「戦乱の世から学ぶ」 秋田 修平
「戦国時代」と聞くと、どのようなイメージを持っているであろうか。武士が馬に乗り、刀を持ち、互いに戦っている場面をイメージする人、自分の好みな戦国武将をイメージする人など様々であろう。私自身、この講義を受ける前には戦国時代に対して「強い人たくさん時代」という程度のイメージしか持っていなかった。しかし、この講義を受け、戦国時代に対して今までとは少し異なる捉え方をするようになったのである。
今回は、その戦国時代の特徴を考察するとともに、現在の私の戦国時代に対する捉え方について論じたいと思う。
まず、日本の歴史を振り返って考えてみたとき、戦国時代はやや特異的な時代であったと考えることができるのではなかろうか。戦国時代には、その「戦国」という名の通り、各地に多くの国が存在しており、戦乱を繰り広げていた。もちろん、戦国時代以前も各地で力のある人物は存在しており、その地のリーダーとして活躍していた人物は戦国時代以外にも多くいる。しかしながら、幕府勢力の衰退のために本当の意味での全国のリーダーが存在していなかったこと、加えて、日本各地に数多くの国が点在し、それぞれの国を治める「数多くの」大名たちが全国統一のために争いを繰り広げていたことは、戦国時代の特異的な点であるように思われる。つまり、日本国内で国同士が鎬を削り、自国を大きく、豊かなものにしていくという、現代における世界の縮図のようなものが展開されていたと捉えられるのである。世界との競争力が低下している現代の日本に生きる我々は、戦国(現代ならば世界的競争)の世を生き抜き、立派な国を築きあげた優秀なリーダーから多くのことを学ぶことができるのではなかろうか。そして、この講義の主題である「土木史」も、当然、その例外ではない(例外ではないどころか、学ぶべき最重要項目の一つであるかもしれない)。「甲斐の虎」として名を馳せた武田信玄、東北地方の一大勢力であった伊達政宗、前回のレポートで論じた戦国三大武将(織田信長・豊臣秀吉・織田信長)、これら全員が土木の重要性を認識し、高い土木的センスを持っていたといえるであろう。
さらに、これらのセンスの片鱗は、現在でもそれぞれの武将が治めていた、地域を見ることで確認することができる。三大武将に関しては前回のレポートで論じたため、ここでは甲斐の武田信玄、伊達政宗について論じたいと思う。
まず、武田信玄であるが、「信玄堤」という言葉は耳にしたことがある人がいるのではなかろうか。信玄は自身が22歳のときに甲府盆地に流れる釜無川・御勅使川の氾濫を経験し、自国の繁栄のために治水事業をスタートさせる。この際に信玄は、家来たちの意見に積極的に耳を傾け、そこで得た知見を的確に事業へと反映させていった。具体的には、暴れ川である釜無川・御勅使川に対して、1つの策での正面衝突的な対策ではなく、将棋頭と呼ばれる岩を用いて川の流れを緩やかにするなど複数の策を用いて川の流れを緩やかにした後、最終的に信玄堤と呼ばれる霞堤において川の水を誘導していくという複合的な対策をとったのである。この信玄堤の完成までには20年弱の期間を要しており、当時の大変な大事業であったことが分かる。甲斐の虎、武田信玄の強さは、このような地道な土木事業によって下支えされていたのではなかろうか。
次に、東北の一大大名である伊達政宗であるが、拠点として政宗が仙台に築いた青葉城に注目したい。青葉城は、その名の通り仙台市の青葉山という場所に1600年、政宗が築いた城である。この時代、政宗は反徳川派である会津の上杉氏との睨み合いが続いており、いつか起こると想定される合戦に対しての備えが必要であったのだ。この青葉城であるが、奥州街道沿いで交通の便がいい仙台市街地の近くにあるにも関わらず、山林に囲まれるなど敵からの攻撃を非常に受けにくい場所にあるのだ。つまり、利便性に長けた難攻な城であったのである。実際に私が青葉城を訪れた際、仙台駅から地下鉄で3駅ほどで青葉城に着き、その利便性を実感したのも束の間、青葉城に続く長い急坂を目にして絶望したことを覚えている。そして、なんとかその急坂を登りきると、仙台市街地から海までを一望することができ、ここでも政宗の凄さを見せつけられたのである。また、政宗は川村孫兵衛重吉という治水の名手を家来にもっており、仙台の発展にはこの川村が大きく貢献したといえるであろう。
戦国時代というと、やはり戦乱の時代という印象が強いように思われる。しかしながら、切り口を変えてみると、国に力をつける(国を豊かにする)ために各大名が鎬を削った時代と捉えることもできるのではなかろうか。そして、その優秀な大名やその家来たちが全国各地で行った努力は、結果的に後の日本の発展、さらには現在の日本を支える「戦国時代の置き土産」となったように思われる。
土木という眼鏡をかけて戦国という時代を見た時、私は今までとは違った捉え方、学びを得ることができた。様々な眼鏡をかけて、歴史を振り返ることはとても面白く、我々に多くの学びを与えてくれるのではなかろうか。