細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(78)「マンホールと日本の強み」 大河原 知也 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:54:03 | 教育のこと

「マンホールと日本の強み」 大河原 知也

 私は都市基盤の必修科目である測量学実習の時に感じたことがある。それはやたらとマンホールがあることである。特に下水。この授業では土木棟周辺を測量して地図を作成するのだが、私たちの班では二つもマンホールを見落としてしまった。そのため雨の中再測を行ったのを鮮明に覚えている。そして地図作成にあたりマンホールを種別に記号を付けていくのだがそのほとんどが下水のマンホールであった。街中を見渡しても多くのマンホールが存在する。雨天時には足を滑らせてしまい「何でこんなにマンホールがあるのだ」と思うことは多々ある。しかしマンホールには計り知れない魅力も詰まっている。

 まずマンホールの存在意義についてである。マンホールとは「man」(人)と「hole」(穴)を組み合わせた言葉であり人孔という訳語が存在する。マンホールは人工的に設置された穴であり、地下に張り巡らされている下水道をはじめとした管を点検するために存在している。マンホールがたくさんあると感じるということは多くの管が地下に埋蔵されていることを意味する。地下という私たちの目に見えない部分もマンホールの数から多くのインフラが通されていることを理解することができる。マンホールの蓋が丸いのにも理由がある。それは蓋が落ちてしまわないようにするためである。もし蓋が四角ければ対角線の方が長いために蓋が落ちてしまうかもしれないのでそのようなちょっとした気遣いも存在する。マンホールはれっきとしたインフラなのである。

 日本のマンホールはとても優れている。それは機能性ももちろんであるがデザイン性にも優れているからである。多くの外国人観光客はマンホールの蓋のデザイン性に驚かされる。日本のマンホールにはご当地のPR的なデザインになっているものが多い。その地域のシンボルであったり出身の漫画家のイラストが入れられていたりと様々である。このような動きのきっかけはマンホールのイメージ改善からである。マンホールは地下の下水道の汚い、臭いといったあまり良くない印象を持っていたが、デザイン性を高めることでその魅力的なものへと変化させることに成功した。そして地域のPRへと繋がっていった。全国各地にある魅力的なマンホールを追いかけるマニアが存在しマンホールを目当てに訪れる観光客も存在する。またマンホール聖戦といったイベントまで行われている。マンホールにより多くの経済効果を得ることができている。

 以上のことよりマンホールは本来の役割以外にも多くの効果をもたらすインフラであることを忘れてはならない。また、日本のマンホールは世界と比べてとても優れたものである。海外にも多くのデザインマンホールが存在するが日本ほど凝ったものは多く存在しない。ここが日本の武器なのではないかと思う。マンホールは本来の役割を果たせれば十分であるし、余分な努力をする必要なんてないと考えるのが普通である。しかし日本人は違う。それは細部までこだわるという日本人が長い歴史の中で積み重ねてきた文化的特性を生かした強みである。日本には確かに海外に比べて遅れを取ってしまっている面はたくさんある。その事実は重く受け止める必要はあるが悲観的になりすぎる必要は絶対にない。日本には日本のやり方がある。そのやり方で強い国を目指していくことが大事である。

参考文献
日本人はなぜマンホールの美しさにこだわるのか?
https://livejapan.com/ja/article-a0001528/

第4回#マンホール聖戦「全国出陣祭り」
https://www.guardians.city/


学生による論文(77)「1年にしてならず。1年にしてあらず。」 岩本 海人 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:45:34 | 教育のこと

「1年にしてならず。1年にしてあらず。」 岩本 海人

 行政の政策への批判ランキングを作ったとして、「単年度政策」は必ず上位にランクインするだろう。そしてこの批判は何十年と続き、現在でも続いている。

 しかし、「単年度政策」によって、社会は良くなるのであろうか?私の答えは、絶対にNOだ。政策とは、人の営みへの働きかけであり、人の営みは1年という流れに乗っていないものの方が本質的には多い。その営みに対する働きかけとして、1年完結型の政策、長期ビジョンを持たない政策はふさわしくない。このことは極めて単純明快で、誰もが理解できることである。しかしその中であっても改善されなかったということは、構造的な問題があり、その構造が極めて変更しづらいことであることが予想される。

