細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(111)「殺し合いの性から自分と社会を守るのは、あなたです」 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:34:31 | 教育のこと

「殺し合いの性から自分と社会を守るのは、あなたです」

 私たちは、普段生活している中で、命を脅かされる危険性を何種類か抱えている。災害、毒物の誤飲、病気など、様々だ。この危険性の中で、もっとも身近に潜んでいて、発生確率が本当は大きなもの、それは実は殺人なのかもしれない。なぜならば、ナショナルジオグラフィックのネイチャー誌をもとにした記事によると、人間は他の動物に比べて、殺し合いを行う確率が高いとされているからだ。この記事では人間が同種間で殺し合う理由までは言及されていなかったが、私の考える理由は人間の営みである「他者とのかかわり」から発生する以下三つである。他者との差が存在することによる恨みもしくは差の原因の奪取、相手から受けた嫌がらせの妬み、価値観のぶつかり合いである。例えば、最近世の中を騒がせている電車内の包丁振り回し事件は、2つ目の理由から発生した殺し合いである。2021年8月に発生した小田急線殺傷事件では、容疑者は「幸せそうな人生を送る女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」「かつてサークル活動で知り合った女性に見下された」と動機について話している。(東京新聞の記事より引用)昔世界各地で起きていた、より良い土壌や水源を求めて土地を奪い合うための殺し合いは、理由1に当たるだろう。

 この論文では、理由の一つ目「他者との差が存在することによる恨みもしくは差の原因の奪取」による殺し合いについて深く考えていきたい。

 当然、愛する人を失い、自分の命も脅かされる殺し合いは、避けたいものである。異種族の攻撃から社会を守るために、城壁を築いたことは授業でも紹介のあった通りだ。これにより城壁内の生活が安定し、都市が発展していった。現代には、昔ほど城壁に守られた都市は少ないだろう。なぜ、城壁が無くても殺し合いが発生しなくなったのか。それは近代国家への転換による、ソフト面の整備が整ったからだと考える。殺しを働くにはいくつかのステップがあるだろう。殺しのための知識入手、相手の地への侵入、殺しのための道具の入手、仲間との相談、ターゲットの防御の破壊がある。これらのステップをソフト整備により抑え込んでいる。人を殺める可能性のある高度な技術は国家資格が必要であったり、外国に入国するにはパスポートが必要であったり、犯罪を犯すと警察に逮捕され、法律により罰せられる。また、人を殺してはいけないという教育もされている。このようなソフト整備により、城壁が無くても比較的平和に過ごせる近代国家が形成されたのではないだろうか。

 しかし、ソフト整備というのは、仕組みを変えてしまえば簡単に変えられるものである。仮に「一生のうち一人は殺してもよい」といったルールができてしまえば、殺人が楽に行えるようになってしまう。日本は平和だから少々イメージが付きづらいが、北京オリンピックのボイコットで話題になっているウイグル人虐殺などが最近の例だろう。中国の思想(ルール)に基づき殺しや拷問が許されている、と言ってもよい状況だと言われている。仕組みというのは、たった一人の権力者の手によって、がらりと変わる危険性を秘めている。この危険が日本でも表出していると捉える ことができるのが、最近ニュースになった武蔵野市の外国人住民投票案である。この条例案は、「投票資格を3か月以上、市内に住所がある18歳以上とし、実質的に外国籍の住民も日本国籍の住民と同じ要件で参加できる」ようにする条例案であった。この案は否決されたが、市長は再提出に意欲を示しているようである。市長は先進性、多様性が認められる社会を目指しているようだが、この条例案は危険思想を持った外国人を日本の国政に参加させる危険性を秘めている。例えば、望む選挙結果になるよう、選挙の3か月前に武蔵野市に引っ越し、自分の都合のいい公約を掲げている人に投票し、選挙が終わったらまた自国に帰る、という動きができてしまうのだ。もし、外国で日本のことを恨めしく思っていて、日本のソフト整備を壊そうと考える人々が一気に流れ込み、リーダーを決めてしまったらどうなるだろうか?当然、外国人全員がそんな思想を持っているとは思わないし、外国の方が同じように選挙権を持てないのは確かにかわいそうだとは思う。しかし、外国人も帰化という方法で、5年以上日本に住み続け、素行や金銭が安定していて、他の国籍を有していなければ日本国籍を取得することができる。(法務省HPより)このハードルが今回のような条例で下げられてしまうと、悪だくみをしている人が簡単に日本を狙えるようになってしまうのである。

 以上で見てきたように、実は人間は殺しと隣り合わせで生きており、この危険性から守ってくれている制度たちは、破綻する可能性を秘めている。つまり私たちは殺しによって明日の命を脅かされる可能性を皆持っているということだ。

 この可能性をどう低めていくか、以下考えていこう。殺人の原因として冒頭で、「他者との差が存在することによる恨みもしくは差の原因の奪取」を挙げた。この原因を排除できることが最も望ましいのだが、正直他者との差を0にすることはできない。貧富の差は、努力すれば全員が文化的に豊かな生活を送る水準まで差を縮めることは可能かもしれない。しかし、「親ガチャ」という言葉が流行ったように親の良し悪しや、容姿、才能の有無などの差はどうしても存在してしまう。差がない世界はクローンの世界でしか実現できないであろうし、そんな世の中は一見ユートピアに見えるが、差が0の世界は自分が何者か認識することができないディストピアである。自分の価値を見出せず、生きている意味を感じられないだろう。原因が排除できないのであれば、やはりソフト整備が殺し合いの実施を抑制するものであるよう、保つことが必要である。

 私は、万全なソフト整備を保つためには、人間の本能として、恨み・奪い合い・殺し合いがあることを忘れずに仕組みを見張ることが大切だと考える。基本的に仕組みを変えられるのは政治家である。また、仕組み改編の時は大体どこかのメディアが取り上げてくれる。政治家の情報をメディアを通してしっかりとキャッチし、「悪用されないか?」「悪用されるルートは閉ざす二重の仕組みが作られているか?」を見張ることである。危ういと思った時はSNS発信、デモへの参加、リコール運動などに参加することができる。また、そういう怪しい動きをしそうな政治家を投票で落とすこともできる。このように、私たち一般人は仕組みづくりに関わることはできないが、仕組みを注視し、考え、仕組みづくりに関わる人を変えることができる。これにより、私たちは自分の手で自分や大切な人の命を守ることができるのだ。

 日本には殺人を可能にするような仕組みを作ろうとする魔の手は及んでこない、と思い込んでいると、痛い目を見るかもしれない。世界ではむごい殺人が起こっていて、海という日本を囲む城壁は、飛行機や船など交通の発達により、破壊されたと言ってもよいだろう。災害を受けても立ち上がる日本の素晴らしい技術力やシステムを奪いに来る、もしくは潰しに来る者がいるかもしれない。城壁がない中、守ってくれるのは、人間の手で変えられる仕組みなのである。いつ何時でも平和に過ごすためには、以上で述べたことを心にとめ、常に政治を見張る姿勢が大切だ。平和を守るのは、トップの人ではなく、あなた自身、もっと言うとあなたの一票だということを忘れてはいけない。

<参考文献>
NATIONAL GEOGRAPHICS『人類は暴力とともに進化、ただし現代は例外的』(2016/9/30)
<https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/093000371/>(2021/12/24閲覧)

奥村圭吾 東京新聞『小田急線刺傷 対馬容疑者、女性に恨み「くそみたいな人生…サークルで見下され、出会い系で断られ」』(2021/8/7)
<https://www.tokyo-np.co.jp/article/122734>(2021/12/24閲覧)

Wikipedia 城郭都市
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E9%83%AD%E9%83%BD%E5%B8%82#%E5%9F%8E%E9%83%AD%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%BE%8B%EF%BC%88%E5%9F%8E%E5%A3%81%E3%81%8C%E7%8F%BE%E5%AD%98%EF%BC%89>(2021/12/24閲覧)

橋爪大三郎 PRESIDENT Online『「生かしたまま民族を消滅させる」中国共産党がウイグルで進めている恐怖のプロジェクト』(2021/9/30)
<https://president.jp/articles/-/50371?page=1>(2021/12/24閲覧)

NHK NEWS WEB 『東京 武蔵野市 住民投票案 市議会本会議で否決』(2021/12/21)
<https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20211221/1000074082.html>(2021/12/24閲覧)

