するためには、港の整備を行うだけでは十分ではない。港からの物資を運ぶための交通網が整備されて初めて利用しやすい港になり、港湾都市として競争力が上がるのである。つまり、海路だけを整備するのではなく、それとともに陸路も整備していく必要があるのだ。ここでは昔から港町として栄えてきた神戸市を例に挙げて、神戸の発展に大きく貢献してきた阪神高速3号神戸線について述べていく。

 阪神高速3号神戸線は、大阪市(阿波座JCT)と第二神明(月見出入口)を結ぶ路線であり、現在は大阪と神戸を繋ぐ都市高速のメインルートとなっている。というのも元々は、名神高速を神戸まで繋げる予定だったが、費用が多くかかってしまうことからこの計画は断念され、西宮から先は暫定的に第二阪神国道(国道43号)で代替することになってしまった。その後、この国道に並行する高規格道路として3号神戸線が建設されることになったのである。そのため、この道路は、阪神間を移動する交通に加えて、名古屋・東京・金沢方面から名神高速を経由して流入する交通も捌いており、昼夜を分かたず交通量が多い道路となっている。その結果、渋滞が非常に激しい道路となってしまった。国土交通省では、1万人が1年間のうち渋滞でどれだけの時間を損失したかを示す渋滞損失時間の調査が行われているが、2019年のこの道路の渋滞損失時間は上り線が253時間、下り線が292時間であった。この値は全国の都市高速において断トツで最下位であり、状況はかなり深刻である。利用者からは渋滞の解消を望む声が後を絶たない。

 この3号神戸線の渋滞問題の元凶は、阪神高速5号湾岸線にある。5号湾岸線は、大阪市(南港JCT)から第二神明北線(垂水JCT)を目指す路線であり、もともとはこうした路線状況を改善するために3号神戸線の代替路の役割を担う道路として計画され建設された。そのため、車線数は最大で6車線、最高速度は80km/hと他の路線よりも高規格に作られている。しかしながら、現在、5号湾岸線は六甲アイランド止まりになっており、その先のポートアイランドや神戸市街方面については、名谷JCTまでの区間が未開通となっている。そこから先、神戸の中心市街地へ向かう場合は、神戸市が運営しているハーバーハイウェイを経由することになるが、接続点となる住吉浜出口でも渋滞が頻発しており、5号湾岸線で神戸市の中心市街地へ向かうのは不便である。その結果、交通が全て3号神戸線に集中し、全国ワーストの渋滞量を抱え込んでしまっているのである。

 ではなぜ湾岸線の未開通区間が整備されていないのかということだが、それには2つの大きな出来事が関わっている。

 1つ目は、阪神淡路大震災の発生である。3号神戸線の高架の橋脚が根元から折れて倒壊してしまった写真は、印象に残っている人も多いだろう。この地震はこの地域に甚大な被害をもたらし、復興費で人々の生活基盤や既存のインフラを立て直すことが優先されたため、5号湾岸線の整備をするどころではなくなってしまった。

 2つ目は2009年の政権交代である。都市計画が決定した矢先、政権が自民党から民主党に交代し、「コンクリートから人へ」のスローガンが全国に広まった。これによって、八ッ場ダムをはじめとする全国各地の公共事業が凍結された。もちろんこの5号湾岸線の建設も例外ではなかった。この政策は、国土強靭化とは真逆の行為であり、むしろ、国民を災害リスクのもとに曝す大変危険な政策であった。しかし、2012年に再び自民党政権になると景気対策として今度は公共事業が推進された。そして、2014年に建設に関して合意形成がなされ、ようやく計画が動き始めたのである。

 現在は、六甲アイランドから先の区間の整備がなされている。ここでは、六甲アイランドからポートアイランドまでの区間に長大橋が2つ、ポートアイランドから和田岬までの区間に1つ作られる予定であり、5000億円という巨額な整備費用を国と阪神高速が折半する形で建設が進められている。そして、この道路の開通によって、渋滞の緩和だけでなく、六甲アイランド、ポートアイランドのアクセスが大きく改善され、開発促進されるなどの効果が期待されている。

 また、西宮市では、名神高速と5号湾岸線を繋げる名神湾岸連絡線計画も進んでいる。この計画全体の事業費は1050億円程度になると考えられており、建設される道路は、完成2車線で最高速度60km/hの規格であり、交通量は1日あたり17000台程度になると見込まれている。しかし、名神高速の西宮ICは、他の高速道路のように、将来的な計画や構想のもとであらかじめ分岐を想定した構造になっているわけではなく、準備工事などが施されているわけでもない。そのため、現道を無理矢理改良することになり、名神と5号湾岸線方面の連絡路は、3号神戸線との連絡路を大きく迂回するような歪な構造になる。また、この周辺には阪神久寿川駅があり、住宅が密集した地域であることから、用地買収にも時間がかかることが予想され、相当な難工事になるだろうと考えられている。同様に、5号湾岸線の西宮浜JCTも、既存の西宮浜出入口を取り囲む構造となるため、広大な用地を取得する必要があり、かなり大規模な工事が行われることが予期されている。こうした大規模な工事とそれに伴う環境問題などから、地元住民を中心に、名神湾岸連絡線へ反対する声も多い。

 しかしながら、現在の阪神の道路ネットワークは、圧倒的にインフラの供給が交通需要に追いついておらず、交通問題は全くもって改善されていない。そのため、できるだけ早く5号湾岸線や名神湾岸連絡線を開通させて、交通量を分散させ、この地域の慢性的な渋滞を解消する必要がある。港湾の輸送力に対応した幹線道路の整備することで、神戸は港町としてさらに発展していくことができると私は考えている。

参考文献(2021年12月10日閲覧)
国土交通省「平成31年・令和元年 年間の渋滞ランキング(令和2年6月8日)」
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-data/pdf/highway_ranking_r01.pdf
阪神高速道路「大阪湾岸道路西伸部(六甲アイランド北〜駒栄)」
https://www.hanshin-exp.co.jp/company/torikumi/useful/wanganseishinbu/files/osakawangandouro_w210601.pdf
国土交通省「名神湾岸連絡線」
https://www.kkr.mlit.go.jp/hyogo/meiwan/img/meiwan_gaiyou2.pdf


学生による論文(71)「閘門が支える水の都」宮内 爽太 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 10:01:34 | 教育のこと

「閘門が支える水の都」宮内 爽太

 青山士が手掛けたパナマ運河は、太平洋と大西洋を結ぶことに成功した、世界最大級のインフラのストックである。さらに、パナマ運河は拡張工事によって、より多くの船の通航が可能になっており、まさにストック効果に際限なしである。

 ところで、パナマ運河は閘門式が採用されており、閘門によって水位を調節し、水位差のある河川や運河でも船が行き来できるという仕組みであるのだが、本稿では、この「閘門」が私たちにもたらす恩恵について、特に私の地元である水の都・大阪の「毛馬閘門」を軸に論じる。この毛馬閘門・洗堰については、今年の3月に帰省した際に実際に見学しており、そこで学んだことからも発展させて述べたい。

 明治時代、淀川は地盤の低い大阪の中心部を流れており、その下流部では大川・中津川・神崎川に分派しているが、ひとたび淀川で洪水が発生すれば、大阪の市街地には大きな被害を及ぼしていた。このような水害から大阪のまちを守るべく、満を持して現れたのが「日本の治水港湾工事の始祖」と称される沖野忠雄であり、彼によって行われたのが「淀川改良工事」であった。この工事にて、淀川は大阪市中心部から北へと移り、現在の淀川である、「新淀川」を開削した。おかげさまで、大阪の中心部での洪水の被害を減らすことができたのだが、ここで注目すべきはその新淀川(以下、「淀川」という。)と淀川(以下、「旧淀川」という。)が分岐する場所に設置された毛馬洗堰と毛馬閘門の2つの代表的な土木構造物の存在である。

 淀川と旧淀川の水位差はおよそ1mで、毛馬閘門によってこの水位差をコントロールし、大阪の中心市街地を流れる河川へと、船を導いた。また、毛馬洗堰では水量の調整が行われた。これらの土木構造物の活躍により、大阪市内の水害に対する防災力を高めると同時に、水運の発達を遂げ、日本を代表する水の都としての地位を確立させていくことができたのだ。