  この理由について、私見を簡潔にまとめる。
 第一に、予算年度。
 第二に、市長の任期。
 第三に、市長の選出方法、市民の潜在的ポピュリズム。
 第四に、議会内での勢力主義。
 第五に、長期ビジョン策定の困難さ。
 以上五つを、「単年度政策」が批判の中でも改善されない根拠として考える。これらについて詳細に述べることは冗長になるため控える。

 それでは、果たして、どのようにこの問題を解決するのがふさわしいのであろうか。私の答えは、「地方自治体が長期ビジョン、具体的には20年〜30年スパンのビジョンを持つこと」である。加えて、以下の要素を抑えることも必要不可欠である。
  ①住民、地域事業者がその策定に全面的に関わっていること。②内容が枝葉末節なことには触れず、エッセンスのみを抽出したような内容であること。③その地域の、風土、ランドスケープを反映させていること。④その地域の、伝統、文化を反映させていること。

  以下にその意義を述べる。

  ①実際にその地域で生きるのは住民、地域事業者であり、今を1番よく知っているのも彼らであり、今後その地域で生きていくのも彼らである。最終的に行政目線でカスタマーとなるのは彼らであるため、何より行政は彼らの意見をもとに方向性を決めなければ成らない。また、政治構造的にも市民の合意を得ることは要請される。ただし、このことは、市民の意見で全ての意思決定を行えということでは決してない。それは極めて危険な錯誤であり、注視しなければならない。

  ②市長の政策は、少なくとも前市長の政策へのアンチテーゼを含む。このことがぶつ切り政策につながるのだが、エントロピーの増大の立ち切りの観点から、重要なシステムであるとも言える。しかし、その中でも、長期的な計画が必要とされる場面は多くあり、そこで重要であるのが、エッセンスのみを詰め込んだビジョンである。このポイントは詳細には触れないことであり、そうすることで、政治体制が変わったとしても、通底した観念を持って政治が実行されていくこととなる。

  ③④人間の日常を取り巻く物事の変化の中で1番遅いのが風土、ランドスケープスケープ、ついで伝統、文化であろう。これらは、②で述べたエッセンスの集大成であるとも言える。これらが、エッセンスを抽出する上で極めて重要な役割を担うだろう。

  人間生活を根本から改善する取り組みとは、決して1年では成らず、成就することはない。そしてそれゆえ、決して1年ものではあらず、長期的なものである。

 私は現在、都市計画コンサル会社に所属し、複数の地域のビジョン策定に携わっている。それらの取り組みが、人間の営みに寄り添ったまちづくりに寄与するように、真剣に取り組んでいく。


学生による論文(76)「水道設置場所のジレンマ」 伊藤 美輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:44:04 | 教育のこと

「水道設置場所のジレンマ」 伊藤 美輝

 水道は、我々の生活を支えるものである。文明を作り出すインフラと言っても過言ではないだろう。そのため、できるだけ扱いやすい状態になるよう建設を行いたいが、設置場所によっていくつか問題が生じる。この論文ではその問題点を認識し、どのように対処していくべきかを考えようと思う。

 まず始めに、水道の役割について簡単に述べる。まずはもちろん人々の生活用水を供給することだ。人は水が無くては生きていけない。次に、汚水を適切に集め処理することで公衆衛生の向上がはかれる。また、汚水を処理してから河川や海に配水できるため、水質保全にもつながる。そして、コンクリートで地表面が覆われた街中に降った雨を配水し、浸水を防いでいる。加えて、最近は下水処理で発生したバイオガスを自動車燃料や都市ガスとして利用したり、 下水汚泥からリンを回収して肥料を作る、などの有効活用もされている。