法務省「国籍Q&A」
<https://www.moj.go.jp/MINJI/minji78.html#a06>(2021/12/24閲覧)


学生による論文(110)「日本史にみる土木と義務教育のあるべき姿」 秋田 修平 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:33:04 | 教育のこと

「日本史にみる土木と義務教育のあるべき姿」 秋田 修平 

 我々日本人は、非常に恵まれたことに小学校・中学校の義務教育課程において多くのことを学ぶことが可能である。その中でも、「歴史」という分野をいかに捉え、教え、学んでいくのかということは、義務教育課程での教育の中で一つの重要な点であるように思われる。特に、「歴史」は一つの出来事や一人の人間に対してであっても観点を変えて多角的な見方をすることができる、とても興味深い分野であるといえるであろう。
そこで今回は、日本史の中でも多くの人からの人気を集める戦国・安土桃山時代とそれに続く江戸時代について、戦乱の時代から江戸に都市の礎が築かれるまでを土木の観点から分析していきたい。

 まず、戦国時代についてであるが、戦国の世の中で力をつけていった大名の特徴はどのようなものであろうか。私は、その一つの特徴として、土木の素養の高さが挙げられるのではないかと思う。

 第一に、戦国武将の中でも高い人気を誇る織田信長であるが、「付城戦略」を実施するだけでなく、本拠地を清洲城から石垣造りの小牧山城に移すなどの大掛かりな土木工事を行うことで、周囲の今川義元や斎藤道三といった大名たちを圧倒していったとされている。次に、信長の死後に全国統一を成し遂げた豊臣秀吉であるが、こちらも土木のセンスが抜群であったといえよう。秀吉は、信長の後を継いで全国統一をしただけでなく、京都の土地を傾斜を利用した下水網を整えるなど、土木によって京の街の骨格を形成した人物でもあったのだ。また、秀吉が京の街に構築した「お土居」は、防塁としての役割はもちろんのこと、鴨川の氾濫に対応するため堤防としてのため役割を担うことも目的としていたというから驚きである。

 ここまででも、土木がいかに戦国の世で重要であったかが垣間見えたように思われる。では、この土木のエリート揃いの戦国時代を勝ち抜き、江戸という新たな土地で一時代を築いた徳川家康はどうであったのだろうか。言うまでもなく、こちらも土木の天才である。まず、家康が都を築きあげた江戸という土地であるが、家康が整備に取りかかる以前は集落や村々が点々と存在するのみでとても都とは程遠い状況であった。家康は、そのような状態から現在の首都東京の基盤となる江戸の街を築いていったのである。具体的には、城の拡充・城への直接的な水路の確保から始め、入江の埋め立て、家臣の屋敷の整備など、様々な土木事業を展開していったのである。

 その中でも着目するべき事業は、小名木川の開削である。現在の千葉県の上総地区は、良港が連なり東日本への玄関口としての役割を担う交通の要所となっていた。家康が江戸に入った当初、東北では伊達政宗が大きな勢力を誇っており、家康は伊達からの上総への攻撃に備える必要があった。しかしながら、江戸には大きな問題が存在していた。伊達が関宿を南下し陸路で上総を狙った場合、上総が占拠されてしまう危険性があったのだ。家康は、この危険性をいち早く発見し、小名木川、新川という運河を整備して軍の移動をより高速で行うことができるようにしたり、関宿での堀の建設により川を防衛のために利用したりと様々な対策を施した。実際に、現在でも小名木川は隅田川と荒川を結ぶ川として存在しており、家康の考えていた進軍の道筋を今でも地図上で辿ることができる。

 そして、この工事の甲斐もあってか、家康は伊達からの攻撃にやられることなく全国統一を成し遂げることになるのだ。つまり、家康は江戸の街だけでなく関東地方全体をきちんと調査した上で、その弱点を土木事業によって的確に補修することにより、江戸時代という歴史上の一大時代の基礎を作り上げたのである。

 ここで、江戸時代の土木事業に関して興味深いのは、伊達からの脅威が消えた中でも幕府が利根川の工事を継続していたことである。つまり、土木事業の目的が防衛から変化したのである。これは、当時暴れ川として恐れられていた利根川の洪水から関東平野を守るためであったのではないかと考えられている。実際、これにより関東平野は日本随一、世界有数の都市へと成長と遂げたのである。

 このようにして考えると、家康の地域調査の能力、的確な土木工事により今の日本は支えられていると言っても過言ではないのではなかろうか。
 
 ここまで、戦国時代から江戸時代に活躍した「超有名歴史人」たちを例に土木と歴史の繋がりについて考察してきた。恐らく、この「超有名歴史人」たちについてであっても、私を含めてほとんどの日本人が、このような土木の成果を義務教育の授業の中で教わることはないであろう。前述したように、歴史は切り取る観点を変えるだけでそれまでとは違ったことに気づき、学ぶことができる、とても面白い学問である。9年間もの義務教育という素晴らしい制度が確立されている日本では、ただ教科書に書いてある事実を教えるだけでなく、このような学問の捉え方や学び方、すなわち「受験だけのため」でなく本当の意味で「自分のため」になる、武器としての学問の使い方についても子供たちに伝えていく必要があるのではなかろうか。


学生による論文(109)「歴史教育の在り方」 児島 熙 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:31:35 | 教育のこと

「歴史教育の在り方」 児島 熙

 私は、歴史の授業がそこまで好きでなかった。そのため、大学受験も通史を前提とする日本史や世界史は使わずに入試に挑んだ。しかし、この講義は歴史嫌いな私でも付いていけ、好感を持てている。今回はそれが何故なのか考えてみる。

(1) 通史は1回やればよい

 私はこれまで、小学生・中学生・高校生で日本の通史を1回ずつ計3回、高校生で世界史の通史を2回習ってきた。上級生になっていくほど内容が細かくなっていくのだが、このやり方が間違っていると考える。

 まず、同じ話は1回か2回聞けば十分である。さらに、私は中高一貫校に通っていたので、中学の歴史は一回も聞いていなかった。これは、高校に入ってもう一度やればいいと考えていたからだ。結局、高校に入って日本史を学ぶことは無かったが、正直中学の時に勉強しなかったのは正解であったと考える。また、中学受験の際に歴史は細かくやったため最低限の知識(常識)は頭にある。

 以上の自分の経験を踏まえると、日本史の通史教育は1回学べばよいのではないか。ただ、小学生の頃に落ちこぼれてしまった人を考慮するなら、中学で2回学んで定着を図ったらよいのではないか。高校まで行って、少し細かい知識は加わるが基本同じような通史の授業を受ける必要は無いと考える。では、高校の授業では何をするべきなのか。それは(2)で考える。

(2) 高校では中学までの内容を踏まえた分野別の歴史と近代史をやるべき

 日本の高校では通史の授業が前提となっているため、授業時間が不足して近現代史が疎かになりがちである。また、文化史においては余力がある人がやるようなものになっている。しかし、グローバル化において文化をどう保持していくのかが問題となっている今、文化史をここまで適当に扱ってよいのであろうか。私はそうは思わない。やはり、高校では通史をやるのではなく、中学までの知識を前提にした文化史や技術史などの分野別の歴史を含めるべきだ。高校は義務教育には入らず、受験においても科目選択が効くため中学までの歴史知識に自信が無いものは、他の科目を選択すればよく、全員を巻き込んで通史をやりなおす必要は無いと考える。

 そして、私がこの講義に好感を持てるのは土木という分野の歴史を学んでいるからだ。通史ではなく、分野別の歴史になっており、また自分の生活にも直接関係しているため学びやすくなっている。

 日本の歴史教育は通史を繰り返し学ぶのではなく、義務教育を学び終わった後は分野別の歴史と近代史を深くやるべきだと考える。

 


学生による論文(108)「陽光の日本橋と陰影の首都高」 渡邊 瑛大 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:30:13 | 教育のこと

「陽光の日本橋と陰影の首都高」 渡邊 瑛大 

 徳川家康は土木の偉人である。徳川家康は、江戸に入府したのち、城郭と町の開発のために、江戸の町に運河と堀をつくった。そして、徳川家康が建設した運河や堀の存在が、時を超えたこの現代で、都市高速を整備する際の唯一の生命線となったのである。