 このように、水の都の一時代を築いた毛馬閘門と毛馬洗堰は、「毛馬閘門・洗堰群」として土木学会の選奨土木遺産に選ばれており、さらには「淀川旧分流施設 毛馬第一閘門」として国の重要文化財にも指定されているのだ。どんな土木構造物でも、一つひとつに意味があり、一つひとつに偉人が関わっており、非常に価値があるということを、大阪人には改めて知ってほしいものである。

 ところで、この淀川に新たな閘門の整備計画が立ち上がっている。それが「淀川大堰閘門」である。この整備計画は、先に述べた毛馬閘門の見学と同時期の今年3月に国土交通省近畿地方整備局から発表された。

 大阪の急激な人口増加による下水道整備の遅れによって、水質が悪化してしまった市内の河川の水質改善のために、淀川大堰は整備されたのだった。しかし、先に述べたように、旧淀川は毛馬閘門によって船の行き来が可能になっているが、一方の淀川では、この淀川大堰によって航路が分断されてしまっている。

 そこで、現在ある淀川大堰のすぐそばに新しく閘門を設置し、淀川の船の行き来を可能にするというのがこの計画である。これが実現すれば次の3つの役割が期待される。

 1つ目は、舟運による災害時のバックアップである。特に地震災害を考えた時、鉄道や道路をはじめとする陸上交通が寸断される可能性が高く、そうなってしまうと陸上からの被災地へのアプローチは厳しくなる。しかし、船を活用すれば、水上から被災地にアプローチをかけることが可能になり、速やかな復旧作業が可能になる。実際、阪神淡路大震災や東日本大震災の時にも、船による物資や人などの輸送で、麻痺した陸上交通に代わって重要な役割を果たしていた。また、本日の講義でもあったように、船というのは大量の荷物を運ぶことができるという点が強みである。そのため、緊急時に被災地に向けて支援物資などを運び込む際にも、一度に多くの物資を提供できるという点でも、やはり舟運が活躍する。さらに、旧淀川と淀川の両方が運航可能になることにより、海上交通のリダンダンシーにも期待できる。次の南海トラフ巨大地震に備えるべく、この淀川大堰閘門の整備には大いに期待できる。

 2つ目は、舟運の工事への活用である。現在、淀川大堰より下流側には、何十本もの橋梁が架けられており、JRや阪急、阪神、大阪メトロの鉄道橋に加え、阪神高速道路や新御堂筋(国道423号)などの道路橋といったように、名だたる大動脈ばかりが走っている。これらの橋梁の架け替え工事や補修工事を行う際には、船を使うことで水上でも作業が可能になる。実際、既に阪神なんば線の橋梁の架け替え工事や、阪神高速道路淀川左岸線の工事に船舶が活用されている。これらの大動脈をこれからも支え続け、ストック効果を発揮させ続けるためにも、この閘門を整備する価値は非常に高いと考えられる。

 3つ目は、沿川地域の活性化である。まずこの閘門が整備されると、京都と大阪が航路でも結ばれることになる。淀川沿川地域には多くの観光資源があり、京都の八幡の背割堤から沿川を巡って大阪へと向かうという、新たな魅力的な観光ルートも考えられる。さらには、2025年には大阪・関西万博の開催が予定されているが、その会場である夢洲までの航路も実現する。また、大阪は水の都と呼ばれるだけあって、水辺空間を活用したまちづくりや観光産業にも優れている。この閘門がまちづくりにおいても秘めているストック効果は計り知れない。

 以上の3つの期待される役割を述べてきたが、結論としては、淀川大堰閘門を整備することにより、大阪の防災力の向上、大動脈の長寿命化、そしてまちの活性化に繋がる。

 そして最後に、毛馬閘門の近くには、沖野忠雄の銅像があり、そのすぐそばにある石碑には、「沖野忠雄は一生を土木技術者としてささげ―」と刻み込まれている。沖野忠雄の一生の一部を、私が育ってきたまち・大阪に捧げてくれたことには本当に感謝しきれない。今まで活躍してくれた毛馬閘門・洗堰に感謝するとともに、今でも活躍する現役の毛馬閘門と、この新たな淀川大堰閘門によって、水の都のさらなる発展に期待したい。

参考文献
・国土交通省近畿地方整備局Press release「淀川大堰閘門の整備に令和3年度から新規着手します ~淀川舟運の活性化により、防災力を向上、賑わいを創出~」
https://www.kkr.mlit.go.jp/news/top/press/sih68m000000bbec-att/20210330-1yodogawaozekiseibi.pdf
(最終閲覧日:2021年12月10日)
・株式会社建設技術研究所「日本最大級の淀川大堰の設計・施工計画」
http://www.ctie.co.jp/project/project43.html
(最終閲覧日:2021年12月10日)
・国土交通省淀川河川事務所HP 「淀川の舟運」
https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/index.html
(最終閲覧日:2021年12月10日)

 


学生による論文(70)「過酷な環境と快楽な環境が人間に与えるもの」 松尾 祐輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:59:51 | 教育のこと

「過酷な環境と快楽な環境が人間に与えるもの」 松尾 祐輝

 土木事業は大がかりかつ危険を伴うものであり、工事の環境は過酷であることが多い。現代においては多くの技術や知恵、そして人手が投入され、そこまで過酷なものではなくなってきているかもしれないが、数十年~数百年前の環境は講義を聞く限り過酷そのものである。講義の動画ではパナマ運河の建設と荒川分水路の水門の建設が話題になっていたが、パナマ運河の建設環境はあまりに過酷なものに感じ、荒川分水路の水門の建設環境もパナマ運河ほどではないが過酷なものには違いないと感じた。さて、現代の仕事に過酷な環境を伴うものはどれほどあるだろうか。過度な労働時間の増大やパワハラなど、人間環境にまつわる過酷さはいくつか残っているように思うが、大半が快楽な環境ではなかろうか。このような過去と現在の環境の違いは、人間に全く違うものを与え、全く違う人間をつくり、国の豊かさにも変化を生じさせる。そして、未来の1世代や2世代後の環境にも影響を与えることになる。レポートでは、過去と現在の環境の違いおよび未来に想定される環境について、近い将来に就職を控える大学2年生の思いをまとめ、そこから未来の環境を良くするために現代人ができることを考える。

 過去の環境について少し掘り下げる。パナマ運河のある中米は、酷暑やスコールなどの厳しい気候、ジャングルやそこに住む危険生物が形成する厳しい自然環境、マラリアや黄熱病などの疫病を抱える場所であり、パナマ運河の建設に携わった土木偉人の青山士はこのような環境での土木工事を経験した。この工事はまさに「自然と共生するための闘い」であり、昔の土木行為の本質を表しているように思える。また、青山士は荒川分水路の水門(岩淵水門)の建設にも携わっており、パナマ運河ほどではないが、軟弱地盤下における工事や新たな工法(鉄筋コンクリート工法)の導入など、さまざまな困難を伴う土木工事を成し遂げた。このような過酷な環境は、人間を強くし、自信に満ちあふれる人をつくり出す。人は緊急時にこそ本能的に本領を発揮するからである。そして、過酷な環境下での努力は功績につながり、現代人の間で「偉人」として称される。仮にもその功績が生きている間に認められなかったとしても、亡くなった後にストック効果で人々に絶大な利益を与えるのである。

 現在の環境、いわゆる快楽な環境について私の思いを述べる。私は数年後に就職して社会人になる予定であるが、正直、力仕事や過酷な仕事はあまりしたくないと思っている。前段落の過去の環境を踏まえるとこれは甘えであるかもしれないが、現代は先人の努力によって多くの人が比較的快楽な環境で働ける状況にはなっていると考えているため、多数派の考えではあると思う。人間の本性から考えて、多くの日本人は豊かに生きようとするとどうしても快楽な環境の方を取りたくなってしまうであろう。そして、大半の日本人は楽な方の人生を選択し、一部の日本人は楽な方を選択しているという事実にすら気づかず甘えっぱなしの人生を送るのではないだろうか。次段落の未来の環境のことを考慮すると、これはどうにかして改善すべき問題である。私はただ甘えるだけの人生にはなりたくないため、快楽な環境は上手に活用しつつも、自主性・主体性をもって社会問題を解決していきたいと思っている。そして、取るべきと判断したリスクは取り、自分でマネジメントできる範囲で過酷な環境を一部選択していく心構えも持っておきたい。