 このように水道は我々の生活に多くの側面から貢献している。しかし、水道の設置場所にはいろいろと問題がある。今回は地上に設置した場合と、地下に設置した場合の問題点を挙げようと思う。ここで、多くの場合片方のデメリットは他方では解決されることに言及しておく。

 まず、地下に水道がある場合の問題点について述べる。まず、授業でも触れられた通り、海に近い沖積平野などは、地下水が塩分を含んでいるので、塩害を受けやすく、水道が劣化しやすい。東京や横浜の下水道は塩害と戦って維持されている。次に、こちらも授業中言及があったが、インフラが見えないため、市民に重要性を認知してもらえない、忘れられるなどがある。これにより水道のメインテナンスがないがしろにされる可能性がある。

 そして、地上に水道がある場合の問題点について述べる。まず、授業でも触れられたように、水が腐るなど空気の変化の影響を受けやすいことだ。気温が低くなる地域では、水が凍ってしまうと配水が止まってしまう。次に、災害に弱くなる可能性があることだ。電柱地下化でも言われているが、地下化すると台風などの地上の外力は受けなくなり、地震等でも壊れにくくなる、とされている。しかし、一度壊れてしまうと地上にあるときに比べ地下は復旧が難しくなる。また水は電気と違い、特別な装置が無くても流れているところに行けば使用することができることから、災害時配水装置が止まってしまっても、地上に水が流れていればライフラインを確保できる、というメリットもあるだろう。これより一概に地上にあると災害に弱い、とは言えない可能性もある。最後に、地形条件に縛られることだ。地上を通すとなると、高架や橋を使わない限りは地形に沿って作らなくてはならなくなる。自然のままだと上から下に流れる水にとっては、地形というのは無視できない問題である。

 ここまで水道の設置場所の問題点について述べてきたが、ではどのように設置するのが良いのか、という提案まではこの論文では触れないこととする。なぜならば、水道の適したあり方はその地域によって様々だからだ。例えば、塩害が懸念されるが地震が頻発する地域では、塩害と地震被害のどちらが維持管理に影響を及ぼすか考え、地上か地下を選ぶか決めるべきだろう。当然、山や谷など地形にも影響されるだろう。大事なことは、地上と地下の問題点を把握し、その土地にあった方法を選べることである。この観点は、最近話題になっている電柱の地下化でも適用できる留意点ではなかろうか。また、少しでも多くの市民に水道の在り方の理由を知ってもらい、水道を大切に維持していく意識を持ってもらうことだ。

 以上述べてきたように、水道は様々な役割を持っており、人々の生活を支えているものであるが、そのメインテナンスはどんな場所にあっても難しい。苦労しながら水路の計画を立て、メインテナンスを通じて生活を支えてくれている方々のお仕事のかっこよさが、もっと世の中に知られるようになることを願っている。

 


学生による論文(75)「『人の思い』と『インフラの未来』」 飯田 理紗子 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:42:25 | 教育のこと

『人の思い』と『インフラの未来』  飯田 理紗子

 水道をひねるだけですぐに水が手に入ること、洗濯や料理によって汚れた水がきれいに処理されて海や川に戻されていること、そして我々が日々健康で快適な生活送ることができていること、これらはすべてそうであって当然のことではない。人間が毎日生きていくためには第一に飲むことのできる水の供給(=上水道の整備)が必要不可欠である。その一方で、人間が生きていれば生きているほど、食事や排泄に伴う汚水が適切に処理(=下水道の整備)されることがなければ、都市の衛生状態はたちまち劣悪なものとなってしまうだろう。

 人々が生きていく社会がその良し悪しに大きく依存するインフラの一つである「上水道」や「下水道」であるが、この両者は共に発展し、共にそれぞれの役割を果たしてこそ我々人間は豊かな暮らしを享受することができるものである。二者のいずれかの技術が停滞していたり、いずれかは人々にその重要性を理解されていなかったりすることでインフラの価値が偏ってしまえば、本来莫大な富の遺産になるはずのインフラを設けたにも関わらず、社会は貧しいままということが起こり得るだろう。こうした事態に至ってしまうような風潮をつくり出さないように我々はどうあるべきか、中世から近世の頃の歴史の出来事に着目しながら以下では論じていこうと思う。