 C1都心環状線の建設当初は、別途用地を取得してそこに高速道路を通す予定であった。しかし、都心は既に市街地化が進んでおり、高規格道路のための用地取得は現実的ではなかった。地下構造での建設を要望する声も存在していたが、河川の地下の掘削は河川環境に影響が出る。また、1964年の東京五輪を目前に控えており、工費も時間もさほど余裕がなかったため、現在のような容易に用地が確保できる高架構造での建設が決定したのである。実際、高架構造を採択したことで早期に都市高速を整備することができた。しかし、近年になると都市景観や環境保全に対する世間的な認識が高まり、歴史的にも文化的にも非常に価値のある日本橋とその周辺の景観を大きく損ねている首都高の存在は、問題視されるようになった。

 また、C1都心環状線は銀座、霞が関、日本橋といった中心部を通る首都高速道路網の核となっている道路で、放射道路からの交通が集中しやすい。そのため、建設から半世紀以上経った今でもなお、容量を超過した交通量を捌いており、老朽化が進行している。

 そして、この日本橋の景観問題と老朽化問題の両方を同時に解決するために、日本橋付近を通っているC1都心環状線の地下化事業が都市計画で決定された。事業説明や意見聴取が始まったことで、長く眠っていた構想が具体化に向けてようやく動き出したのだ。さらに、その計画に合わせる形で「都心環状線再編計画」が急浮上してきた。この計画は、2つの大きな構造上の問題を抱えているC1都心環状線にとっては非常に有効なものであると考えられる。現状として考えられる、C1都心環状線が抱える大きな問題点は以下の二つである。

 1つ目の問題点は、首都高速道路網の構造である。C1都心環状線は、放射状に伸びている各路線の起点が接続しているため、その結節点では交通が集中する。特に、江戸橋JCTから箱崎JCTまでの区間は、1号上野線、6号向島線、7号小松川線、9号深川線の車の流れが集約されている地点となっている。また、浜崎橋JCTから芝浦JCTまでの区間も、1号羽田線や11号台場線の車の流れが集約されている地点となっており、慢性的に渋滞が発生している。

 2つ目の問題点は、路線の構造である。基本的に全線が二車線であり、一部のJCTでは一車線になるといった車線容量的な問題や、急カーブが多く道路の線形が悪いこと、加速車線や減速車線が短いこと、右車線からの分岐や車線の減少などの複雑な構造などが挙げられる。

 こうした問題を解決するために、都心環状線再編計画では、日本橋地下化計画で一部が地下になる江戸橋JCTにおいて、C1都心環状線同士を繋いでいる連絡橋を撤去し、C1都心環状線と並行しているY八重洲線をその代替ルートとして活用することで、環状の形を確保することになっている。これによって、交通の流れの分散化を図り、江戸橋JCT付近の慢性的な渋滞を解消させる効果があると期待されている。加えて、現在Y八重洲線と一体となって運用されている東京高速道路(KK線)と8号都心環状線支線を廃止し、KK線の部分はプロムナードとする計画もある。この計画はソウルで行われた清渓川復元プロジェクトを想起させるものであり、実現すれば東京の新たな観光地なると考えられる。

 また、この計画では、10号晴海線延伸部も想定されている。10号晴海線は、現在は盲腸線となっているが、終点の晴海出入口から晴海通りの地下を北上し、新富町出口及び銀座出入口付近でC1都心環状線に接続する計画になっている。この道路が完成すると、都心と東京臨海副都心を繋ぐ新たなルートとして、9号深川線や11号台場線の車の流れを分散させようと誘導することができる。

 このように、日本橋地区は現在、国家戦略特区の都市再生プロジェクトによって多くの再開発計画が進行しており、首都高速もC1都心環状線を地下化することで日本橋地区再開発計画と一体的に整備を行おうとしている。現在の日本橋地下化計画では2035年に地下ルートを開通させ、2040年に現在の高架を撤去する予定である。この都心で行われる都市計画は、間違いなく首都高速道路網を大きく変える歴史的なプロジェクトとなる。日本橋から影が消えた暁には、きっと見える世界は今とは大きく異なるのだろう。当たり前に存在しているものに目を向け、その存在を当たり前と思わずに、人々にどのような影響を及ぼすのかを我々は考えるべきである。

 


学生による論文(107)「リアルな経験が正しい比較と決断を引き出す」 村岡 泰輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:28:55 | 教育のこと

「リアルな経験が正しい比較と決断を引き出す」 村岡 泰輝 

 授業内出てきた大石氏の日本と海外諸国の違いについての資料を見ると、日本の国土がいかに特殊な国土で厳しい自然条件かよくわかる。日本は細長く分断された国土、平野が少なく急流河川が流れる軟弱地盤な国土、地震が多く豪雨や豪雪といった気候も厳しい国土である。これらは他国と比較されてはじめて分かることである。

 他国で長距離の移動をすると地形の違いがよくわかるものだ。私はユーロスターに乗ってロンドンからパリまで移動したことがある。フランスでは広大な平原を進んでいく。都心の駅を離れれば家を見ることもない。だだっ広い草原を進んでいくのである。新幹線に乗るとどうだろう。海が見えたと思ったらトンネルに入り、少し広い平野に抜けたと思えば住宅が所狭しと立ち並んでいる。日本と海外の高速鉄道にどちらも乗ってみて初めて日本と海外の地形が違うことを実感した。この比較の経験は今でも日本が厳しい国土であると実感させてくれる。

 日本と他国の違いを経験することは文章を読んだだけの上っ面だけの知識を確かな実感へと変えてくれる。日本に閉じこもっているだけでは知らない世界がたくさんあるはずだ。日本だけではなく、今いる空間や知っている世界から飛び出して別の世界を知るような様々な経験をもっと積まなければならないと強く感じた。

 上っ面の知識は時に大きな決断ミスを生むかもしれない。決断の選択肢の比較検討をするには上っ面の知識では情報量が経験するよりも圧倒的に少ないからだ。日本の電力自由化政策をとってみれば、国力を下げることに繋がりかねない危険な政策であることは海外の事例を見れば明白なことだと細田先生は話した。そうだとすれば今の政治家は知識ではわかっていながらも自分の利益を優先させているのだろう。それは海外の事例は上っ面の知識でしかないからだ。もちろん海外の事例を直接すべて経験することは難しく不可能に近い。しかし別の様々な経験が海外の事例の経験を疑似経験のように想像させるのに役に立つだろう。

 不明瞭な未来についても同じだ。まだ生じていない未来のリスクを経験することはできない。しかし他の多くの経験が未来の予測の精度を上げていくに違いない。東日本大震災の時にどれだけの経験豊富なベテランが英断を下しただろうか。また比較するデータが間違っていればもしくは誇張操作されていれば正しい比較はできない。それらを見破るのも豊富な経験が必要だ。

 私は正しい比較で良い決断ができるようにコロナ禍で活動が制限されていてもできる限りの様々な経験を大学でしたいと思う。しかし実際は心を病んでなかなか一歩踏み出せなかった。心を病んでしまった理由の一つにオンラインでの自分と他人の比較があると感じる。自他の比較はモチベーションの向上につながり一見悪いことのようには見えない。だが時に壊滅的な影響をメンタルヘルスにもたらすこともある。SNSなどをみて他人の人生と比較することで自分の欠点に目が付き、劣等感に苛まれ、抑うつ状態に陥る。オンライン授業でも実際は画面の向こう側でさぼっている人もいるのかもしれないが、全員が真面目に受けているように感じて自分だけが置いて行かれている気がしてしまう。なぜSNSやオンラインでは自分の欠点に目が行くのか。

 それはオンラインでは自分と他人の比較をするには情報が少ないからだ。つまりSNSやオンライン授業ではその人の上っ面を見ていることに他ならない。対面で会話や雑談をして初めてあらゆる角度から他人をみることができて自分と他者の比較が正確にできるようになる。SNS上の上っ面の情報のみで比較をするのではなく、実際に対面で会話をするという経験が正しい自分と他者との比較を生むのだ。そしてモチベーションの向上につながるのだ。

 正しい比較をして良い決断ができるようになるにはリアルな経験が必要不可欠だ。上っ面の情報を学ぶだけではなく自らリアルな経験をして多角的に物事を見ることを心がけていきたい。

 


学生による論文(106)『戦の準備はできたか ー現代版「日本防衛作戦」ー』 宮内 爽太 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:26:49 | 教育のこと

