細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(132) 「戦乱の世から学ぶ」 秋田 修平 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 09:02:46 | 教育のこと

 「戦乱の世から学ぶ」 秋田 修平 

 「戦国時代」と聞くと、どのようなイメージを持っているであろうか。武士が馬に乗り、刀を持ち、互いに戦っている場面をイメージする人、自分の好みな戦国武将をイメージする人など様々であろう。私自身、この講義を受ける前には戦国時代に対して「強い人たくさん時代」という程度のイメージしか持っていなかった。しかし、この講義を受け、戦国時代に対して今までとは少し異なる捉え方をするようになったのである。

 今回は、その戦国時代の特徴を考察するとともに、現在の私の戦国時代に対する捉え方について論じたいと思う。

 まず、日本の歴史を振り返って考えてみたとき、戦国時代はやや特異的な時代であったと考えることができるのではなかろうか。戦国時代には、その「戦国」という名の通り、各地に多くの国が存在しており、戦乱を繰り広げていた。もちろん、戦国時代以前も各地で力のある人物は存在しており、その地のリーダーとして活躍していた人物は戦国時代以外にも多くいる。しかしながら、幕府勢力の衰退のために本当の意味での全国のリーダーが存在していなかったこと、加えて、日本各地に数多くの国が点在し、それぞれの国を治める「数多くの」大名たちが全国統一のために争いを繰り広げていたことは、戦国時代の特異的な点であるように思われる。つまり、日本国内で国同士が鎬を削り、自国を大きく、豊かなものにしていくという、現代における世界の縮図のようなものが展開されていたと捉えられるのである。世界との競争力が低下している現代の日本に生きる我々は、戦国(現代ならば世界的競争)の世を生き抜き、立派な国を築きあげた優秀なリーダーから多くのことを学ぶことができるのではなかろうか。そして、この講義の主題である「土木史」も、当然、その例外ではない(例外ではないどころか、学ぶべき最重要項目の一つであるかもしれない)。「甲斐の虎」として名を馳せた武田信玄、東北地方の一大勢力であった伊達政宗、前回のレポートで論じた戦国三大武将(織田信長・豊臣秀吉・織田信長)、これら全員が土木の重要性を認識し、高い土木的センスを持っていたといえるであろう。

 さらに、これらのセンスの片鱗は、現在でもそれぞれの武将が治めていた、地域を見ることで確認することができる。三大武将に関しては前回のレポートで論じたため、ここでは甲斐の武田信玄、伊達政宗について論じたいと思う。

 まず、武田信玄であるが、「信玄堤」という言葉は耳にしたことがある人がいるのではなかろうか。信玄は自身が22歳のときに甲府盆地に流れる釜無川・御勅使川の氾濫を経験し、自国の繁栄のために治水事業をスタートさせる。この際に信玄は、家来たちの意見に積極的に耳を傾け、そこで得た知見を的確に事業へと反映させていった。具体的には、暴れ川である釜無川・御勅使川に対して、1つの策での正面衝突的な対策ではなく、将棋頭と呼ばれる岩を用いて川の流れを緩やかにするなど複数の策を用いて川の流れを緩やかにした後、最終的に信玄堤と呼ばれる霞堤において川の水を誘導していくという複合的な対策をとったのである。この信玄堤の完成までには20年弱の期間を要しており、当時の大変な大事業であったことが分かる。甲斐の虎、武田信玄の強さは、このような地道な土木事業によって下支えされていたのではなかろうか。

 次に、東北の一大大名である伊達政宗であるが、拠点として政宗が仙台に築いた青葉城に注目したい。青葉城は、その名の通り仙台市の青葉山という場所に1600年、政宗が築いた城である。この時代、政宗は反徳川派である会津の上杉氏との睨み合いが続いており、いつか起こると想定される合戦に対しての備えが必要であったのだ。この青葉城であるが、奥州街道沿いで交通の便がいい仙台市街地の近くにあるにも関わらず、山林に囲まれるなど敵からの攻撃を非常に受けにくい場所にあるのだ。つまり、利便性に長けた難攻な城であったのである。実際に私が青葉城を訪れた際、仙台駅から地下鉄で3駅ほどで青葉城に着き、その利便性を実感したのも束の間、青葉城に続く長い急坂を目にして絶望したことを覚えている。そして、なんとかその急坂を登りきると、仙台市街地から海までを一望することができ、ここでも政宗の凄さを見せつけられたのである。また、政宗は川村孫兵衛重吉という治水の名手を家来にもっており、仙台の発展にはこの川村が大きく貢献したといえるであろう。