 ヨーロッパでは中世から近世にかけて、都市人口の増大に伴って大量の水を人々に供給すべく上水道の整備が進められた。他方でこの頃のヨーロッパは、排泄物や汚物が家から投げ捨てられるような不潔な状態であり、そこで敷設された下水道も、汚水が直接川に排出される仕組みであった。ここで私にとって引っかかったことは、投げ捨てられた汚物を清掃する「ナイトマン」の存在である。

 「上水道」と「下水道」を比較したとき、下水道に対して思わず嫌悪感を示してしまったりマイナスなイメージを持ったりしてしまう人は我々のなかにどれほどいるだろうか。下水道といえばどうしても臭くて汚いものを連想してしまうかもしれない。今までの私の知識では、古い時代の排泄物の処理は、例えばインドのカースト制度時代におけるいわゆる不可触民のように、世間から差別されてきた人が生業として行わざるを得なかった仕事であるように認識していた。言葉を選ばずに言ってしまうと、昔は「皆が嫌がる穢れた仕事は身分の低く差別の対象である人にやらせてしまえ」という考えのもとで汚物処理は行われていたのだと思っていた。日本においても中世から近世にかけて被差別身分が存在したが、もしかしたらこういったことが行われていたのかもしれない。しかし、ヨーロッパにおける「ナイトマン」と呼ばれる屎尿清掃人は、差別されるどころかそれらを回収・販売して収入を得ており、屎尿の処理を商売の道具とまでしていたことが興味深く感じた。

 ここまで「汚物」に関して昔の人々がどのような考えで向き合ってきたかについて述べてきた。これを踏まえると、一度人々が「汚らわしい」「身分が低い人がやるものだ」などとマイナスな印象を持ってしまうことで、都市の重要インフラであるはずの「下水道」が、徐々に人々にとって無関係でいたいものだと思わせてしまうものになる恐れがあるのではないかと考えた。こうなると人は、もうその「汚くて関わりたくのない」インフラに魅力を感じたり重要性を認識したりすることは無くなってしまうだろう。その結果、人々にとって健康で快適な暮らしを支えるインフラも、いつの間にか人々にとって「不要なもの」に成り下がってしまうかもしれない。また、十分な手入れがされず見捨てられるようになることで、さびれたインフラが逆に人々の健康や安全を脅かすようになってしまうこともあるかもしれない。興味を持たなくなったり敬遠したりすることが増え、個人にとって「不要なもの」にまみれた社会だと感じる人が多くなってしまったとしたら、そのような社会は豊かな社会だとは言えないだろう。社会を豊かにするという使命を持つインフラの未来は、個人の主観が持つ影響力に依存しすぎるべきではないのである。

 そうは言ってもいかなる物事には光と影があり、世の中の仕事も甘いものばかりではない。臭そうな仕事もあれば、汚そうな仕事もあるし、危険そうな仕事も多くあるだろう。影の部分が垣間見えると人はネガティブな思考に偏りがちであるが、決して「影=悪」ではないのである。そのなかにも人々にとって光となる側面が必ずあり、その光はいつも人々の思い描く未来や希望であるだろう。

参考文献:wikipedia「Night soil」https://en.wikipedia.org/wiki/Night_soil (閲覧日:2021年12月17日)

 


学生による論文(74)「生活を支える人の「つながり」」天野 雄浩 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:40:31 | 教育のこと

「生活を支える人の「つながり」」天野 雄浩

 私が講義の直近に経験した4つの例を軸に、人々の生活において大切な「つながり」について考察したい。

 深夜の都心を車で走っていると、至る所で水道管工事をやっていることに気づく。水道管は、道路という都市の重要なインフラの地下に埋設されているから、道路交通の邪魔になりにくい深夜に作業が行われているのだ。また、工事現場を注意深く見てみると、多くの工程を人の操作で行われている。深夜の作業であるから、人への負担も大きくミスも起こりやすいのではないかと思われるが、人同士の「連携」によって作業がこなされているのだろうと推測できる。こうした人目につかない時間に行われている人同士の「つながり」が活かされた作業が、実は都市に欠かすことのできない水資源の供給を支えているのだと私は考えた。