『戦の準備はできたか ー現代版「日本防衛作戦」ー』 宮内 爽太 

 本日の講義で、関東を治める徳川家康は、奥州を治める伊達政宗の脅威に備えて土木工事を行い、現在の関東平野の礎を築いたということを学んだ。また、竹村公太郎氏はこの家康が行った施策を、「関東防衛作戦」という言葉で表現している。

 現代に生きている我々にとって、昔の時代の軍隊同士の戦いというのは、歴史の授業で学ぶように、鉄砲や刀などといった武器を使って戦っているというイメージが植え付けられているように思う。勿論、このことは何も間違っていないのだが、ここで強調したいことは、戦い方は武器“だけ”ではなかったということだ。

 本稿では、この「関東防衛作戦」から学び得られる戦い方を、現代において特に重要な戦い、すなわちこれを自然災害と捉え、この現代の戦いへの備えについて論述する。

 はじめに、講義の当該部分について改めて解説する。
 江戸時代、徳川家康が治める関東は、東北の伊達軍の視野に入っていた。当時の関東には広大な沖積平野が形成され、雨が降ればそこは湿地帯になるため、関東側にとっては防衛上極めて有利な状況であったのだが、分断されていたはずの北関東と房総半島は、関宿でわずかな幅で繋がっていた。また中世以降、房総半島は東日本の重要な戦略地点で、この半島の南側の上総は、関西にとっての東日本の玄関口であった。
 このような状況を見て、家康は「伊達政宗が陸路で関宿を一気に南下し、上総を占拠すれば江戸は危機に陥る。」という関東の弱点を発見し、その弱点に土木工事で対応したのだった。
 家康は江戸入り後、まず最優先で江戸城から船橋までの小名木川と新川の運河を建設し、その後も船橋から東金までの直線道路である「御成街道」を建設した。一方、関宿側では利根川の会ノ川締切り工事を行い、利根川と渡良瀬川の流れを銚子に導くことで、北関東と房総半島を分断するような巨大な堀を造り、防衛線を敷いた。これが一連の「関東防衛作戦」であった。
 まとめると、家康は伊達軍との戦いにおいて、上記のような土木工事を実行し、今ある関東平野を築き上げたのだった。本稿の冒頭で、「戦い方は武器“だけ”ではなかったということである。」と述べたことの答えが、まさにこの「土木」である。

 さて、現代の日本において、武器を交えた軍隊同士による戦いというのはもう起こり得ないだろうが、今の時代において特に考えなければならない戦いが存在する。それは自然災害である。この戦いの相手の種類は様々で、相手のことがある程度予測できるのが台風や大雨などであり、一方で予測できないのが地震である。

 伊達軍のようにある程度行動が予想できる相手への対策は比較的考えやすいが、全く予想できない相手への対策は困難を極める。ただ、不確定な地震リスクに対して、いつまでも「予想ができない。」という言葉で片付けてしまってはいけない。構造物の耐震補強や老朽化した構造物の更新など、補強できる弱点は沢山あり、このようにして自然災害という敵には土木の力で戦うしかない。

 したがって、我々は家康の作戦を踏襲し、今の日本の弱点(沢山あるのはさておき)をあぶり出し、自然災害に対する防衛作戦を考えなければならない。ただ私としては、今の日本は、弱点を発見する段階はある程度できているものの、インフラ整備にお金を回し、土木工事を実行に移すという段階で足踏みしてしまっている気がしてならない。本当に戦いに備えなくて大丈夫なのか。備えずして勝てるとでも思っているのだろうか。これはいつ起きるかの予想ゲームではないのだ。我々の命を懸けた戦いであり、負けて後悔する前に備えを始めるべきだ。

 最後に、家康が遺した言葉の一つに、

「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。」

という言葉がある。これは「勝ってばかりで負けた経験がなければ、本当に苦境に直面した時に乗り越えることができない。負けからしか学べないことがある。」という意味である。実際、これまでには阪神・淡路大震災や東日本大震災、その他にも何度も大きな自然災害が日本を襲ってきた。しかし、それでも完全に敗北した訳ではなく、土木の力によって復旧・復興し、立ち上がって、今日の日本の国土の姿がある。私は被災された方・まちを前に、「戦いに負けたことは良い経験だった。」とは決して言うことはできない。だが、これまでの災害の教訓なしに、日本が強くなることは不可能であろう。負けて学び、弱点を克服してこそ、戦いに勝てるようになるのだ。

 我々には、南海トラフ巨大地震、首都直下地震、富士山の大噴火など、歴史に残る「天下分け目の戦い」が待ち受けている。これらはいつ起こるか分からず、ほぼ同時に起きる可能性さえある。このままでは本当に日本は負ける可能性がある。現代版「日本防衛作戦」はもう始まっている。

参考文献
・建設総合ポータルサイト「けんせつPlaza」より
公益財団法人 リバーフロント研究所 技術参与 竹村公太郎「文明とインフラ・ストラクチャー第26回 家康の野外調査 ー利根川東遷のある仮説ー」
http://www.kensetsu-plaza.com/kiji/post/3975
最終閲覧日:2021年12月24日
 

 


学生による論文(105)「日本の危機にリスク学で挑む」 松尾 祐輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:25:26 | 教育のこと

「日本の危機にリスク学で挑む」 松尾 祐輝

 日本という国は、ソフト・ハードともにここ数十年で劇的な技術発展を経験してきた。技術発展によって豊かさや生きやすさも劇的に拡大したように感じられるが、豊かさや生きやすさは悪用されれば怠惰さにつながる可能性もある。また、平常時においては生きやすくても、震災や水害などの大きな危機が降りかかる可能性を常に孕んでおり、実際に危機が降りかかれば豊かさや生きやすさはとたんに縮小する。近年の大きな危機として東日本大震災や新型コロナウイルス感染症が挙げられるが、これらの危機を経験したことで今の日本のさまざまな問題が顕在化し、解決の必要性が認知されたように思う。もしこれらの危機を経験することが無ければ、今の日本はもっと怠惰になっていたかもしれない。とはいえ、今後来るであろう富士山噴火や南海トラフ地震、首都直下地震などのより大きな危機を経験した暁には、今の日本は多大な影響を被り、相当大変な復興を強いられる可能性が高いのは講義で耳にした通りである。実際にこれらの危機が降りかかった時になるべく影響を小さくするための解決策を考える必要があるが、今回のレポートではその1つとして「リスク学」の視点を与えることにする。

 リスク学においては、上記の危機が起こる可能性や、目的(≒豊かな社会)に対する不確かさの影響を「リスク」として捉え、リスクの発現前に行う策を「リスク対応」、リスクの発現時に緊急的に行う策を「危機対応」としている。上記の危機へ有効に対応するためには、リスク対応と危機対応をバランスよく行うことが必要である。以下では、これらをバランスよく行う上での注意点をいくつか述べる。

 1つ目は、一般市民の中で、大きなリスクの発現を経験してはじめて心を入れ替える人が多いということである。これは最初の段落で述べた「生きやすさが怠惰さを助長する可能性がある」というところに関連するが、人間は生きやすい社会に置かれると危機のことは頭から抜けやすくなってしまうという性質を持つため、そもそもリスク対応という概念は共有されにくい。そしてリスクが発現した時には人それぞれ危機本能を発揮し、自分の能力に応じた危機対応を行うようになる。また、実際に有効なリスク対応を行うためには当該分野における豊富な知識が必要となるため、一般人がリスク対応を行うのは難しいように思われる。しかし逆に考えれば、豊富な知識をつけるために一生懸命勉強したり、身の回りのリスクを自分事と捉えたりすることによって、リスク対応の技術を身につけることが可能である。リスク対応ができるようになれば、他の人に教育したり、自分の中で危機対応とのバランスを考えたりすることでより豊かな社会に近づいていくはずである。

 2つ目は、リスク対応や危機対応自体には一定の時間がかかるが、リスクの発現は(物によっては)時を待ってくれないということである。さらに危機対応には「リスク発現前に危機対応の手法を考えること」と「リスク発現時に実際に危機対応を行うこと」の2つがあり、両方とも一定の時間を要することになる。リスクの発現時には「リスク対応の手法の検討および実践」と「危機対応の手法の検討」が終わっている必要があるが、この2つを行うのには一定の時間がかかる。そのため、長いスパンがかかるような対応であればその分早くから対応を始める必要がある。このとき、実際に計画した(一度考えた)対応の中から実際にどの対応を行うかの選択をする必要があるが、これを行うためには事業の目的を長期的に考えて、無駄な対応をなるべく減らす努力が必要であり、これも難しいポイントである。さらに時を待ってくれないようなリスクへの対応であれば、リスク対応やリスク発現前の危機対応が予定通りに終わらないことも見据える必要がある。