 戦国時代というと、やはり戦乱の時代という印象が強いように思われる。しかしながら、切り口を変えてみると、国に力をつける(国を豊かにする)ために各大名が鎬を削った時代と捉えることもできるのではなかろうか。そして、その優秀な大名やその家来たちが全国各地で行った努力は、結果的に後の日本の発展、さらには現在の日本を支える「戦国時代の置き土産」となったように思われる。

 土木という眼鏡をかけて戦国という時代を見た時、私は今までとは違った捉え方、学びを得ることができた。様々な眼鏡をかけて、歴史を振り返ることはとても面白く、我々に多くの学びを与えてくれるのではなかろうか。

 


学生による論文(131) 「経路依存の克服」李 大範 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:58:24 | 教育のこと

「経路依存の克服」李 大範

 私は今までの選択が正しいのか常に考えている。今回の講義で学んだように一時期判断した挙句、選択した結果が、これからの人生に大きな影響を及ぼすことが多いと思うためである。ある意味、留学の選択、志望する学科に進み、学び、これからの夢をひらめくことを願ってることにも選択をして今都市基盤学科で土木、都市に関わる勉強をしている。しかし、私の夢は建築家になることで、これからの都市に画一化されている建物の形をデザインし、再建することで、観光としての価値だけでなく都市に住んでいる人々が日常生活にアートとしてなじみ、楽しんでほしいと思っていた。ところが、いくら美しいアートとしても外部圧力(地震、災害、テロなど)が加わると一瞬に形も残らず消えていく。「芸術性を活かすことができても保つことができなかったら芸術的価値はない。」と思った。このような考え方から結局土木、シビルエンジニアリングの方向から、耐震、災害リスクを学び、これからの都市を安全で快適な空間に創り上げ、管理することが最も重要な事案ではないのかと感じた。

 このことで、先進国でも技術と研究が進んでいる日本の留学を決め、都市基盤学科に入学することができたが、さすがに建築と距離は違い学科とはいえ、建築学科の設計模型やデザインの勉強とは距離の遠い工学的な勉強、これからの都市リスクを改善のための考察などの学びが多かった。

 決心の下この学科に進学したつもりだが、建築デザインの勉強を並行してすることが難しいことを知ったら、最終的に私が変えた選択が、もともと願っていた建築デザインの道とは方向が違うため、その分野の専門的な勉強をできなくなり、土木分野の道に専念するしかないという観点から考えてしまうと、ある意味経路依存性になってしまったと思われることもあるだろう。もし建築デザインの専門的な分野を勉強したくて進路の選択を翻すことになったら、編入したり、学科の再入学、さらにそのプロセスのための受験勉強に費やす時間とコストなどのさらに付加的な面があるため、イギリスがEU離脱が困難を極めていることと同じ場合だと考えられる。

 経路依存から大きな変化を怖がることは発展はないと思う。これからの時代では大きな革命なる変化がない以上さらなる発展につながることは難しいと思う。私は進路の方向を変えた時の「安全で快適な都市空間を創ること」が第一であるため、この分野を専門的に学び、さらに、これから建築デザインの分野の知識を頭に入れておきつつ、永遠なる芸術性を保つ都市空間を創り上げていきたいと思う。


学生による論文(130) 「産業を支える道路」 渡邊 瑛大 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:57:03 | 研究のこと