 未来の環境を考える上で、現在のような環境を現代人の努力によって未来に伝えることができるかどうか、が論点になる。結論として、未来においては現在あるような快楽な環境はあまり期待できず、過去と似たような過酷さが返ってくる可能性もあると考えている。現在の日本の衰退傾向やこの先の人口減少の傾向は、1人当たりの豊かさを小さくする要因である。また、快楽な環境に甘えて過ごす人が増えると、現代人の努力量は期待するほど確保できず、未来にこの環境をつなげることは難しくなる。なお、過去の偉大な土木事業によって、現在人間にとって自然はあまり脅威ではなくなってきているように思えるが、当然すべての問題が解決されたわけではない。むしろここ数十年は運よく自然災害が少なかったと考える方が理にかなっている。そのため、将来起こり得る問題を確実に想定し、解決策を能動的に考える力が求められるはずである。

 ちなみに、もし1世代後の未来に再び過酷な環境が訪れた場合、1世代後の人は過去の人と同じようにたゆまぬ努力をして、2世代後の未来に快楽な環境をもたらす(現在の我々と同じような道を歩む)という可能性が考えられる。こうなれば、偉大な土木偉人や技術が2世代間隔で発生するため技術の継承という面では良いかもしれないが、できることなら快楽で豊かな環境を永続的に保つことを目指したいところである。

 では、未来の環境を永続的に良くするために、我々現代人ができることとは何であろうか?その答えは、今までこのレポートで述べてきたこと、すなわち「過酷な環境を知り、快楽な環境を勘違いしないこと」ではなかろうか。現代人みんながこのことを自力で気づくのは難しいであろうが、自力で気づけたわずかな人たちから周りの人たちへ広げることは可能である。なぜなら、過去に比べて現在は多様な技術や人材が存在し、本気を出せばすぐに広めることができるからである(本当は「土木史と文明」の講義をオンデマンド化して誰でも見られるようにするのが手っ取り早いだろうが、そうできない事情もあるので致し方ない)。

 土木の数々の歴史を学べるこの講義から、また一つの偉業を学ぶことができた。とりあえず今の私たち(受講生)にできることは、このように講義から学んだことを言語化し、将来誰かに知見を伝えるための準備をすることであるかもしれない。

 


学生による論文(69)「現在と未来の日本の水運」 前田 頼人 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:58:32 | 教育のこと

「現在と未来の日本の水運」 前田 頼人

 多くの先進国がユーラシア大陸や北アメリカ大陸に位置するのに対し、日本は島国である。イギリスなども島国の先進国であるが、ドーバー海峡をトンネルでユーラシア大陸と結ばれ、未だに物理的に独立している先進国は日本だけである。基本的に島国は他国との貿易が難しく、独立した経済圏を創出することが多い。このような状況で、日本が先進国に這い上がることができたのは、先人たちの「海」の使い方が非常に匠であったからだ。教科書にある通り、江戸時代に全国を一つの経済圏として成り立たせていたのは水運の発展である。しかし、残念なことに日本の港は以前ほど貿易力と経済力を発揮していない。

 日本人は物や人の移動に関して特徴的な感覚がある。それは「時間」である。日本人は時間に対して、「正確さ」を特に求める。この日本人特有の「時間」感覚は、海の状態に左右される水運よりも輸送時間が正確かつ短く済み、輸送の自由さもある鉄道やトラック輸送のほうが適している。そのため、国内の人や物の移動は多くの場合陸路を選ぶべきだろう。

 しかし、対外的には別である。国土交通省の世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキングの20位以内を見ると、1980年では4位に神戸、13位に横浜、18位に東京が位置していたが、2020年では最も順位の高い港が19位の東京、横浜、川崎を合わせた京浜港になってしまった。取扱量は1980年よりも大幅に増加しているが、上位のほとんどを中国、韓国、シンガポールが埋め尽くしている。取扱量も桁数が1つ違うほどである。以前は、ハブ港として日本の港は規模でも機能面でも世界トップクラスであった。しかし、大型化し進化する船舶に合わせた港の整備を進めず、時間的にもフレキシブルな対応をとらないために日本の港は没落してしまっていた。では、港のハード面とソフト面の双方で周辺国に負け、日本は先人のように海を武器に日本を発展させることはできないのか。そんなことはないはずだ。日本の港とランキング上位の港との違いは大きく分けて2点ある。1つ目は、コンテナターミナルのゲートオープンの時間帯である。例えばシンガポールの港では24時間体制で船舶を迎え入れることができ、利便性が非常に高い。2つ目は、港の設備体制である。船舶の大型化に伴い、大型船舶が寄港できる港が減ってしまった。他にも様々な違いや劣っている個所はあるだろう。では、日本に強みはあるのだろうか。

 日本の大きな強みは安心と安全、そして日本人特有の正確さ、勤勉さだ。現在、コロナウイルスによるパンデミックが収まらないだけでなく世界情勢が複雑化、特にアジア情勢の変化が激しい時代なので、日本のこの強みは大きく支持されるだろう。大型船舶の寄港を可能にする港湾の整備も、技術がトップクラスのマリコンが存在する日本では不可能ではない。港を整備し、ハブ港として再び日本の港が大きく活躍する時代が来ることは日本経済の活性化にもつながる。やはりこの点でも、港の整備すなわちインフラの投資が大きな要となっているが、それを叶えることができるのは政府のみである。結局のところ求められるものは、インフラ投資とそれを支える勇敢な国である。

(参考文献)
国土交通省 白書・オープンデータ 統計情報 世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキング(1980年,2020年(速報値))
https://www.mlit.go.jp/common/001358398.pdf


学生による論文(68)「日本版」 服部 さやか (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:57:30 | 教育のこと

「日本版」 服部 さやか

 前回の論文では日本とバンクーバーを比較し、日本がバンクーバーから学ぶべき点について論じた。今回はその続きとして、日本はなぜ政府・企業・市民の繋がりがこれほどまでに希薄なのか、また何をすればこれを改善しバンクーバーのように3者が協力してまちづくりをできるような関係を築けるかについて述べようと思う。

 まずこのような日本の現状を作ってしまった原因を考えていく。日本では、政府・企業・市民の中でも特に、政府と市民の繋がりが薄いように思える。ここを根本的に見直していかないと、三つのつながりを形成することは不可能だ。逆に言えば、ここが治れば政府・企業・市民の間に少しずつ理想の関係ができていくのではないか。ではこの政府、市民間の繋がりが薄いことの理由を考える。私が理由として考えたのは、市民の政府や政治に対する興味関心の薄さである。選挙の投票率も問題になっているように、日本国民は基本的に政治に対する関心があまりない。もちろん全員が全員そうとは言わないが全体を平均的に見ると、海外諸国と比べても日本ほど国民が政治に興味のない国はかなり少ない。この問題は都市を運営していく上で政府と市民の繋がりの薄さ(今回論文)や、法と社会の乖離(第4回論文)など、様々な問題を引き起こしている。政治に対して興味関心がここまで薄いのは言うまでもなく、政治に興味を抱くほどの知識が私たちにないからだ。政治に関する教育は義務教育の9年間で社会の授業などに取り入れられているが、日本が他の国と違うのはそこまで実際の政治に踏み込んだような教育をしないことだ。表面的なことばかりで、今の政治体制がどうなっているか、どのような歴史を経て今の状況が作られているのかなどを学べない。するとどうなるか。義務教育を終えた政治に関しての知識のない若者たちが世に放たれ、政治に関心のないまま生きていくのだ。すると今のような政府と市民の繋がりが極めて薄い、非効率的な社会が形成される。全てが悪循環だ。根本から見直していかなければ日本が海外のシステムを真似ることは意味を成さない、そう私は思うのである。

 そしてここからがバンクーバーのようなシステムを目指すために必要な事柄であるが、重要なのは国民の政治に興味を持つという姿勢とそれを手助けする日本の教育制度である。Greenest city 2020の取り組みは世界的にも大きな注目を集め、日本でもお手本にしていきたいところであるが、そっくりそのまま日本で同じことをしたってうまくいくわけがない。いくら政府が市民に呼びかけたって市民にそれが届かない、もしくは市民が取り組みに興味を示さなければそこで流れはストップしてしまう。だからまず同じことをするのではなく、原因を探り解決法を見つけて社会に反映した上で日本流の形に直して取り組むべきなのだ。この方法は今回のような都市計画のことだけでなく、多くの物事に共通するでろう。つまり言いたいのは、私たちはもっと考えて考えて考え抜いた上で物事を判断、選択すべきなのだ。そしてこれこそが私の考える解決法である。

 





学生による論文(67)「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」西浦 友教 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:56:20 | 教育のこと