 2つ目の注意点については、土木事業においても同じことが言える。地震や水害などの自然災害を大きな危機とするのであれば、それに当てはまるリスク対応は「ハード構造物の建設」になるわけだが、これには数年~数十年の期間を要するものが多い。すなわち、他の分野のリスク対応にかかる時間とは比べ物にならないくらい多くの時間を要する。そのため、事業の目的を長期的な視点で考える能力をより磨く必要がある。

 最後に、「ハードもソフトも変わりすぎると何をやっているのか分からなくなる」という内容について言及する。これは先生が講義で日本の実情としておっしゃっていたことであるが、これに対する解決策の中には、1つ前と2つ前の段落で述べた「事業の目的を長期的な視点で考える」ということが含まれるだろう。少し具体化すると、長期的な視点を持っていれば今すべきこと(変えるべきこと)が分かり、ある程度変わり方を絞った上で変わることができるということである。そして「事業の目的を長期的な視点で考える」上で有効となるものが、最初に述べた「リスク学」ではないかと考えている。特に「学問」というものは、コロコロ変わってしまう対策に軸を持たせ、対策を体系化するためのツールであるように思う。そのため、リスク学に限らず明確かつ体系化された学問的知識を身につけ、その知識のもとで今すべき対策を考えていくことが、今の日本にとっての危機を乗り越えるコツではないかと考えられる。

 


学生による論文(104)「日本と欧米、自立した思考を持たなければ終わる日本」 前田 頼人 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:24:23 | 教育のこと

「日本と欧米、自立した思考を持たなければ終わる日本」 前田 頼人 

 日本と外国では、小スケールなプロジェクトチームから大スケールな行政まで組織の在り方において異なる点が数多い。その一つに日本の特徴である縦社会がある。しかし、近年は横のつながりを重視する考えが欧米の例を参考にして導入するべきだという意見が数多く聞こえる。しかし、それは外国を美化しすぎる日本人の悪い性格が前に出てしまっているのではないか。

 日本は大陸の人間と比べて、主君の能力がずば抜けて高いが、民の個々人の能力は高くない傾向を感じる。日本で横のつながりよりも縦の繋がりを重視する傾向はこのような仕組みから来ているのではないか。これより、日本人が縦の繋がりを利用することは本来得意であると推測できる。すなわち、能力の高い主君、リーダーの下で縦の繋がりを強化した組織は日本人の間ではうまく機能するということだ。しかしながら、現在の日本国内の組織はトップに能力が決して高くない、またはその能力が衰えた人が居座っていることが多い。つい最近も、国内の大学でトップに立つ人間が脱税を行った事件などが発生している。では、縦の繋がりを撤廃し、欧米の組織で成功している実績がある横のつながりを重視した構造を組織に取り入れるべきなのだろうか。私は、どちらも取り入れるべきだと思う。日本人のように個人の競争力が低い民族では、小規模な単位では成功するとしても、横のつながりは停滞をもたらす可能性のほうが高い気がする。そのため、横のつながりを小規模な単位で導入しつつ、縦のつながりも強化することが望ましい。これが日本人に適したやり方なのではないか。土木史の授業では、しばしば改革ではなく強化をすべきだという考えが示されるが、先人たちの築き上げたシステムを一気に崩壊させて別の磨き上げられていないシステムを導入することは非常に危険である。確かに当初から悪循環を起こしてきたシステムであれば改革が必要かもしれない。しかし、土木分野や行政、自治体など多くの組織はそうではないだろう。そうであれば、当の昔に日本は消えてなくなっているはずだ。その点、強化をすることは既存の素晴らしい部分は残しながらも新しい考えを取り入れ、部分的な改善を行っていくため、スムーズに先に進むことができるだろう。私は先人たちの苦労を知るほど、改革という言葉に嫌気がさす。

 少し視点を変えてみてみると、外国資本に侵され、外国の言い分を美化し、日本に不利な状況を作る思考が日本の中に蔓延してしまっているように思える。自動車産業がよい例である。日本車のハイブリッドシステムに勝てなかった欧州車はEV車が正義であるようにふるまい始めている。そして日本車メーカーもEV車に本格的に取り組むそうだ。EV車の効率の悪さや日本の気候や地形を考えると、ガソリン車やハイブリッド車が適しているのは言うまでもない。日本の豪雪地帯や山間部では確実にEV車は不適切であり、再生可能エネルギーにシフトするべきだと言い張る世論の中で、EV車を賄う電力の供給も考えなくてはならず、無駄な費用を国がたくさん負担することになるであろう。このように考えると、自分たちのやり方を模索しなければ、複雑化した社会の中で、日本は他国に後れを取ってしまうと心の底から感じる。


学生による論文(103)「形態は余白を持って機能に従う」 平原 裕大 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:22:40 | 教育のこと

「形態は余白を持って機能に従う」 平原 裕大 

 今年の9月初旬、私は学科の友人と一緒に三陸地方を周った。東日本大震災から約10年と半年が経って、ようやく実際に大津波の被害を受けたエリアを見に行くことができ、非常に貴重な機会となった。

 三陸沿岸の各都市を見て周っていく中で、最も印象に残ったのが、防潮堤の存在である。ビル4〜5階分の高さの壁が直線的に聳え立つ光景は、想像を絶する程インパクトのある光景で、あの日各都市を襲った津波の大きさ・恐ろしさを感じるとともに、非常に大規模な構造物をたったの10年で色んな場所に作り上げた人間のパワーを感じ、その凄さと聳え立つ壁の高さに圧倒された。訪問時点では三陸沿岸の都市の内湾となっているような場所には概ねどこにも築かれており、三陸沿岸を走っているとかなりの頻度で見かける光景であった。最も印象的だった場所は、岩手県宮古市の道の駅みやこシートピアなあどの周辺である。道の駅は海っぷちにあるのだが、道の駅に入る手前で一度防潮堤の下を潜らなければならない構造となっており、防潮堤を超えた瞬間はなんだか不思議な感じがした。

 しかしながら、1つ変だなと思ったところがあった。それは被災地における「街と海との関係性」である。ビル4〜5階分の防潮堤があるために、市街地にいるとどうしても海を感じることが出来ないのである。元々三陸沿岸は漁業が盛んであることはもはや言わずもがなかもしれないが、漁業を始めとして海との繋がりが非常に強い地域である。防潮堤は、海と街とを隔てている大きな壁のように見えて仕方がなかった。(別に海を感じられようと感じられまいと命には代えられないという意見は当然だと思うので一旦置いておく。)

 この防潮堤とは被災地にとってどういう存在なのか?そもそも「壁」とはどういう特徴を持った装置なのか?一度整理してみようと思う。

 壁は分断を象徴する装置である。生身の人間が補助なしでは決して超えることのできない空間を生み出すことにより、人々の往来・交流を妨げる。

 また、時に壁は形を作る装置にもなる。城郭のように、主に円や四角形など、壁が閉じて内部と外部に空間が分けられる場合、壁はその内部空間の外縁となり、形をわかりやすく提示してくれる。また、現代の都市においてはその土地の所有範囲を明示するために、自分の所有する土地と隣地や道路等との間に壁が設けられることも多い。

 そして、壁は防御のための装置でもある。「何に対して」防御するのかは様々である。例えば、城郭であれば周辺の外敵の侵攻に対して防御する役割を持ち、防波堤であれば高波・高潮・津波などの海で起こる自然災害に対して防御する役割を持つ。ドナルド・トランプが以前アメリカ・メキシコ国境沿いに作ろうとしていた壁であれば、いわゆる「ヒスパニック」と呼ばれている人々のような、不法移民の侵入に対して防御する役割を持つ。

 壁とは、内と外の関係性を断つことを代償に、外敵から身を守る大きな力を与えてくれ、時にはその外郭を与えてくれる装置であると言えるだろう。

 巨大な防潮堤は、海と街の空間を隔てる代わりに、津波という人間がどうもこうも太刀打ちできない自然の力から守ってくれる存在であると言えるだろう。さながら、城下町における城郭と似たようなものを感じる。

