「ストック効果の認識 〜ローマにおける水道設備から考える〜」 秋田 修平
今回の講義を通して水道設備の歴史について学ぶことにより、帝政ローマ時代に一度は高度に発達した上・下水道が、中世にはその設備のほとんどが廃れてしまったという事実を知り、私自身とても驚いた。そこで、今回は帝政ローマ時代と中世における上・下水道設備を取り上げることで、現代を生きる我々が学ぶべき事柄を考察していきたい。
我々が学ぶべき事柄は、主に3点あるように思われる。
まず1点目であるが、インフラ整備の影響の大きさとその重要性である。水道設備の整備が不十分であった中世から19世紀にかけては様々な疫病が流行し、人々の命を脅かしていた。特に、コレラはコレラ菌に汚染された水が媒介物となり流行が広まった疫病であり、水道の整備が不十分であったために多くの人に被害が及んでしまった歴史をもつ。当時は、今よりも公衆衛生に対する意識が低く、人々が水道設備の重要性を十分に理解していなかったように思われ、実際にコレラ菌が確認された1884年以降も無処理の河川水を給水することが続けられるなど、人々の水道設備の重要性はあまり認識されていなかったように思われる。普段使っている「水」がコレラ流行の原因であると正しく理解されておらず、結果として多くの人々の健康が脅かされてしまっていたのである。このような被害を繰り返さないためにも、我々はまず第一に水道整備の重要性やその影響力をきちんと理解する必要があるのではなかろうか。
次に2点目であるが、土木建造物の長期的な(ストック)効果についてである。帝政ローマ時代にローマ中に張り巡らされた水道網であるが、その水道網の1つであるトライアーナ水道は、現在でもローマ時代に建設されたままの構造をほとんど留める形で水道としての役割を担っている。この水道は、使用されていなかった時期を含め1900年もの間その役割を全うしているというから驚きである。このように、土木建造物というものは一度素晴らしい設備を建設すると、その設備を非常に長い期間利用できる(大きなストック効果がある)という特徴がある。もちろん、この「一度素晴らしい設備を建設する」際には高価な材料などに多額の費用がかかるなど、ある程度の懸念すべき点もある。しかしながら、そのストック効果を考えたときには、多くの場合で費用以上の効果を期待することができるように思われる。実際、ローマ時代の建造物にはローマン・コンクリートと呼ばれるとても強度の大きい材料が使用されており、このコンクリートが、ローマ時代の建造物が壊れることなく現存している要因であるといわれている。我々は、このような質の高い建造物(インフラ設備)に対して、目先の費用対効果を検討するだけでなく、その長期的な効果(ストック効果)についても考慮した上で、必要性を判断するべきではなかろうか。
3点目は、インフラの維持管理の重要性である。一度、ローマ時代に発達していた水道網であるが、中世にはその必要性が十分に認識されておらず、その素晴らしい設備が有効に利用することができていなかった。つまり、たとえ一度素晴らしい設備を建設したとしても、その必要性を認識し、適切に維持管理を行雨ことができなければ、当然であるが、その恩恵を得ることは出来ない。水道などのインフラ設備は、家ごと、施設ごとに供給しなければならないため、毛細血管のように張り巡らす必要がある。それゆえ、その維持、管理だけでも膨大な労力を要する。しかし、我々の生活を支えているインフラ設備に対してはその労力を惜しまずきちんと維持管理を行っていかなければならないように思われる。特に、我々が生きていく上で必要不可欠な「水」を供給する水道設備に関しては、命に直結する非常に重要な設備であるため、その維持管理には一段と力を入れるべきである。中世の旧ローマ帝国領のようにせっかく整備したインフラ網を捨てるのではなく、そのストック効果を存分に発揮できるように維持管理していくべきであり、我々はその重要性を認識するべきではなかろうか。
ここまで、帝政ローマ時代と中世における水道設備について考察することで我々が学ぶべきことを列挙してきたわけであるが、これら3点には共通点があるように思われる。
それは、土木の「ストック効果」をもっと認識するべきだということである。恐らく、土木の勉強に励んでいらっしゃる方々にとっては、何を今さら、、と思うことではなかろうか。しかし、私のように土木を専門的に学んでいる訳ではない人間にとってはストック効果という言葉はあまり聞きなれない言葉であり、その意味を理解している人はそう多くはないと思われる。そのために、土木のストック効果、つまり長期的な効果を棚に上げて目先の費用対効果を重視した議論が進んでしまっているように思われる。国民に土木の正しい価値(効果)を示すことこそ、日本をより強靭で災害に強い国にするための第一歩ではなかろうか。