「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」西浦 友教

 土木史と文明の講義内で細田先生はしばしば「海外を見てきたらいい。日本のインフラは遅れをとっている。」という趣旨の言葉を私たちに投げかける。その言葉を受け止めているとなんだか「日本って海外の下位互換なのではないのか。特にインフラに関しては。」という思いが芽生えてくる。

 実際、日本と海外諸国のインフラ整備水準の比較材料として道路を例にとると、制限速度が時速60km以上の道路は日本には約21,200km、時速100km以上の道路は約2,800km整備されている。しかし制限速度60km以上の道路を人口当たりで比較するとアメリカは日本の10倍、制限速度100km以上の道路では実に33.5倍も整備されていることが分かる。ヨーロッパ各国でも時速60kmの道路は日本の3〜4倍、時速100km以上では7〜8倍の整備水準である。また、中国や韓国といった東アジアの国々の動向に注目してみると、かつての日本がヨーロッパ諸国に追いつき追い越せと努力してきたように、東アジアの国々が追いつき追い越せとすべき対象国は日本であり、既に空港や港湾では滑走路の規模などにおいて日本を上回るインフラが整備されている現状がある。こうして考えると、やはりインフラに関して日本は海外の下位互換なのかもしれない。

 ここで少し話がそれるが、この文章のタイトルにもなっている「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」というフレーズを紹介する。このフレーズはTwitterとnoteを主な活動場所としている宇野なずきさんの歌集「最初からやり直してください」に掲載されていたものであり、個人的にとても考えさせられた。作者の実際の意図は分からないが、厳しい現実を突きつける辛辣な言葉であると感じる。ただ、私はなぜかこのフレーズを嫌いになれない。むしろ好きかもしれないとまで感じる。文字通りの意味では「あなたと全く同じ人間はいないけれども、あなたより優れた人はたくさんいる」ということになる。もしかしたら、あの細田先生にも今までにこのようなことを感じて落ち込んだり、腐ったりした経験があるかもしれない。残念ながらどんな分野でも自分より有能な人がどこかにいる、というのはほとんどの場合、事実であり、今の自分がいるポジションや役割に代わりについたらもっと上手くやれる、もっといい結果を出せる、そんな人たちがたくさんいる。たとえ自分が自身の過去最高を叩き出しても、上を見れば切りがない。

 話を元に戻すと、辛辣で棘のある「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」というフレーズを日本のインフラの現状に当てはめてみると、「日本のインフラ整備には素晴らしい点が多々あるが、上位互換かのように整備が進んでいる国々が海外には存在する」ということになる。この先の文章構成として、「日本には列車の安全性とダイヤグラムの精密さについて世界に誇れる交通インフラがあり、人口比で考えれば道路の渋滞だってひどくはない。」などと日本のインフラが持つかけがえのなさを主張し、それらを大切にしながら上位互換を気にしすぎることなく成長していけば良いと考える、という展開に持っていくことが頭の中をよぎった。しかし、そんなことじゃいつまでたっても欧米諸国からは差を拡げられる一方であり、気づいたら東アジアの国々に置いてけぼりにされてしまう。上を見て、上位互換かもしれない対象と比較し、時に絶望感や諦めたくなる気持ちを抱きながらも泥臭く成長していく方がかっこいい。ぜひ、日本にはインフラ整備を通じてかっこいい国になって欲しいと感じる。私自身も、何らかの形で日本の成長の手助けをできる人材に成長したい。

<引用文献>
・宇野なずき「最初からやり直してください」(歌集)


学生による論文(66)「スエズ運河から考える莫大なストック効果を発揮できるインフラの条件について」白岩 元彦 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:55:12 | 教育のこと

「スエズ運河から考える莫大なストック効果を発揮できるインフラの条件について」白岩 元彦

 私は地政学的な観点をもつことで、莫大なストック効果を発揮するインフラの整備を行うヒントになると考える。そして、そのようなストック効果を長年にわたって享受するためには、現状のインフラ整備状況に満足するのではなく、様々な分野に投資を積極的に行い、常に良質なストック効果を発揮できるような状況を整えておく必要があると考える。この論文ではこの主張について、スエズ運河の事例を紹介しながら論ずる。

 スエズ運河は、地中海と紅海を結ぶエジプトのスエズの地峡を南北に走る人工運河である。この運河はアフリカ大陸とアジアを隔て、ヨーロッパとインド洋と西太平洋の周りに位置する土地との間の最短の海上ルートになっている。スエズ運河を通行することでインド洋北西部のアラビア海からイギリス・ロンドンの航行距離は、アフリカの喜望峰回りに比べ約8900kmを短縮でき、約半分になる。これによって航行日数を約1週間短くし、燃料コストも約半分に抑えることができるようになった。また、スエズ運河から地中海を進む航路には、貨物の積み下ろしのために寄港できる港も数多くあるので、利用する船が多く、スエズ運河は世界的な交通の要衝となっている。

 スエズ運河通行料は主要産業の観光とともに、エジプトの主要な外貨収入源となっている。エジプト中央銀行によると、2018/2019年度の収入は約57億ドルで、GDP全体の約2.4%を占めた。そして、同年度のエジプトのGDP成長率は5.1%だったが、産業別でスエズ運河収入は7.9%を記録し、いまやエジプトのみならず、世界中の国にとって必要不可欠なインフラになっている。このようにエジプトは自国の地政学的な特徴を利用して莫大なストック効果を生み出すことに成功している。

 また、私は莫大なストック効果を長年にわたって享受するためには、現状のインフラ状況に満足するのではなく、様々な分野に投資を積極的に行い、常に良質なストック効果を発揮できるような状況を整えておく必要があると考える。

 スエズ運河は元々、当時の標準的な船の大きさを想定し、水深約8m、水位304m2、最大積載量5,000トンで建設された。しかし、その後エジプト政府によって開発プロジェクトが開始され、水域を4800m2、喫水を62フィートに拡大し、全長191.80kmとした上で、積載量21万トンの船を受け入れられるように拡幅工事を行い、2010年には喫水が66フィートに達し、この段階で約17,000隻のコンテナ船と、世界中のバルク船を受け入れることができるようになった。さらにいまは水深72フィートとすることで、世界の海上輸送に使用されている船舶の約99%が使用できるようになっている。このようにスエズ運河は地政学的に有利な条件を活用することで莫大なストック効果を生み出すだけでなく、常にその効果を継続的に享受できるようにインフラを整備している点が素晴らしいと考える。

 一方で、こうしたインフラは有事の際に世界中に多大な影響を及ぼす。2021年3月のエジプトのスエズ運河で2021年3月、日本企業が船主の世界最大級コンテナ船による座礁事故が起きた。1週間にわたってスエズ運河を塞ぎ、世界貿易に与えた影響額は約4000億円とも試算される。このような状況では充分なストック効果が得られず、むしろ事故に対応するために費用を使うことになってしまう。このようなリスクを減らすためには緊急時に慌てて対応するのではなく、平時から様々なリスクを想定し新たな技術に投資を行いながら準備を進めていく必要がある。

 私は以上の理由により、地政学的な観点を持つことは莫大なストック効果を発揮するインフラの条件のひとつだと考える。そして、そのようなストック効果を長年にわたって享受するために投資を継続的に行い、常に良質なストック効果を発揮できるよう整えておく必要があると考える。
世界地図レベルの広い範囲で日本を捉えると、日本はスエズ運河のような船運の要衝にはなりにくく、中国とアメリカ大陸、ヨーロッパ方面の間に位置するため中継地点としての役割を果たしやすい国ではないかと考える。このように地政学的な観点から日本が置かれている状況を捉えることで世界をより深く知るきっかけになり、日本が国際的な存在感を高められるようなインフラを保有できるようになる視点のひとつになるだろう。

参考文献
1.nippon.comスエズ運河事故から学ぶ世界海運の最新事情(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00704/) 2021/12/10参照
2.SUEZ CANAL 新スエズ運河 (https://www.suezcanal.gov.eg/English/About/SuezCanal/Pages/NewSuezCanal.aspx) 2021/12/10参照

 


学生による論文(65)「フランスと日本の塩のちがい」 佐藤 鷹 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:54:06 | 教育のこと

「フランスと日本の塩のちがい」 佐藤 鷹

 ミディ運河が塩税徴収官のピェール=ポール・リケによって構想されたという話が出た。豊富な工学的知識を有していたにせよ、彼が塩税徴収官という立場からこの運河を構想したという事実には驚くばかりである。ただ私が少々気になったのはこの“塩税”ということばで、日本ではあまり耳慣れないものである気がする。大西洋、地中海間の貨物輸送時間の大幅な短縮を可能にした同運河が大変に素晴らしいものであることは承知の上で、ここでは少し脇道に逸れて、“塩税”からはなしを広げ、フランスと日本の塩のちがいについて述べたいと思う。