 海と街の繋がりは、防潮堤により絶たれる側面があるのは、防災という観点からいくと仕方がないことであろう。たくさんの命が奪われてしまったあの大震災を思い出せば、命が簡単に奪われてしまうような街の構造にすることは、今回の大震災での経験を無下にしてしまう行為である。街の形は、その機能に従う必要があるだろう。一方で、海と街の繋がりという観点では、これまでのこの地の歴史・文化・人の営みのことを考えると必要なものであろう。命には代えられないが、一方で防潮堤の周辺等でその繋がりを絶たないようにする取り組みというのはいくつかできるのではないかと思う。一部の場所では、防潮堤の横に避難場所として高い構造物を整備し、平常時は湾を一望できる展望台として、災害時は津波から逃げる一時避難所として使えるようにしてある場所もあった。「形態は機能に従う」という言葉があるが、形態に多少の余白を持たせながら機能に従わせるという方法も取れなくはないのではないかと思った。

 


学生による論文(102)「暗記ゲーの理由」 西浦 友教 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:21:06 | 教育のこと

「暗記ゲーの理由」 西浦 友教 

 率直に言うと私は「歴史=暗記ゲーム(以下、暗記ゲー)」だと思ってこれまでの人生を生きてきた。その中で、いろいろなネットの記事や周りの人から「歴史は過去の出来事からなぜそれが起きたのか、その理由や関係性を考え、その教訓を現代に活かすことにつながる重要な科目である。過去の人々の成功と失敗から学ぶことが大事なのである。」というニュアンスの説明を見聞きする機会がちらほらあったものの、やはり歴史にそこまでの興味を持つことはできず、暗記ゲーとして割り切って向き合っていた。

 しかし、今日の講義中の徳川家康の話を聞いた時、「暗記ゲー」一色だった私の中の歴史の印象が少し変わった。小学校の時に初めて習い、今に至るまで飽きるほどその名を耳にしてきた徳川家康について、土木に関連付けて学ぶだけでこんなにも興味を持てるようになるのかと素直に驚いた。「学び方がつまらないだけで歴史自体はおもしろい。歴史に残る人物の人生は波乱万丈である。」という細田先生の言葉も、まさにこのことか、と深く納得した。

 では、その「つまらない学び方」とはどのような学び方なのか。この問いに対する答えの糸口として「やりがい(学びがい)」と「義務感」があると私は考える。やりがいと義務感の境界というものは一重の紙のように薄い。どちらも人に存在意義を与えるけれど、その副産物には天と地の差がある。やりがいは人に活力を与え、義務感はストレスをもたらす。両者の違いは単純で、そこに楽しさがあるか否かである。

 これまでの私は、歴史を学ぶことに対してやりがいを感じることができていなかった。それどころか授業という義務感に完全に支配され、その結果、暗記ゲーなどと解釈して終わりにしてしまっていた。これが暗記ゲーの理由である。

 今日、私は徳川家康について、暗記ゲーと割り切り義務感に飲み込まれている状況から、やりがいを感じる学びの段階に這い上がることができた。そのきっかけは、徳川家康と土木の見えていなかったつながりに気づくことができたことだ。「つまらない学び方」から脱却する私にとってのきっかけがたまたま講義内に転がっていただけで、私以外の人にとってのそれがどこに転がっているのかは分からない。もしかしたら講義内かもしれないし、歴史ゲームや歴史マンガの中から発見されることもあると思う。歴史の勉強に限らずとも、日常にあふれる様々な「義務感」を「やりがい」に変えるきっかけや糸口を見つけることができた時、それはその人にとっての大きな財産になると思う。暗記ゲーを暗記ゲーのままで片づけるのではなく、やりがいに変換し、大きな活力として自分の中に吸収できるよう意識したい。

 


学生による論文(101)「インフラの目的を味わえる親水空間に~小名木川を歩いて~」 中村 優真 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:19:54 | 教育のこと

「インフラの目的を味わえる親水空間に~小名木川を歩いて~」 中村 優真

 私は以前、小名木川の水路沿いの独特の歩行空間と、その上にかかる橋や水門の数々に興味をもち、散歩しに行ったことがある。一帯は江戸時代の雰囲気を少しでも醸し出そうと考えたのか、木目風のデザインとなっている箇所が多く、晴れ晴れとした気候もあり歩いていて気持ちのよいものだった。頭上には国鉄の貨物線の歴史ある鉄橋から、近年の再整備によってつくられた新しい人道橋まであり、インフラの歴史と、洗練のされていきかたを味わうのにも良い道であるように思う。

 しかし、引っかかった点としては、遊歩道が一つの道としてつながりきっていなかったことである。途中には、河川の流量を管理し水害から周辺地域を守る役割を果たす扇橋閘門や、もうひとつ重要な水運の輸送路であった大横川と交差する区画があるが、こういった場所において、住民が小名木川の水路という重要なインフラを味わうことができる遊歩道を途切れさせ、近くの車通りが多い道路まで大きく回らないとその部分を通り抜けることはできないようになっていた。ほかのインフラが、インフラに親しむよいツールともいえる遊歩道を途切れさせていたのがなんとも皮肉なものであるといえる。

 これは、単純に遊歩道としての機能面もそうだが、本来の水路の目的、ありがたみである江戸中心部に向けて一直線に結べるような輸送路ができているという当時の船が味わったような感覚が、あまり感じられなくなっている、というところにあり、当時の整備の意義を感じさせるにはまだまだ薄いというところがあるのかもしれない。閘門の設備上、遊歩道をそのまま通過させるのは難しいところもあるのかもしれないが、うまく方法を考えつつ、閘門の設備を間近に見ながら歩ける環境があると、さらにインフラを味わえる歩道として小名木川を活かすのに役立つと思う。
その点、横十間川との交点にあった、十字状の橋である小名木川クローバー橋のつくりには感動させられるものであった。構造としても単純に面白いものであるばかりか、ひとつなぎの遊歩道としての機能を維持させるのにも役立っていた。こういった独特の発想を持ちながら、インフラの機能を向上させていくような構造物を、筆者としてはもっと見たいものである。

 


学生による論文(100)「城壁と水路、ランドパワーとシーパワー」 白岩 元彦 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:18:43 | 教育のこと

「城壁と水路、ランドパワーとシーパワー」 白岩 元彦 

 私はインフラには国によって地政学的な思想の違いが色濃く反映されていると考える。特に国によって過去に作られた城壁と水路の上に造られることが多い高速道路に注目すると、逆にインフラは地政学で一般的に言われるようなランドパワーとシーパワーの思想の違いを強く反映していると推測する。この論文では上記の主張について都市の高速道路を具体例に挙げながら論ずる。

 はじめにこの論文にたびたび登場するランドパワーとシーパワーについて整理する。ランドパワーは大陸国家のことである。大陸に根差して、陸上をベースにいろいろ商売をしたり軍事力を発揮しようとしたりする国々のことであり、フランスやロシア、中国などがランドパワーに分類されることが多い。一方、シーパワーはシー(Sea)の名の通り海洋国家のことである。海に面している国のため、船を使って周辺の国々と交流することが多い。日本やアメリカ、イギリスがシーパワーに分類される。

 こうした国々はそれぞれの周辺にある環境の違いから、ランドパワーは周辺が陸続きであるため、常に外敵からの攻撃を防がなければならならず、シーパワーは周辺に自由な海が広がり、船を使用しなければ限られた国土でしか生活ができないため、常にお互いに協力し合い活発な交流を行ってきた側面がある。そのために、ランドパワーは都市を城壁で囲み、シーパワーは都市に水路を設けて人と物を活発に交流させるようにしてきた。

 そして城壁と水路はその目的の違いから全く異なる構造物であるように感じられるが、現在はどちらも同じ高速道路の用地として利用されている。フランスの首都パリや中国の首都北京は昔に造られた城壁を壊して現在は高速道路として利用している。城壁はまっすぐに都市を四角く囲むようにつくられるため、高速道路はまっすぐで車線数も比較的多く、四方だけ曲がっているような構造をしている。一方で日本の首都東京の首都高速道路は江戸時代に造られた水路や川をうまく使用しながら水路の上に高速道路をつくっている。そのため、高速道路は水路に合わせてうねうねとカーブが多い構造になっていて道路の車線数も比較的少ないことが多い。このように高速道路でもそれぞれの国でその特徴は大きく異なる。そしてそれらの特徴はその場所に昔利用されていたものに影響を受けたものが多い。