「産業を支える道路」 渡邊 瑛大 

 人類は、遥か昔、狩猟や採集といった獲得経済から農耕や牧畜といった生産経済へ転換した。そして、農業を行うために、農機具の性能の向上や品種改良といった機械や技術の開発だけでなく、河川の堤防の整備や溜池の建設といった自然を利用した土地の開発も行われてきた。その結果、農業の労働生産性や土地生産性が向上し、第一次産業は人々の生活を支える根幹となったのである。その後、経済の成長とともに産業構造の高度化が進行し、労働力は第三次産業へと移行した。しかし、その労働力を支えているのは紛れもない第一次産業であり、我々は第一次産業がなくなれば生活ができない。そして、人々が生活していくための産業や経済を支えているのは、道路や港湾施設、治水施設、農業生産基盤などのインフラなのである。特に、北海道では北海道開発事業によって様々な社会基盤が整備され、人々の暮らしを支えてきた。

 例えば、道東道は道央エリアと道東エリアを繋ぎ、移動を促進させることや時間を短縮させることを主な目的として建設された。1995年にまず十勝清水ICから池田ICまでの約50kmの区間が開通した。しかし、この区間は広大な十勝平野の中央付近であり、沿線人口が少ない上に並行する国道38号や国道242号などの一般道は線形が良くかつ空いていたため、わざわざ有料である高速道路を利用する人はほとんどいなかった。そのため、当初の目的は全く達成されず、当時の一日あたりの利用台数は約650台と利用状況は大きく落ち込んだ。営業係数が全国で最下位となっただけでなく、建設に何百億円もかけた結果がこうした凄惨たるものであったため、国会では不要な高速道路として槍玉に挙げられるようになり、「クルマよりクマの方が多い道」と批判されたこともあった。

 ではなぜ、需要が大きいと考えられる国道38号の難所である狩勝峠や国道274号の難所である日勝峠の辺りを通って清水や新得から占冠・千歳方面へ抜けるルートを先に建設しなかったのか。実際、1999年に千歳恵庭JCTから夕張ICまでの区間が開通した際には、一日あたりの利用台数が約2500台となり、大きな成果を挙げた。一方で十勝平野の区間は利用台数の増加に伸び悩み、2003年に池田ICから本別ICまで路線が延伸されたが、一日あたりの利用台数は約1500台に留まった。これは、道央と道東を阻む最後の砦としてそびえたつ日高山脈によって工事が難航したためである。日高山脈は地盤が非常に脆く、穂別トンネルでは一ヶ月で1mも工事が進まないこともあった。調査や設計に時間を要した上に豪雪地帯であったために難工事となったのである。だが、2011年に、穂別トンネルや占冠トンネルなどの3000mを超える長大トンネルによって山越えが克服され、当初の目的がようやく達成された。その後は全線に渡って交通量が増加しており、物流や観光などの様々な面で良い影響を与えている。

 現在、北海道では、こうした道路網や港湾・空港といった経済や産業を支えるインフラが整備されたことで、迅速かつ効率的な物流や観光客の移動が可能となっただけでなく、治水事業によって農地の洪水の被害が低減され、また農業生産基盤が整備されたことで土地生産性が向上した。そのため、第一次産業である「食関連産業」と第三次産業である「観光関連産業」を関連させた新たな形の産業が、北海道の将来を担う産業として期待されている。

 このように、この世の全てのインフラには造られる目的があり、果たすべき役割がある。インフラがその役割を果たすのは今かもしれないし未来かもしれない。また、インフラの恩恵は一時的なものかもしれないし、恒久的なものかもしれない。今は活躍していないインフラも、きっと近い将来に活躍する日が来るのだ。不要なインフラなど今の世界には存在していないだろう。


学生による論文(129) 「たかがため池、されどため池、水の都を侮るなかれ」 宮内 爽太 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:55:33 | 教育のこと

 「たかがため池、されどため池、水の都を侮るなかれ」 宮内 爽太 

 以前の私の論文にて、毛馬閘門をはじめとする淀川に関連する土木施設が、大阪の「水の都」としての発展に寄与したということについて述べた。その時に用いた「水の都」という表現は、特に運河や河川に焦点を当てたものであり、一般的な「水の都」としての捉え方で述べていた。言い換えれば、「水の都」という表現から思い浮かべるものは、運河や河川といったようなものしかなかったのだった。事実、「水の都」という言葉はほとんどそのような意味でしか用いられておらず、水が都市の形成・発展に貢献しているところに対して、「水の都」という愛称がつけられている。