 この塩税とは、世界的には古来より見られた税種の1つであって、いわば塩のみにかかる消費税のようなものだった。これを特に「ガベル」と呼んだフランスでは、その税率に地域的な格差があり、高い税率負担の地域もあれば、完全に免除されるところもあったため、それだけ塩税が、国民の貧富の差を過度に拡大させてしまうような、非常に大きな影響を与えるものであったようである。フランスにとって塩は金銭的意義を持つものであったと言えるだろう。だからこそ、と言っていいのかもしれないが、かのフランス革命の原因の一つに、長年にわたり蓄積された国民の塩税に対する不満があった。国民議会はそれを受けてやむなく塩税を廃止したのであったが、14世紀後半の最初の導入から1790年の廃止まで、実に400年以上にわたって塩税制度がフランスには存在したということになる。フランス語の“salaire:給料”(英語の“salary”)がラテン語の“salarium:塩”に由来するという事実もまた、塩に対して金銭的意義を見出すというような土壌が垣間見えるようである。

 我が国ではというと、島国だからと言って塩が軽んじられたような気配はない。実際、海に面する地域と内陸を結ぶ「塩の道」と呼ばれる道があって(千国街道や三州街道)、内陸部にとっては大変に貴重なものであったことは間違いないだろう。川中島の戦いのある逸話から生まれた「敵に塩を送る」という諺も、武田方が内陸の甲斐の国を拠点としていたからこそ成立していると言えるかもしれない。しかしながら、日本においては、塩税というものが存在しなかった。正確に言えば存在したが、日露戦争の戦費調達のため、明治38年に塩専売法の公布から施行までの凡そ6か月間だけ行われただけであった。また上代には塩そのものを税として納めた時代があったのだが、それも租庸調の庸(兵役)の代替措置として一部行われたくらいである。だから我が国においては、塩というものに然程金銭的意義は見られないと考えられる。

 金銭的意義を持たない、とするならば、我が国における塩が持つ意義とは何か。私は神秘的意義だと結論したい。清めの塩や盛り塩がその代表例である。清めの塩は葬送儀礼において厄除けのような存在を果たし、また盛り塩は日常の一般家庭において、縁起担ぎで置くところも多い。さらに、一般に日本の国技とされる相撲でも、力士たちは土俵上で塩をまく。ただ三段目以下の力士は塩をまくことができないため、力士たちにとって塩をまくという行為は、五穀豊穣を願う神聖な土俵という場所で一人前の力士として活躍するというある種の神秘性を感じるものでもあろう。したがって日本においては、こうした塩の神秘性は無視できないと考える。

 以上、フランスと日本の塩のちがいであった。フランスでは金銭的意義、日本では神秘的意義があると思う。ただどちらにせよ両国においては、塩というものが国民生活や文化に深く浸透し、影響を与えてきたことは疑いようのない事実であろう。塩というものが全人類に欠かせないミネラル源であることには違いないが、その背後の意味が異なるのは非常に興味深いと思う。食卓に並ぶ調味料一つにこうした世界が広がっていようとは思わなかったが、他の事柄についても別の視点で見てみると面白いかもしれない。

参考文献
源気商会「フランス革命と塩」
https://genkishoukai.com/blogs/salt-talk/post-46

wikipedia「塩税」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%A8%8E

国税庁「塩と税務署」
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/network/206.htm
(全て2021年12月11日閲覧)

 


学生による論文(64)「歴史を学ぶこと」齋藤 佳奈 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:52:57 | 教育のこと

「歴史を学ぶこと」齋藤 佳奈

 私たちは小学校の頃から当たり前のように授業で歴史を学ぶ。授業で歴史を学ぶ時は教科書に従って先生から指導を受ける。その他の場所で私たちが歴史を学びたいと思ったら、おそらく本を利用することだろう。歴史の流れを伝えるこれらの本は主に元の書物をいくつか参考にしてまとめたものであろう。歴史を学びたい人の需要に応えるためである。では、この元となる書物は何のために書かれたのだろうか。記録のためであったり、自伝は自分の功績を自慢したいなどの目的があったのだと考える。でも、それだけでなく将来の人類が生き延びることを想って、忠告やアドバイスの意味があったのではないかと思う。例えば、地震がいつ起こったかという記録が残っていなければ、次の地震がいつ起きるかという予測ができていない。関東を襲う地震は、1293年の永仁関東地震から約200年周期で発生している。この記録が残っていなければ、200年周期とい法則は発見できてない。このように、歴史を本にまとめることはただの記述ではなく、将来に役立つことを信じてまとめられたものだと考える。

 それでは私たちは歴史をどのように学んでいったら良いのであろうか。授業でも幼い頃から歴史を学ぶということはそれだけ自分の住んでいる地域や国、世界を知ることが日常生きるために必要であるからである。何が起こってきたかを知らなければ、未来に何が起きるか予測をすることは出来ず、その際にどうやって行動したら良いか判断できない。また、人類が同じ過ちを繰り返さないようにという意味合いもあるのであろう。これに関しては正直、過去の人たちの意思に反した行動を取ってしまうことが多いのが人間である。どんなに犠牲を払ってでも戦争は何回も起きているし、大きな国が滅びていくところも何回も見ることとなる。それだけ大きな人の塊を統率することは難しいのだろう。

 だが、土木分野においては異なる。1度作られた偉大なものの記録は次の構造物を作る上で参考にされ、さらに素晴らしいものが構築されてきている。パナマ運河は1869年のスエズ運河の開通が成功したことを受けて、1914年に開通している。スエズ運河が水平式なのに対して、パナマ運河は閘門式である。相当長い距離の運河を構築する技術が受け継がれていることも素晴らしいが、パナマ運河ではさらに水面の高さを変えて船を通すことによって、掘削しなければいけない量を圧倒的に減らした。技術が引き継がれ、さらに発展させられる。また、反対にタコマナローズ橋のように失敗が教訓となり改善させられる。そして、それに関わった人の日記や自伝を読むことでその初めての試みがいかに困難を極め、どのような努力がなされたかを知ることが出来る。土木史を学ぶことは人類と社会の成長の軌跡を辿ることである。土木史を学べば、その時代の背景や土地柄など、様々な条件下において、その構造物が作られたことが分かってくる。土木は国家の一大プロジェクトであるため、国の統治を理解するには土木を知ることが必須であると私は考える。

 歴史を伝えることは口頭でもできる。でもそれがわざわざ書物として残されるようになったのはより正確に、大量の情報を将来に残しておきたかったからだろう。私たちは過去の失敗を繰り返さないように、そして偉業は見習い、さらに発展させていくことが望まれている。そのためには、ただ一般的な歴史だけでなく、違った側面からであったり、ひとつの事やひとりの人物にだけフォーカスして学ぶことも必要である。教科書だけでなく、時には、原本やひとつのことについて詳しく述べられた本を読むことが重要なのだろう。スマートフォンなどの機器が発達し、娯楽が増えた中でも定期的に本を読んでいきたいものである。

 


学生による論文(63)『あなたはどこから海を見るか』 河野 ひなた (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:51:31 | 教育のこと

『あなたはどこから海を見るか』 河野 ひなた

 私は迷っていた。横浜国立大学の願書を前に選択を迫られていた。

 一体何に悩んでいたのかというと、横浜国立大学のどの学部・学科を受験するかという問題であった。選択肢は二つあって、都市科学部の都市基盤学科と理工学部の海洋空間とシステムデザインEPだった。

 私は海が好きだった。港が好きだった。船が好きだった。

 そもそも横浜が好きだった。横浜生まれ横浜育ちの正真正銘のハマっ子の母に育てられたからか、横浜に対する地元愛を幼い頃から持っていて、横浜に住んでいることを誇りに思っていた。

 横浜が好きな理由は港にあった。

 シンボリックな建物、潮のにおいのする公園、人の絶えない繁華街は魅力的だった。みなとみらい21を中心とした臨海部では、横浜ランドマークタワーを中心としたスカイラインは見事であるし、大きな客船も出入りしていて、1日を始めるように汽笛が鳴る。また、162年前、横浜が開港した際に外国からたくさんのものが伝来した事によって横浜には日本で初めての発祥の地がたくさんあった。まちのあちこちに“発祥の地”という文字があるのが幼心にもなんだか嬉しかった。