 以上のように、私はインフラがその国の思想が強く反映されているため、インフラをよく観察することでその国について知ることができると考える。土木は国づくりであるため考えてみれば、思想が違えば造られるものも違うのは当たり前ではあるが、それぞれの国のインフラを比較することによって根底にある考え方や概念に触れるのは非常に面白い。

参考文献
1.サクッとわかる ビジネス教養 地政学 (サクッとわかるビジネス教養) 単行本(ソフトカバー) – 2020/6/13 奥村真司
2.“ランドパワー”であるフランスと“シーパワー”のイギリス ~地政学から見るその「性格の違い」ニッポン放送 奥村真司
(https://news.yahoo.co.jp/articles/eeb4b5e5a1584386b6885257de10cef420754b2e?page=1)


学生による論文(99)「プライバシーとコミュニティの壁」 佐藤 鷹 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:17:11 | 教育のこと

「プライバシーとコミュニティの壁」 佐藤 鷹 

 雨や風、外からの視界をも遮断してくれる壁というものは我々に得も言われぬ安心感を与える。現在の日本には囲郭都市のような生活に影響を及ぼすほどのハードの壁はないが、この安心感に関してはソフトの壁にも同じことが言える。ただ、それが良いように作用する場合もあれば、悪いように作用する場合もあることは忘れてはいけない。今回はそれらの壁の必要性について述べたい。

 昔から、普通、情報を得ると言ったら、人の話を聞くということは大きな比重を占めているように思う。直接人の話を聞くということはその人の元に足を運び、対話をしたり、授業を聞いたりするということである。これには壁がない。すなわちお互いにお互いが見えるので、話をしている側は誰に聞いてもらっているのかが分かる。対等性が確保されるのである。一方でインターネット上では一人一人に壁がある。すなわち自分が何を閲覧しているのかが直接的には誰にも知られないような、ある種プライバシーの保たれた状況が用意されている。そのくせに壁に囲まれた場所からの視界は極めて良好で、一人と直接話すよりも、量という観点に限って言えば、多くの意見に触れることができる。要はインターネットの世界においては、意見を得るだけの側は堅牢な壁に四方を守られていながら、自分の視界は良好な状態を保ち、目的の情報にたどり着くことができるのである。しかしこの状況で意見の発信者と取得者が対等かと言われれば疑念を持たざるを得ない。自分の安全が保たれた場所において、そこに用意された隙間から全体像を覗くことほど安心感を得られるものはないが、対等性という点からいえば、自分の周りを守り取り囲む、プライバシーの壁を取り払うことは大きな意味を持つ。相手の意見に対する尊敬の念を強め、真摯に向き合うことができるはずである。

 しかし全て壁を取り払ってしまうのは良くない。例えばある程度の規模のコミュニティを囲む、外枠としての壁は必要であろう。特に、人々が自信を持つという意味においては、現代においてコミュニティの壁はむしろもう少し意識していくべきなのではなかろうか。

 現代の我々が“歴史”といって勉強するほどの時代を生きていた人々は、今よりもいくらか自信を持っていたと思う。コミュニティとしての壁が周りを取り囲んでいたからであろう。例えばある集落の村ならば、田植えを早く正確にできる人、機織りが上手な人、算盤が得意な人など、“その小さな村の中で”何かに秀でた人がいて、その人が他の人にそれを教えるというやり取りがあったはずである。要は人数が少ないからこそ、その中で何かが得意であるという体験を得やすかった。しかしインターネットが普及することによって、コミュニティを取り囲む既存の壁は崩れ落ちた。日本や世界の各地にいる才能に満ちた人たちの存在を知ることとなり、「彼らに比べたらどうせ自分なんて」という感情が先行し、自信を失ってしまう。才能の溢れる人たちは、注目を浴びやすいために、いとも簡単に見つかってしまうのである。そのため、ある程度のコミュニティ規模に止めておくということは、各人の自己肯定感を高め、コミュニティ内の技術や知識の継承を促すためには必要だと考える。

 プライバシーの壁をある一定取り払い、コミュニティの壁を再構築する。自己肯定感が低いと言われる日本人においては、後者を意識するということは特に必要であろう。現実にしろインターネット上にしろ、意見を述べる際の対等性が保たれたコミュニティがいくつも存在し、さらにそのコミュニティ同士が交流することができれば、より豊かな人間としての営みが送れるはずである。


学生による論文(98)「新しい公共の実践」 落合 佑飛 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:14:44 | 教育のこと

「新しい公共の実践」 落合 佑飛 

<目次>

新しい公共の背景

新しい公共の概念

新しい公共の実践

発展途上

 

新しい公共の背景

 改めて新しい公共の考えに触れておこう。これは私の独自の考え方なので読者の共通の理解を得られないからである。

 ただ、その前に日本の現状を見ていく必要がある。かつての日本では武士道が重視されてきたが、封建制度の崩壊によって霧散してしまった。その後は欧米化が進み、特にアメリカの影響を強く受けたために規制緩和に伴う弱肉強食の時代に突入した。それが生活保護バッシングや在日外国人へのヘイト、まだ記憶に新しい津久井やまゆり園での虐殺などのゆがんだ形で表出している。これらは弱者への攻撃である。こうした攻撃は弱者が弱者たるゆえんを彼らの努力不足とか必要ない存在であると考える人が多いから行われているのである。ここにはうまく行っている人は努力をしてきた、あるいはそういう才能があった、と考えるという特徴があるように思う。

 具体例を二つ見てみよう。いつだったかの新聞に、安倍総理になってから生活はよくなっていないものの、安倍総理のことを支持している山形かどこかの若手農家の記事があった。この記事はちょうど選挙の機運が高まっていた時のものだったと記憶しているが、この時の若手農家のコメントが衝撃的であったので紹介したい。それが「確かに生活は苦しい。先のことも見通せない。だけど、安倍さんは総理大臣をする才能があるんだと思う。だから支持している」という趣旨のものだった。私はこれを読んで雷に打たれたようだった。確かに総理大臣と自分とでは違う人間である気がする。それはあなたと私が違う人であるという意味ではない。住んでいる世界や見てきたものが違う気持ちがするからである。直接民主制だったアテネも同時代のローマも今よりも不十分な社会ではあったが、政治に参加し自らの行動で変えられると信じてやまなかったようである。現代のように無関心無感動ではなかっただろう。ここで現代の若者の選挙にまつわる考え方でもう一つ衝撃的だったものを紹介する。それが、なぜ選挙に行かなかったのですか?という質問を投げられた渋谷の若者のコメントである。なんと「自分のような考えも浅い人間が一票入れると、それが反映されてしまって悪影響だと思うから」であった。

 二人の例を引いてきたが、これらの考えの裏には自分は馬鹿であるという劣等感と政治や社会に対する当事者意識の欠如がある。選挙とか政治とか意識高くて難しい問題は分かんないや、という雰囲気の蔓延である。

 こういう人たちはぎりぎりの生活をしている。彼らは確かにパチンコに行ったり朝まで飲み歩いたりしているだろうから、周囲からみると怠惰な生活を送っているように見える。しかしそうではない。彼らは日々明日の生活の不安におびえ、それを無理やり飲み込むために酒を飲み、パチンコの騒音で自らの内からこみ上げる不安に蓋をしているのだろう。彼らには明日の不安という大きな不安を常に抱えている。将来を見通せない不安は私にはそれを言い表す言葉を見つけることができない。しかも彼らは一度病気になっただけでも生活が立ち行かないような環境にあるのに、彼らは病気になりやすい生活を余儀なくされている。また彼らは生活保護すれすれでそれを受け取らず生きていたりする。だから、働かずに寝ているだけの老人に腹が立ったり、自分たちより給与がいい外国人に怒ってみたり、生活保護を貰ってパチンコに行く人を税金泥棒と罵ってみたりするのであろう。彼らには劣等感がある。だから上の者には文句は言わない。彼ら自身、政治家や普通に働いている人に対して、政治家や普通に働いている人は自分より勉強ができた人で才能がある人だから給与が高かったり休養が多かったりということを認めているのである。幼少からの教育制度やその後の様々な挫折体験による劣等感の醸成が将来の格差社会を差別を受ける側の納得を形成しているのである。