 しかし、本日の講義を踏まえて、都市の形成に関わる水のかたちは、運河や河川のようなものだけではないということに気づき、「水の都」という言葉の意味に足りない要素についての着想を得た。本稿ではそれについて論述し、大阪が真の「水の都」であることを証明する。

 結論から言うと、その要素とは「ため池」である。

 まず、ため池について、農林水産省によると、「ため池とは、降水量が少なく、流域の大きな河川に恵まれない地域などで、農業用水を確保するために水を貯え取水できるよう、人工的に造成した池のことである。」という。すなわち、ため池は私たちの日々の食事に大きく関わっており、なくてはならないものである。本日の講義でも紹介された狭山池ダムも一種のため池であり、現存する日本最古のダム式ため池である。この狭山池も、農業用水確保のためにつくられた土木構造物であり、私も1年前にこの狭山池ダムと、隣接する狭山池博物館を見学し、その功績を自分の目で確かめてきた。遺された堤や中樋、木製枠工など、日本最古の狭山池を形成していた土木構造物を見るだけで、積み上げられてきた歴史の重みを感じた。

 さらに、本日の講義で「世界かんがい施設遺産」というものがあることを初めて聞き、狭山池ダムもこれに登録されていることを知った。さらに調べてみると、「狭山池」が平成26年に登録されたのを筆頭に、のちに「久米田池」、「大和川分水築留掛かり」が登録され、直近では令和3年11月26日に「寺ヶ池・寺ヶ池水路」が登録されたばかりであった。これはまさに、大阪のため池をはじめとするかんがい施設が、日本だけでなく世界からも認められている証である。

 ではなぜ、それほど大阪のため池に注目するのか。それは大阪府全体を地図や航空写真で俯瞰すると見えてくるものがある。実際に俯瞰して見ると、特に府南部の方に大小様々な池が多数存在していることに気づく。それもそのはず、大阪にあるため池の数は11,077箇所で、日本で4番目の多さを誇る。また、ため池の総面積は2,500ヘクタール、貯水量は7,300トンにも及ぶ。また、先に述べた世界かんがい施設遺産に登録された4か所のため池や水路も概ね府南部に位置している。この地域がいかにため池を必要としていたということが読み取れる。

 したがって、大阪が発展するために必要としていた「水」というのは、都市の水運だけではない。人々の食を支えるための、ため池という「水」も必要だったのだ。ため池の存在をなしにして、大阪全体が「水の都」として花を咲かせることはできなかったであろう。

 正直に言うと、私は今まで過ごしてきた中で、ため池が土木に関係していて、私たちの生活にどれほど貢献しているかなどは全く知らなかった。これは農業にでも関わらない限り、ため池を本来の目的で利用する機会もないため、そう感じてしまうことは仕方がない気もする。しかし、現在は狭山池や寺ヶ池などの多くのため池が遊歩道や公園としての役割を果たしており、たとえ本来の目的としてため池が使われなくとも、今も市民にとっては必要な場所になっている。身近にある、何の変哲もない池が、実は私たちの生活を支えており、都市の貴重な水であるということは忘れてはならない。

 大阪は秀吉の水運だけではない。行基のため池も、重要な水の都の要素である。大阪はこれら両方を併せ持ち、これからも「水の都」としての名を世界に轟かす。

参考文献
・大阪府HP 「南河内のため池(教えてため池)」
https://www.pref.osaka.lg.jp/minamikawachinm/m_index/k_oshietetame.html
最終閲覧日:2022年1月7日
・農林水産省HP 「ため池」
https://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/bousai_saigai/b_tameike/
最終閲覧日:2022年1月7日
・農林水産省HP 「世界かんがい施設遺産」
https://www.maff.go.jp/j/nousin/kaigai/ICID/his/his.html
最終閲覧日:2022年1月7日


学生による論文(128) 「信玄堤から学ぶ、ゼロリスクとリスク共生の違い」 松尾 祐輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:54:07 | 教育のこと