 埼玉県の荒川、入間川の上流に有間ダムという多目的ダムがある。その目的は3つある。一つ目は、洪水調節の働きがある。入間川下流部の飯能市、狭山市などの都市化が進む中、水害を防ぐ機能がある。二つ目は、都市用水の確保の働きがある。都市化の進んだ下流部の水不足を防ぐため、飯能市上水道や県営広域第一水道に水を送る機能をもつ。三つ目は、河川の本来持つ機能を保つ働きがある。具体的には、動植物の保護、流水の清潔の保持、地下水の維持などの機能をもつ。私がこのダムの特徴の中で最も良いと感じた部分は、3番目の目的に関連した「選択取水機能」である。有間ダムはロックフィルダムでありながら7孔の高さの異なる取水口を備えてあるため、下流部の農業や魚業、環境に応じた温度の水を湖から選んで放流できる。このダムは下流部の人々の生活と水資源を通じて「つながり」、様々な側面から都市の生活を支えている点で素晴らしいと私は考える。

 私は週に一回中学生の家庭教師として働いており、一次関数を解くのに苦しむ中学生の姿が非常に印象的である。私も中学生の頃は、同じように一次の数式を解くのに苦労していたのを思い出す。学部二年生の秋学期、私は土質力学と水理学を学習する中で、複雑な数式が出てくるたびに私は苦しめられているわけだが、何とか理解することはできている。これは現在の私の力だけで解決できるものではなく、過去の私の勉強が現在活かされているものと考える。小学校や中学校、高校の頃の勉強と大学の勉強が「つながっている」ことに私は改めて気づいた。

 私には大学に入る前からの知り合いが何人か同じ学科にいる。そして、大学に入ってからの知り合い、友人もいる。趣味や考え方はさまざまであるが、大学の空き時間や休日に交流する機会があるので、おかげさまで充実した学生生活が送れているように私は考える。また、私の知り合い同士でもともと面識のなかった人同士が「つながる」ことで新たな活動や機会が生まれることもあった。一人の人間が持てる能力は偏りがあるので、こうした複数人が「つながる」活動に大きな価値があると私は考える。

 水資源に関わるインフラや私生活から気づく大切な「つながり」の例をいくつが紹介した。先に述べた水道管、ダム、教育、人間関係といった例は、どれも個々の能力が高いだけではうまくいかないと私は考える。これらは、互いのことをうまく認識した「つながり」を持つことで初めて、本来備わっている最大限の能力を発揮できるものだろう。常に他者に意識を向けて考えること、よりよくなる方法を生み出していくことが大切であると私は考える。
 
 技術進歩が進む昨今、個々の能力はますます向上している。例えば、材料の性能の向上により、車や列車の車体はより頑丈かつ軽量なものになっている。災害に強い建物も増えてきた。一方で個々の能力には限界も見えてきている。自然や他者の力は、人間や個人に制御できるものではない。このような時代においても忘れてはならないのは、我々の生活の中にもありふれている「つながり」という概念であると私は考える。

参考文献
・有間ダム ~入間川の支川有間川にあるダム~、荒川上流河川事務所、2021-12-17閲覧、https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000700374.pdf
・第3弾 国内初?! 水中施工を伴う選択取水設備の新設、国土交通省、2021-12-17閲覧、http://www.skr.mlit.go.jp/yamatosa/public/interview/pdf/150722.pdf
・もっと宮ヶ瀬ダムを知る、国土交通省、2021-12-17閲覧、https://www.ktr.mlit.go.jp/sagami/sagami00024.html
・曝気循環施設及び選択取水設備の運用マニュアル(案)、国土交通省、2021-12-17閲覧、https://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/dam7/pdf/bakki_sentaku.pdf