 冒頭の話に戻ろう。私は1年浪人をして受験をしているのだが、実は現役時代の後期で理工学部を受けていた。

 最終的に都市基盤学科を受けた理由は大きく二つある。一つは、土木構造物の中でも橋が好きだったこと。もう一つは、港湾を有する横浜という“都市”が好きなのだと気付いたことだった。

 今でも海運は、多量の物資を少ない人間で輸送可能な運輸手段として多く利用されている。そういった中でも、パナマ運河やスエズ運河は世界の海運を飛躍的に上昇させた。太平洋と大西洋をつなぐそれぞれの運河は、大陸を大回りする航路と比べ、パナマ運河は60%、スエズ運河は24%もの航海距離を短縮した。

 また世界中では、シンガポール、ドバイ、上海、ロッテルダムなどの港がそれぞれの地域において最大規模の港湾であり、その港は貿易港としてその能力を存分に発揮している。上海港に関しては、その貿易機能を上げるために洋山深水港を埋め立てて建設したほどである。これらの港は特に海から見た時に便利であり、貿易に際して評価の高い港湾である。

 一方、横浜港は、日本の港湾の中では最大級であるが、今上げたような世界の貿易港には到底及ばない。京浜の港湾をすべて集めてもそれらの港湾の貿易量に届くのは難しい。しかし、私は横浜の港湾都市としてのポテンシャルはまだまだ計り知れないと考えている。

 横浜は人を呼び寄せる力を持っている。現在進行形で開発が進み、時代と共に移り変わる横浜は、開港当時の“変化を恐れない”風潮から変わらず横浜の地に根付いている。

 私は都市基盤学科で、都市から海を見ることにした。

参考文献:土木の話題 15「土木が縮めた世界」 | 草野作工株式会社 ~「かたち」は、人を想う、その先に。https://www.kusanosk.co.jp/trivia/column/civil/9501

 


学生による論文(62)「論ずること、あるいは人生」 落合 佑飛 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:01:00 | 教育のこと

「論ずること、あるいは人生」 落合 佑飛

 そもそもなぜ論じるのでしょうか。文章を書くことにはどのような効用があるのでしょうか。

 我々は似たような人生を歩んできました。みな小中と先生のいうことをよく聞いて、あるいは勉強ができるからと斜に構えて、過ごしてきたでしょう。そこではほとんど自分の考えというものは無価値扱いされてきました。算数にも英語にも物理にも国語にも模範解答があったからです。我々の考えは、模範回答か否かに峻別されてきました。模範解答以外の答えは日常業務や部活動支援、保護者対応などさまざまなお仕事で忙しい先生にとっては厄介極まりない物であり、そうしたじゃじゃ馬の調教術こそ授業の秩序を最小限の労力で保つためには必要なものでした。勉強が塾でもっと先の分野を勉強しているからという理由などで授業内容が分かるからと斜に構えている児童・生徒は確かに厄介ではあるものの、静かな優等生という印象さえ先生に与えておけば成績もよかったでしょう。学校なんてそんな程度のものだったと、今なら思えます。5の数やAの数に一喜一憂していても仕方ない、大切なものはほかにある、とこのように今は思えます。

 ただ、今回したいのは小中学校の批判ではありません。あるいはすでに受験のための通過点に堕している高校教育についでもありません。

 私が今回述べたいのは、論じることについてです。

 論じるとはどういうことか、既存の知恵に自分なりの考えを付与し、それを発表することです。自分の発言には責任を持ち、自分の誤りが明らかになればそれを正す、こうした営みをも包含する行為でなければ、本当に論じることにはなりません。匿名での罵詈雑言など、自分の発言に責任を持てないならそれは放言です。とるに足りません。

 自分の中で熟成させ、本当に考えて突き詰めて論じていけば、そこにはその人の価値観や人となりがあふれ出てきます。同じ内容を述べるにあたっても、どんな言葉を使うか、どんな例を用いるか、どんな参考文献を持ち出すのか、こうしたところに個性が出ます。これらは教養とも言って差し支えないでしょう。

 ただ、教養の一言では済ますことができません。教養は他人と比べた時には優劣の残る指標ですが、どのように記述するかは個性や人生の問題でどちらが正しいとかどちらが間違っているとか、あるいはどちらが望ましいという類のものでは無いからです。文章の端々に現れるのはその人のその人となりです。その人のそれまでの人生がそういう内容のことを書かせている。継続は力なり、と言いますが、人生の継続の結果に今の問題意識があり、この問題意識が私あるいはあなたという一個の人間に現在のこのような内容の論を書かせているのです。その点ですべての主張には下地があり、背景があります。そうしたことを考えてみれば、文章を書くということは誇張でなく自らの人生を開陳することなのです。文章に真摯に向き合っていればそういうことが分かるはずです。自らが価値あると思ったことを自分の時間を削り、自らの内面を抉り出して書いているのです。その点は小説でも論説でも学生が論じた文章でも変わりはありません。変わるのは技法と技量のみです。

 私に言わせれば、文章を読めばその人の考え方の癖やどこに問題意識を抱えているのか、何を大切に思っているのか、どんな価値をもって生きてきたのか、こうしたことがうっすらと分かるような気がしています。

 例えば、論文に毎回授業の内容から書いている人はこれまで優等生だったでしょう。課題=授業の内容から出されるモノ、という先入観がこの考えを規定していうと推察されます。一方で、授業の内容から全く関係ない文章を書く人は、自分に自信があるか、単に馬鹿なのか、あるいは本当にいろいろ考えてきた挙句あふれこぼれてしまったのか、こんなところではないでしょうか。もちろん、違う場合もあるでしょう。けれども当てはまっている部分もあるのではないでしょうか。たとえこれらの分析が頓珍漢だったとしても、少なくとも自分では分かるはずです。自分が道路のことばかり書いているなら、その人は道路が好きでしょう。GTPレースのことばかり考えているなら、その人は変わり者かもしれません。

 しかし、中にはまったく感情を感じない文章もあります。一般論の焼きまわしに終始した文章のことです。あるいは前提条件ばかりを述べたり、ありきたりな話をした挙句「だから私は○○になりたい」のような薄い感想でまとめて終わったりする文章です。またこれまでの議論の軌跡を集めただけ、という文もこれにあたります。こういった文章は私のかつての文章の特徴をそのままそっくり引いてきたものですから、昔の自分が未熟だったということですが、こうした話は読んでも「へ~そうなんだ」以外の感想が残らないものです。私(その文章を読む人からすれば、あなた)は何を言いたいのか、の部分が欠けている。私に言わせればこれらの文はそのテーマについて論じたことになりません。授業の要約や無意味な感想、議論の集積は感情を外には出しません。そして、私はかつての自分を振り返ると自らの文章は論じるという観点では今一歩足りないものだったととらえています。

 それはなぜか、それは文章を書くこと論じることが自分独自の新しい知見を加えた考えを他人に伝えるための営みだからです。これまでの蓄積から、あるいはその回の授業から何を感じ何を考えるのか、私自身の過去と将来、世界の過去と将来、我々はどんな将来を描くことで将来を拓いていけるのか、こうしたことを考えて文章にすることこそが必要だと考えます。そして、ここに設定した問題意識こそがその人の人となりを表すのです。根源的には悩みは個人に帰属するものです。なぜなら一般化された苦行やその他の経験もどれとして同じものは無いからです。そして唯一無二の経験を積み続けた我々、一人一人の人間が設定する問題は他のどの人とも一致しないものです。問うことは答えることですし、問うことは主張することですから、個人の持つ固有の考えは論じることを通じて滲み出るものなのです。

 またこの営みは自分をも救うことになります。私は何に悩み、どこに問題意識を持っていて、どこでつまずいていたのか、こうしたことを整理するには論じることが何よりの処方箋です。そして、こういう場合には書いてから日が経っていたとしても自らの心の底の叫びがすぐ耳元で聞こえるかのように震えるのです。

 さて、自らの考えが無い文章は論じるという観点からは今一歩足りないと述べているわけですが、仕方ない面もあります。その原因は小中高で自分の考えを聞いてもらえなかった点にもあるからです。あるいは日本語の語彙が足りなければ自分の感情や考えに形を与えることができず深い考察は不可能です。訓練と語彙が足りない我々若造には論じることは難しい作業です。