「信玄堤から学ぶ、ゼロリスクとリスク共生の違い」 松尾 祐輝 

 甲府盆地西部の信玄堤には、凡人が一度見ただけでは分からないようなさまざまな仕掛けがある。信玄堤の仕掛けのうち代表的なものに「霞堤」があるが、これは武田信玄の「水に逆らわず、水を利用することで水との闘いに打ち勝つ」という信念の表れであると考えられる。私はこの信念を耳にして、信玄は河川からの水の流出を一種のリスクと捉え、400年前からリスク共生に当たる考えを持っていたのだと感じた。一方、現代においては自然災害や新型コロナウイルス、凶悪事件などのさまざまなリスクに触れる機会が多く、「ゼロリスク」という言葉も随所で話題になっている。このレポートでは、ひとまず河川からの水の流出という一つのリスクにおけるゼロリスクとリスク共生の違いを整理し、これからの堤防整備における論点を述べる。ただし、このレポートで述べる考えは、(土木に限らず)他のリスクに対しても適用できるものであり、現実の社会ではこれらのリスクを集合体と捉えて総合的なリスク対応を行っていくことが望まれる。

 「霞堤」とは、堤防を連続させるのではなく所々に切れ目を入れることによって、河川の水をあえて緩く流出させるものである。水の流出を許容することになるため、流出場所周辺での浸水の被害は発生してしまうが、その範囲は限定的であり、普通の堤防が決壊したときの影響範囲と比べると大きく狭まる。これは、河川からの水の流出をリスク①と捉えた時、一部のリスク①を許容することに当たり、河川からの水の流出による流域の総合的な人的・物的被害という別のリスク(リスク②)を低減することにつながるものである。すなわち2つのリスク①,②について「リスク共生」が意識されている。

 400年前の信玄の霞堤に対し、ここ数十年で整備されている堤防の多くは様相が違う。河川沿いに連続的に堤防を整備し、可能な限り堤防の高さを高くすることで、河川からの水の流出を防ぐという考えの下で建設された堤防が多いように感じられる。これは、河川からの水の流出をリスク①と捉えた時、リスク①をゼロにする、すなわちゼロリスクを目指すことに当たる。ゼロリスクを目指して堤防を整備すると、堤防が壊れなければゼロリスクを実現できるが、堤防が壊れると急激にリスクが発現して多大な危機が訪れる。そのため、河川からの水の流出による流域の総合的な人的・物的被害という別のリスク(リスク②)は0か100かのような極端な振れ幅になる。一方、最近の堤防整備においては、再び「霞堤」を取り入れる流れも見えてきている。私は2019年台風19号に関するNHKのテレビ番組で初めて霞堤の存在を知った。防災や治水自体に興味をもち始めたのが高校生の初め頃(2017年頃)であったため、ただ私が知らなかっただけであるかもしれないが、それでも霞堤が話題に上り始めたのは、大きな水害が多発しているここ数年であるように感じる。

 以上のように、河川からの水の流出をリスクとすれば、簡単に言うと「霞堤はリスク共生、河川沿いの連続した堤防はゼロリスク」ということになる。では、これからの堤防整備において、ゼロリスクとリスク共生をどのように考え、実際にどのような堤防の整備を進めていけばよいのだろうか。

 私が考えている理論は、「簡単なのはゼロリスクだが、効果があるのはリスク共生」である。ゼロリスクの場合、「河川からの水の流出を防止する」という明確な目的のもと、河川の増水高の想定に基づいた堤防を河川沿いに整備すれば良いため、整備における問題点が少なくなりやすい。実際、ここ数十年の堤防整備は、多量の整備需要と整備の簡便さが要因となってこちらの堤防が多くなっているのではないかと考えられる。一方、リスク共生の場合、「一部で河川からの水の流出を許容し、流域での被害が拡大することを防止する」というやや不明確な目的のもとで堤防を整備する必要がある。ここには、リスク共生の概念自体の難しさと、ステークホルダー(利害関係者)の価値観をすり合わせる難しさが存在する。後者については、堤防の整備によって一部の住民が立ち退きとなったり、その他多方面との合意形成が必要となったりすることがあるが、これらに関わる人がそれぞれもつ「価値観」は全く違うため、堤防の整備という1つのプロジェクトに対する価値のすり合わせが必要となる。しかし、これらの難しさを乗り越えることができれば、総合的なリスクの低減を実現することができ、高い効果が得られる。逆にゼロリスクを目指した場合、0か100かのリスクを抱えたまま生活を行うことになり、100になったときの影響は計り知れない。