 こんなわけで、日本社会は以前にも紹介したような至らなさの競争を繰り広げる社会となっている。これが武士道が廃れてからの日本の動向である。

新しい公共の概念

 骨子となる考えは感謝と責任感である。

 例えば大学生はここまでの学びの環境に感謝するべきである。具体的にはノート一冊、鉛筆一本が手元にあることに感謝するべきである。私の同級生にも立派に学問を修める人間が多くいるから、きっとこのノートを運んでくれた運転手さんやノートの売店の人よりも多くのお金を受け取ることになる人間がいるだろう。しかし、そのようになれたのは自分たちの消費する部品を運んできてくれた人を始め様々な人の協力があったからである。私たちはこのことに感謝するほかないとしみじみ感じる。我々は多くのものによって生かされているのである。

 しかし、我々の仲間は優秀であることもあいまって自分たちに恵みをもたらしてくれた他者よりも多くのお金やチャンスを得ることになるだろう。私はこのチャンスを生かして得たものをそうした機会に恵まれなかった他者に返すべきだと考える。金は天下の回り物というが、お金だけでなく機会も独り占めしてはいけないと思われる。その根拠は自分が周囲の人たちのサポートがあったからこそそのチャンスに巡り合えたのだと考えるところにある。

 自らの生活が無人島では成立しないということは、他者に頼っているということであり、感謝の念を抱くのは当然というものであろう。そして、その恵みをもたらしてくれる他者が困っているのならそれを助けようとするのが恵んでもらった者の勤めであろう、と考えるわけである。

 ただ、ここまでは前回までで触れた。今回はここから実際にどのような内容が行われうるのかの実例を示していきたい。

新しい公共の実践

 横浜市旭区にある左近山団地は1960年代に造成された大規模団地である。集中的に開発された地域であるから、公園やプレイロットといった外部空間も豊富にある。現在では高齢化率が上昇傾向にあり、平成30年9月の時点で46.5%の高齢化率にある。団地は住棟にエレベーターが無く高齢者の外出を妨げる一員にもなっている。

 そんな地域で活動するのが今年から地域課題実習になったサコラボである。もともと2017年に左近山に実際に学生が住むことで活動が始まったが、この活動が徐々に拡大していった。現在では6名が左近山団地に実際住んで活動している一方、11名が左近山団地の外に住んで活動している。

 さて私はこのサコラボの一員として大学一年生のころから活動している。私自身がサコラボの活動に参加しようと思ったきっかけは高齢化対策をできればいいと思ったからである。団地は高齢化の先進地域である。諸地域よりも先に課題に直面することを余儀なくされている。しかし、これがチャンスなように私には思えたのである。ここで一石を投じることができれば他の地域でも生かせるだろうと思ったことも動機の一つである。

 そもそもサコラボはじめ地域での活動を旨とする学生団体は、学校での学びを地域にアウトプットする場として位置づけられることが多い。大学で勉強したことはそのままでは役に立たない。しかし、地域の諸課題に当てはめて大学の内容を落とし込んでいければ自らは自らの学びに対する深い理解を得られるし、なにより地域に還元できることになる。大学という閉鎖空間から外に出て、社会を実際に少しずつでもよくしていこう取り組みは私の提唱する考え方にそぐうものである。

 しかし、現実問題として感謝と責任感があっても学生は無力である。地域をよくすると言ってもそこには絶対的な評価は存在しない。還元できるものが無いかもしれないし、還元しようにもどこにしていいか分からないことも少なくない。何より大変なのが自らのやりたいことが地域の欲することではないこともあるということである。学生側が提供できるもの、地域の課題、地域の意向、こうしたものを検討調整したうえで実行していく。こうした過程は初めは面倒に感じるものである。あるいは、現代の人は多くが面倒に感じているものでもある。地域のかかわりはお手本もないし、どんな人がどこに住んでいるかもわからないということで億劫になるものであろう

 私は当然サコラボの活動をするうえで地域の利益になるように考えて行動している。自らが持っているものを左近山に還元できればうれしい。しかし、まだ新しい公共の考えは発展途上である。これを理念としてまとめるには日常の生活に根ざしている必要はあるものの、日常の雑事にとらわれてはいけない。この考え方自体は前述の通りであるから賛同がなくとも理解はされると思うが、これを実現するとなると十人十色の方法があるだろう。こうした考えを包含しつつもそれらの軸として成り立ちうる考えとして新しい公共が成立する将来が理想である。


発展途上

 以上、私自身の活動の内容を一部紹介して新しい公共を実際の活動のレベルに落とし込んで活動する難しさも紹介した。この武士道に次ぐ公共の考え方はより多くの人の間に浸透すれば望ましい社会になるのではないかと期待している。お互いがお互いに感謝し、自分のできることと少しの他者へのいたわりをもって接することができる環境は現在は失われた人間関係の基本となるところだろう。

 私の実践例ではそこまでには至っていない。目の前の課題で手一杯なことも多い。それでも実際に新しい公共という仮説を実地に持ち込み、自分がこの意識で活動した時にどのような成果を残せるのかを観察するのは有意義だろう。

 道は多くの人が通ることで成るものである。武士道に次ぐ公共の考え方が多くの人に浸透し、武士道に次ぐ“道”となれば嬉しい。

参考文献

学生による論文(80)「新しい公共 ~武士道からの決別~」 落合 佑飛 (2021年度の「土木史と文明」の講義より) - 細田暁の日々の思い (goo.ne.jp)

2021年12月25日閲覧

学生による論文(43)「批判批判論 ~GTPレースを題に~」 落合 佑飛 (2021年度の「土木史と文明」の講義より) - 細田暁の日々の思い (goo.ne.jp)

2021年12月25日閲覧 


学生による論文(97)「壁の考え方」大河原 知也 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-07 09:13:39 | 教育のこと

「壁の考え方」大河原 知也

 人類は農耕の開始により定住化するようになり集落を作って暮らすようになっていった。そして集落にある食物をめぐって多くの争いが起こるようになった。そのような外敵から自分たちの身を守るために城壁を築き上げていった。中国の万里の長城のような巨大な城壁は世界各地に存在する。漫画「進撃の巨人」にも大きな壁が登場し物語の鍵を握っている。今回は壁の意義を明確にし、その必要性について考察する。

 「進撃の巨人」における壁について説明する。物語の人類は謎の生物「巨人」から身を守るために壁の中に囲まれた都市で生活をしている。壁は三重にあり内側から直径が540㎞、820㎞、1020㎞である。王政は一番内側の壁の中にあり外側の壁にいくにつれて一般人が住むようになっている。壁のおかげで人類は巨人の恐怖を忘れて暮らすことができている。しかし、それと同時に壁の外のことを知らないので人類の発展は遅れ、無知すぎるが故に王政にいいような国になってしまっていた。このように壁は自分たちの身を守るのに役立つと同時に外部からの情報を遮断し進化の妨げとなってしまう。

 壁とはその壁を挟んだモノ同士を分け隔てて混ざり合うことを阻止する。これにより得られる利点は他の干渉や侵入を防ぐことにより個を守ることができることである。壁により仕切られているからこそ自分のペースでやりたいように進化をしていくことができる。反対に不利な点は交流が絶たれてしまうことである。交流が無くなることにより他の刺激を受けて発展することができず相乗効果的なスピードで起こる発展はなしえない。「進撃の巨人」では壁によりこの両方の側面が実際に見られている。

 利点のみを享受できるような壁を作りたいのが本心であるが、ハード面では難しいと思われる。しかし、ソフト面では可能である。ハード面での壁とは物理的な壁であり特定のものだけを通すことは不可能である。自動ドアのように人に反応して開閉するシステムは存在するが同じ空間内に他の生き物も存在するため人が通る隙に侵入されてしまう可能性がある。ソフト面では壁を私たち自身が創造するため壁をうまく利用することができる。取り入れたい物のみを自由に選択し得ることができ、不要なものは入ってこない。また、向こうが発している時にのみ相手側の壁は開かれ私たちは発信をしていくので気持ちよく発信をすることができる。

 現代社会ではグローバル化や文理融合化などの様々な壁を取っ払っていくような動きが多くみられる。しかしそれは間違っている。なぜなら、いい情報と共に外敵が侵入してきて自分たちの文化や学問が好き勝手に変えられていっていしまうからである。本当に大事なことは壁を持った状態で必要なもののみをおいしいとこ取りして我々が持つオリジナリティに加え強化していくことである。軸がぶれることがなければ本当の成長につながる。自分に合った壁を創り適宜、壁の門の開け方を改善していくことが求められていくことになるだろう。