 このような課題は文章を書くことがこれまでなかった人や、本を読む機会が少ない人には特に顕著なのかもしれません。勘違いしないでいただきたい、私は本を読まない人間が悪いと言いたいわけでもなければ、自分が優秀だと言いたいわけでもありません。

 ただ、文章を読んだり、人の話を聞いたり、新しいものに触れたり、失望したり、感動したり、こうした経験をひとつずつ言葉にして行くことができれば私たちは人生をもっと豊かに語ることができます。自らの感情を深めることで自らを取り巻く世界をもっと色鮮やかに論じることができます。

 そして、文章を書くことは世界のためにも自らのためにもなる行為です。自らの考えを通じて世界に新しい価値を残すこと、将来の自分が振り返った時に自分の思考の軌跡が見えること、この二点は世界にとって私にとって有用でしょう。

 さてここまで、言いたいことは一つ。

 「私たちは責任をもって堂々と言いたいことを言えばよい。その一言一言がその人の生き様である。」

 論じることを考えるうえでは、このことを欠かすことはできないように思います。少なくとも私にとってはこう信じると決めた道でもあります。

追記
 当然私の今回のレポートにも背景となる事象がある。例えばそれは下に挙げた参考文献にたまたま出会ったことにある。例えばそれは学友のレポートを読んだことにある。これらはみな個性的で素晴らしいものである。そしてそこにはその人の考え方が隠されている。自覚的であれ、無自覚であれ、文章の表に裏に現れる自らの言葉こそが自らの骨肉とっているものである。
 また、この考え方の応用は本を読むときにも使える。文章を書いているすべての人間は人間である。だから個人的な人生を抱えており、そこにはひとかどの喜びと痛切な痛みを持った人間がいる。すべての文章はある目的と使命感によって書かれている。だから、我々はそこに一人の人間がいると、そこで叫んでいる人がいると、このように思って本を読むのである。つまり他人の言葉にも耳を傾けるのである。私のために、あなたのために、作者や話者のために。


参考文献
正しい本の読み方 橋爪大三郎


学生による論文(61)「『水の都』の認識できない情報量」 大橋 直輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 08:59:52 | 教育のこと

「『水の都』の認識できない情報量」 大橋 直輝

 イタリアの港町・ヴェネツィアには、S字に走る長さ3800m・幅100mほどのカナル・グランデ(Canal Grande)を中心に、無数の運河が網目・ネットワークのように走っている。その無数の運河に分けられた無数の小島が400藻の橋によって繋がれ、一つの都市として形成されている。「水の都」と呼ばれるようになる歴史や文化・風景もとても魅力的ですが、何より魅力的なのが歩行者都市でありつづけたことだ。

 都市の歴史を見ると、明らかに都市構造と計画が人間行動と都市性能に影響を及ぼしている。20世紀に増え続ける自動車交通に対処するために、利用できる都市の余地がすべて自動車の走行と駐車に割り当てられるようになった。多くの都市で空間が許す限りの自動車交通を受け入れ、より多くの道路と駐車場を建設することによって交通圧力を緩和しようとする試みが行われた。その結果、より多くの道路がより多くの交通を生む。これまで人が持つ情報の共有・交換が行われていた公共空間、歩行空間、そして都市の余地が果たしていた情報を持つ人々の出会いの場所が侵食されていった。徒歩が交通手段として利用される機会が減少し、都市の余地が文化面・社会面で果たしてきた役割が狭められてしまった。

 多くの古い都市は、つくられた当初は歩行者の街であった。地形のために自動車交通が利用できなかったり、経済と社会組織がいつまでも徒歩交通に依存したりしているところでは、当初の役割を果たし続けている街である。ヴェネツィアは道が狭いうえに運河を跨ぐ橋がたくさんあるため自動車が使えない。そのため1000年の歴史を通じてずっと歩行者都市であり続けた。これは今でも世界では数少ない歩行者都市のひとつであり、その中でも特別な存在である。この街は歩行を温かく誘引し、何世紀にもわたって都市の余地における人々の交流の場を提供し、今でも提供し続ける。このような都市はどこにでもありふれているわけではない。濃密な都市構造・短い歩行空間・用途の高度な混合・活気のある柔軟な建物と歩行空間の境界・素晴らしい建築・入念にデザインされた細部などあげたらきりがない。そしてこれらの要素が人間の感性から逸脱することなく、快適さを生みだし人々の生活を豊かにしている。

 そして、このような空間では1+1がすぐに3以上になる。大した変化ではないと感じる人もいるかもしれないが、人間の脳は本能的に物体を3までしか認識できず、それを超えると文化的な補助や指を折ることでしか数えられない。(※4までは数えられるとする研究もある(ロシア語文法はその傾向が見られる))例えば、漢数字は「一、二、三」の次は「四」。ローマ数字でも「Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」の次は「Ⅳ」で表すことが多い。すぐに人間が瞬時に認識できない情報量が交換されていく。

 インフラにはストック効果がある。しかし負のストック効果もあるのではないだろうか。情報を持つ人が遠く離れた場所に瞬時に情報を伝達させることができる。このことは利点になる。しかし規制なしにインフラを設け交通を誘引した都市、すなわち生身の人間のための余地を残していない都市にヴェネツィアのようなすさまじい情報量の爆発を起こせないと見える。時間と生まれるべきだったアイディアは中長期的に失われてしまっていないだろうか。十分に機能できないインフラは逆に負のストック効果を生みだす。

 


学生による論文(60)「そこ」岩本 海人 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 08:58:16 | 教育のこと

「そこ」 岩本 海人

 今日の講義の中で紹介された数々の現地での写真、特に壁に手をあてた写真からインスピレーションを受けてこのレポートを作成するに至った。

 「そこ」に存在すること。現地へ赴くこと。五感で現場を感じること。
 それらの価値は、ネットネイティブ世代によって、かなり過小評価されているように感じる。

 その原因は、間違いなくインターネットであると考える。
 インターネットによって与えられた全知の錯覚により、未知を既知と錯覚する故、「そこ」に存在することの価値が過小評価されていくのだ。
 インターネットは、即時的に、世界の情報網にアクセスできる場である言えるだろう。世界中のインターネットにアクセス可能な人々が、そこに情報を提供し、また同時に、世界中のインターネットユーザーは、その情報にアクセスする。その情報網は、ユーザーの爆発的な増加、検索エンジンの急速な発展により、飛躍的に充足した。

 そんなインターネットが与える影響の大きなものの一つに、「全知感を私たちに与える。」ことが挙げられると私は考察する。手元にスマートフォンやパソコンがあり、インターネットへのアクセスがある状態において、一部の人間はその情報網が自分の頭に格納されているかのような錯覚を持つ。そして、その傾向は、幼い頃からインターネットを使用してきた世代に特に強いだろう。このことは、道具が身体の延長かのようにかんぜられてしまう現象に等しく、靴と足が同化したかのように振る舞うことなどに等しい。

 この全知感の問題は、決して私たちは全知ではないという点にある。

 次に、「そこ」に存在することの正当な評価について考えていきたい。

 以下に「そこ」に存在することの特徴的な価値を挙げる。
<豊かな体験>
 豊かな体験とは、「全体」に身をおくことであると私は考える。
 森の航空写真を見ることではなく、森を歩き、足で土を感じ、さえずりに耳を傾けることである。Google mapでストリートビューを見ることではなく、パン屋の匂いに誘われながら、通りすがりの人に肩をぶつけてしまったりすることである。そんな豊かな体験をするには、「そこ」に存在する必要がある。
<今を感じる>
 インターネット上の情報は一部例外を除き、全て過去のものである。しかし、どんなものも変わらないものはなく、四季や人の営み、自然の営みの中で絶えず姿を変えていく。そんなものの今を知るためには、「そこ」に存在することが必要である。
<愛着を持つ>
 「そこ」に存在することで、その空間は自分にとって、どんな形にせよ特別になりやすくなるだろう。広義の愛着を持ち、そのことは人生を豊かにする大きな鍵であり、大きな価値を持つ。

 私たちは、インターネット上のリサーチの容易さや、情報の膨大さに圧倒されて、しばし、「そこ」に存在することの価値を見失ってしまう。けれど、私たちは五感をもち、今を生き、何かを愛することができる。それらの力を使わずして生きるのは、非常に勿体無いことだ。

 


学生による論文(59)「青山士に学ぶ 技術者として成長するコツとは」伊藤 美輝(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 08:56:39 | 教育のこと