 よって、すべての堤防について霞堤のような質の高いリスク共生を実現させることは難しいが、氾濫による人的・物的被害のリスクが高い場所や、一度破堤してしまった場所などの一部の堤防に絞ってリスク共生を取り入れることが最適ではないかと考える。しかし、既にゼロリスクを目指して建設された堤防の周辺地域に関しても、万が一破堤した時の対策は事前に十分考え、なるべく人的・物的被害を減らせるような努力はする必要がある。

 このレポートでは、河川からの水の流出を中心にゼロリスクとリスク共生を見てきたが、治水を総合的に行って流域上の社会全体を豊かにする上では、流域全体で水をマネジメントする「流域治水」なども重要なカギとなってくる。結論で「一部をリスク共生に」と述べたのはこのことも含まれており、実際はその地域や流域全体の実情を踏まえてどのような堤防を建設するかを柔軟に検討することが重要である。


学生による論文(127) 「意識や姿勢の在り方」 前田 頼人 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:53:02 | 教育のこと

「意識や姿勢の在り方」 前田 頼人

 最近、自分の意識や考え方が本当に正しいものなのか考える時間が増えた気がする。また、物事や考えを即座に受け入れず、自分なりに考え抜いてから、受け入れる行動が少しずつ生まれている。私は現在自分の感覚や意識、姿勢を改める期間にいるのかもしれない。ではその感覚や姿勢とはどのようなものなのか少し考えてみたい。

 半年ほど土木史の講義を受けていると、本当に正すべきことに少しずつではあるが理解が深まり、自分の価値観なども変わってきている気がする。厳しいことではあるが、自分個人が個人レベルで考え方や意識を改めても、それが日本という国をよい方向に導くとは限らない。では、その改める姿勢を持っても持たなくても変わらないからと言って、持たなくてよいという結論に至ることは正しいのだろうか。全くもって間違いである。確かに、個人レベルで行動しても日本の在り方に影響を与える可能性は0%のままである場合も存在するかもしれない。しかし、個人レベルで自分や自分の周りにいる仲間と考え方や意識を共有し、何が本当に大事なことで、取り組むべきものなのかを考え続けることで、0.00001%ほどの微々たる確率かもしれないが、日本の在り方が変わるきっかけのようなものを作ることができるかもしれない。このような姿勢と同じ感覚は、しばし国を築くうえで感じる場面がある。それは、組織がインフラ投資を行う場合や建設国債で国が新しい基盤を築くことを決定する場合などである。確実ではない未来を想定しながらも、さらに良い未来を目指して暗闇の中を歩くという点で同じような感覚を感じる。もしかすると、確実性のあるものだけ求めても、物事は発展しないし、うまくいかないのかもしれない。

 私たちは未来の関わる人々を信頼して、未来のためなる行動を現在選択するべきなのだろう。ここで信頼という言葉を用いたが、私の中では信頼は双方ではなくどちらか一方がまず初めに相手を、不確実さを感じながらも、信じることから始まると考えている。先人たちも未来の日本人の活躍を信じて様々なインフラを整備してきたのではないか。そうでなければ、数十年、数百年もの間、日本という国を維持してきたインフラは存在しないだろう。私たちも先人たちを見習って、未来の人々を信じ、日本を託すという意識をもって行動するべきなのだ。


学生による論文(126) 「根本的イノベーションが起こる瞬間」 平原 裕大 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:51:25 | 教育のこと

「根本的イノベーションが起こる瞬間」 平原 裕大 

 私たちが生きている都市という舞台装置は、様々な舞台裏の人々の支えによって華々しい舞台として機能している。例えば、朝起きて顔を洗う時に使う水は、蛇口を捻れば出てくるようになっているし、通勤や通学で利用している電車やバスは早朝4時前から働いている運転士や車掌、夜通しで働く保線作業員や車両整備士の作業のおかげで動いている。夜の街を照らす光は、遠く離れた発電所で作られた電気が鉄塔と電線等からなる送電網を伝って各建物・街灯等へ供給されることで光っている。今、私たちが住んでいる都市は、これまでの時代を生きてきた人々が、様々な点で抱えていた暮らしにくさを改善して、より快適で生きていきやすいように整備してきた都市基盤のシステムによって支えられており、私たちの生命・生活はその都市基盤のシステムが様々な裏方によって維持されていることで快適に守られている。裏を返すと、私たちの生活様式はインフラと密接な関係を持っており、整備されたインフラによって規定されているとも言える。インフラというものは、その整備に多額の費用と大きな時間と人手と材料を必要とする代替性の低いものである。維持管理にも大きな費用がかかり、最初の整備費用を回収するのに長い期間を要するインフラも多く存在する。それ故、一度インフラを整備すると、整備されたものを使わないという選択肢はなく、時間が経つにつれ整備されたインフラがその時代の社会情勢等にそぐわなくなってしまった時、そのシステムの形・機能等を変えることが難しくなっているのではないだろうか。これはまさしく経路依存性の代表例だろう。

 私たちは、ここ2,30年の中で激動の変化を経験してきた。1990年代中盤にはそれまでオフィスワーカー等が中心に使っていたパソコンが一般家庭に普及し、現在では子どもから高齢者まで、誰もがインターネットを利用できるようになった。パソコンより少し後に携帯電話が普及し、電波が通じるところであればいつでもどこでも連絡を取れるようになった。2007年に発売されたiPhoneや2008年に発売されたandroid端末により今や全世界へと普及したスマートフォンは、私たちの生活を一変させただけでなく、国家や政治の形を変えてしまうような力を持つようになった。(例:アラブの春)その他にも、日本国内においては、1995年に発生した阪神・淡路大震災で都市型災害を経験し、そこで得た教訓が後々耐震設計への反映や燃えにくいまちづくりの推進等により実際の都市に実装されていった。2011年に発生した東日本大震災では、北海道太平洋沿岸や東北地方、関東地方を中心に5分間にもわたる激しい揺れ、そしてその後押し寄せる大津波により多くの町が破壊され、多くの人の命のみならず、その土地に住んでいた多くの人々のそれぞれの生活が失われてしまった。その復興が今もなお継続して行われている。また、これを機に東日本大震災の規模を超えるような地震が日本の産業の中心である太平洋ベルト一帯を襲うという可能性が注目され、将来起こるかもしれない巨大地震に対応した都市・建物・インフラの設計が求められるようになった。そして、2019年末から現在まで続いている新型コロナウイルス感染症の蔓延は、私たちの生活の有り様を大きく変えた。人と何かを共有することがウイルスという存在のせいで難しくなってしまう局面を迎え、今様々な人が必死に新たな形を模索している。(もちろん、生活が苦しくなる、精神的に苦しくなるなどして現状を諦めている人々もいる。)

 今ここに記した変化というものは日本に住む人間の生活に大きな影響を与えたものであり、ほんの一部にしかすぎないが、これだけ少ない事例を見ても、ここ2,30年の間に身の周りの環境は大きく変化しているのである。これからの将来、何が起こるかということを予め想定した上でリスクヘッジすることは現実的な対策だろう。しかしながら、想定を超える被害というものは、予め想定をしている時点で付きものである。こうした想定を超えた事態が発生した時、如何にして柔軟に対応できるかという観点でも、変化に柔軟に対応できるようにすることは今後激動するかもしれない世界を生き抜いていく上で必要とされるのではないか。