「青山士に学ぶ 技術者として成長するコツとは」伊藤 美輝

 はじめに、途中キリスト教に言及する箇所があるが、私は宗教に関して全くの素人であるため、理解に誤りが含まれている可能性があることを断っておく。

 今回ビデオを見た青山士は、私も好きな技術者の一人だ。若くして海外に渡り、パナマ運河の建設という困難なプロジェクトに音を上げることなく取り組み昇進し、帰国後も日本の国土改善のため様々な事業に取り組んだその姿勢には、ただただ脱帽する。さて、以前の論文にも書いたが、とても私は青山のような偉業を成し遂げられるとは思えない。しかし、世の中に貢献したいという気持ちを持って都市基盤学科に入ったのだから、このような先輩に学ばずしては卒業できない。この論文では青山のような技術者に近づけるよう、青山士の人生を深堀りしたうえで、どのようなことを心がけるべきなのか考察してみようと思う。

 まず、青山士の偉業を軽くおさらいしよう。青山は第一高等学校から東京帝国大学に進学し、廣井勇などのもとで土木工学を学ぶ。その後、廣井の紹介でアメリカに旅立ち、鉄道事業で測量を学んだあと、20世紀最大の土木事業と呼ばれるパナマ運河建設に唯一の日本人として参加する。疫病の蔓延やジャングルの開拓といった厳しい条件の中測量技師から設計担当まで昇格する。これは当時日本人への待遇としては異例であり、それほど青山の能力が買われたのである。その後日本に帰国し、荒川放水路の建設や、大河津分水路改修、鬼怒川の改修など多くのプロジェクトに関わり、国民を安心して住まわせられる国土を作っていった。

 では、青山がこれだけの偉業を成し遂げられた理由を、自分なりに考え3つ挙げてみようと思う。

 まず、生涯を通じて師匠内村鑑三や恩師廣井勇の教えに基づいて行動していることだ。内村は「無教会主義」のキリスト教思想を持つ。無教会主義は内村鑑三が提唱を始めた日本流のキリスト教、といったところである。内村鑑三が日清戦争について、「中国の圧迫から朝鮮人を解放」する、「神が世界に正義と平和をもたらすため日本に特別の使命を授けた」戦争、すなわち義戦だと論じていること、これに反した結果となった日清戦争について「義戦が略奪戦に転じ」たと評価していること、そして平和主義と日本社会の道徳的腐敗を訴え続けたことから、無教会主義は道徳的行動により平和を求めていく思想だと推察できる。この思想に則った結果が、様々な土木プロジェクトへの参加に現れているのではないだろうか。また、岩淵水門工事では指揮の立場ながら自ら泥をかぶり作業をする姿勢にも表れている。そして、なにより日本海軍に爆破攻撃のためパナマ運河の詳細について聞かれた時に、「私は造ることは知っているが壊し方は知らない」と答え、戦争へ協力しない姿勢を見せたことは、内村鑑三の平和主義を受け継いでいることが濃く表れている。このように、師匠の教えが軸となり、青山の行動を導いているのではないだろうか。このように軸がなく、迷いがあると人生の分岐点では足踏みしてしまうことが多い。もちろん、技術者として設計や使用材料にはじっくり悩み検討することが大切だが、このような行動規範があれば人生の進め方に迷わずに、自分が発揮できる力を惜しみなく世に使っていけたのではないだろうか。

 次に、身近に自分を感化してくれる人がいること、そしてその人の声に素直に反応する力があったことだ。素直さ、というのは参考文献「fromDOBOKU」で著者有馬優さんも特筆していることだが、私もこれが青山を導いた要因だと思う。例えば、師匠廣井勇のパナマ運河事業の紹介に応じたこと。そして師匠の内村鑑三の門下生となったのも、高校時代のルームメイトの誘いに素直に応じて内村のもとを訪ねたからであった。このように、自分のもとに差し伸べられた導きをしっかり掴む勇気と、これを掴むための普段からの用意(時間の使い方や学力など)があれば、成長していけるのだろう。

 そして、一緒に行動する仲間がいなくても、一人で突き進んでいける勇気を持ち合わせていることである。青山はパナマ運河事業に向かう前、何人かに一緒に行かないかと声をかけたとされている。しかし断られてしまい、一人で異国の地に旅立った。知らない土地に旅立つのは、留学制度がしっかりしていて、その国の情報が入ってくる現代でも勇気がいることだが、青山は100年強前に成し遂げたのだ。なにか成し遂げるとき、常に身近に仲間がいるとは限らない。そんな中で何かを成し遂げるためには、このような一人で動ける「フッ軽さ」が大事なのかもしれない。

 以上のように、私は青山の人生から、世に自分の力を発揮していくには、尊敬し規範とできる師匠がいるもしくは思想があること、自分の成長のため差し伸べられた手を素直に取れること、一人で突き進む勇気があることの三つが必要だと考察した。

 それでは、最後に自分(たち)に青山の心構えをどのように生かせるかどうか考えていこうと思う。

 まず、内村鑑三のように自分の軸がはっきりしている師匠と出会える環境については、今も整っている。例えば横国の前川先生などは、講義で伝えたいことがはっきりしていて、このような師匠の一人なのだろう。さらに情報社会の現在では、旧帝大に進学できなくても優れた先輩・先生の知識は得ることができ、SNSや配信を通じて声を聴くこともできる。また、大学に行くための費用(学費対GNP比)は青山の時代より低くなっている。もちろん、最終的には対面でお会いする、言葉を密にかわすなどしなければ青山のようにプロジェクトを紹介してもらえるまでにはならないだろう。しかし偉人に会えるきっかけが身近になった現代では、青山の時代より低いハードルで分野のトップに関わることも可能なのではないだろうか。現代では学力よりも、師に近づこうとするアグレッシブな姿勢のほうが大事なのかもしれない。ついていきたいと思える師匠に出会えたならば、その先師匠の言葉を胸に進んでいけばよいのである。

 また、自分を感化してくれる人と出会い、誘いに乗る環境も整っている。まず、都市基盤にはある分野の知識に秀でている人、高い行動力を持ち合わせる人、深い思考ができる人など優秀な友人がたくさんいる。そして彼らと一緒に学校での休み時間など、話す内容が限られていない時間と空間の中話せる環境も、対面授業が行われている今はある。コロナ禍でもTwitterをコミュニティとして同じようなことが行われていた。そして、そんな話を通じて、一緒に街中の土木を見に行く、プロジェクトを立ち上げるなど行動をしている。また、学外の優秀な学生や先生、社会人の先輩ともSNSなどを通じて簡単に交流し、新しいことを始めていく機会がある。こう考えると、「これは自分を成長させてくれる導きなんだ」という意識さえ持てば、青山が生きていた時代よりももっと成長できる可能性を秘めているようにも感じる。

 そして最後に一人で突き進んでいく勇気だが、私はこれが急に引っ込んでしまうこともある。やはり一人で動くと考えると、失敗しても周りの誰も助けてくれないと思うと怖い。しかし勇気は、自分の中から湧いてくれさえすれば持つことができる成長への条件である。このことを意識し、不安を払しょくできるくらい、普段から自分を学力面等で成長させておくことや自分が生きる軸を用意しておくことが大事なのだろう。

 ここまでいろいろと述べてきたが、もちろん青山士のような人生以外の成長の仕方もあるだろう。他の土木偉人も見てみないと成長の本質にはたどり着けないだろうが、一人の先輩談として青山士の人生は心にとどめて技術者として成長していきたい。

~参考文献~
「青山士」in wikipedia
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%A3%AB>(2021年12月10日参照)
土木学会「青山士 年表」
<http://library.jsce.or.jp/Image_DB/human/aoyama/aoyama_nenpyo.pdf>(2021年12月10日参照)
土木学会「略歴及び著書・論文等」
<http://library.jsce.or.jp/Image_DB/human/aoyama/aoyama_profile.htm>(2021年12月10日参照)
カルロ・カルダローラ「無教会の平和主義」<https://ainogakuen.ed.jp/academy/bible/mukyokai/nonch.pacif.html>(2021年12月10日参照)
From DOBOKU(2021)「【青山士(前編)】たったひとりでパナマ運河建設に向かった青年〜土木スーパースター列伝 #03」
<https://from-doboku.jp/n/n6c695feaa435?magazine_key=mcec93331c5d8>(2021年12月10日参照)
お金のストーリー(2021)「【旧制高校・旧帝国大学】 戦前のエリートにかかる学費はいくら?」
<https://yuuponshow-price.com/m-t-s-educational-institution/>(2021年12月10日参照)