 インフラに話を戻そう。土木の分野では、緊急時には迅速かつ柔軟な対応がなされてきた実績がある。一方で、平常時におけるその設計基準や設計思想は、ある意味で経路依存性を持つと言えるのではないだろうか。これまである一定の流れの中で蓄積されてきた理論や経験則、技術に基づいて設計が行われているということである。机上の空論となってしまうかもしれないが、これまでとはまた少し異なる流れでの技術や理論の蓄積が行われ、従来とはまた異なる基準・設計思想を以って新たなインフラを整備し、インフラとしての形を大きく変える時、そこには根本的なイノベーションが生まれるのではないだろうか。こうした話は一部の分野においては無理な話かもしれないということを承知で話を進めていく。例えば、治水事業においては、現在の技術ではダムを造って水量を調節する方法が最も合理的な治水方法とされることが多い。しかしながら、従来とは異なる設計思想を以って治水方法を考えてみると、もしかするとダムを造るということが最適解ではなくなるかもしれない。もし、将来ダムという存在が別のものに置き換えられるようになるのならば、従来ダムが築かれていた山間部の光景は一変するかもしれない。現時点では非常に非現実的かもしれないが、将来もしこうしたインフラとしての形が変わるような事態が起こるようになった時、インフラにある程度規程されている我々人間の生活様式は変わるかもしれない。このような事態を迎えた時、インフラは人間にとっての根本的イノベーションを起こす力を持つだろう。実際、水道が引かれる前後を考えてみると、水道が存在しない時は、近くの水源から水を運んでくる必要があった。もしくは水を使う営みを水源の近くで行う必要があった。このような事態が、水道の登場により一変した。本来水源に行かなければ水を得られないという生活様式が、管の通っているところにさえいれば水を得られるようになるという生活様式へと変化した。今の未熟者の私には全く思いつきもしないが、もしかするとこのようなイノベーションが将来起こせるかもしれない。今のインフラの形・技術だけが全てではないのではないだろうか。もし、従来の思想・技術を飛び越えるようなものが生み出されるようになれば、新しい未来を創り出す第一歩となるのではないだろうか。あまりにも非現実的な夢物語のようだが、インフラには人間の生活をごっそり変えてしまうようなイノベーションを起こす力があるのではないだろうか。経路依存性は、乗り越えるには大きすぎる障壁かもしれないが、もしかすると大きな進歩のための大きなチャンスとなり得るかもしれない。

 


学生による論文(125) 「封建社会と現代社会でのストック」 中村 優真 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:49:50 | 教育のこと

「封建社会と現代社会でのストック」 中村 優真 

 今回の授業の信玄堤の例も含め、この土木史の講義では、大名などにあたる人々の指令による土木工事の事例が数多く存在する。

 その当時において、土木工事に必要な人員というものはどのようにして確保したか。その当時の日本社会は封建的な色がとても強く、こういった土木工事の人員の確保も、半ば強制労働に近いような形で、しかもとても過酷な労働環境の中で行われていたのであろう。つけかえた新たな川の流路になる場所に住んでいる人は、自分の住む場所が沈むことになっても拒否することはできず、ただただ黙って従うしかなかったのであろう。

 インフラの整備は、我々が住む場所の選択肢を増やし、我々を荒ぶる自然から守り、かつまぎれもなく我々の生活を守っていくことそのものである。我々はインフラによって生かされているという事実を、しっかりと認識している人は未だそれほど多くない。そして、インフラの整備の東京周辺への偏り、地方でのインフラの整理縮小の数々が、人口の偏り、都市部の過密さを生み、地方の過疎化をどんどん進め、生きにくい世の中を生んでしまっている、ということもまた事実である。

 インフラの重要性の認識を政府、国民共々改めることは、日本全土において我々の生活基盤を維持していくためには欠かせないことであるといえる。そして、インフラの整備をもう一度加速させ、日本全土に均等に安定した生活基盤を用意し、それに伴う経済効果も均衡ある形で生んでいくことは、日本の諸問題に対する処方箋になりうるものである。

 さて、インフラの整備を再加速させることが、処方箋になるというように書いたが、果たしてどの程度まで加速させることができるのか。

 現状、日本では人口減少、高齢化が進行しており、また封建制の時代の社会とは異なり、職業の選択肢も増え、また土木畑の人が扱う基幹インフラ以外にも、生活に必要だと感じる職種もどんどん増えてきている。社会を維持するための労働力的コストは、封建制度の時代とは比べものになるものではなく、現実に今や日本では人手不足が叫ばれ始めている

 また、今はインフラの整備は、処方箋になりうるものではあっても、その処方箋である薬が効くような状態になるまでにも、インフラ以外の要素で解決しなければならない問題が多々存在する。インフラを整備することは、人々に結婚し、子育てする余裕を与えるひとつの要因ではあっても、そのほかの社会制度や、労働環境、家事や育児の夫婦での分担など、社会的なさまざまな環境がへんかしなければ、根本的な解決に至ることは難しい。社会の複雑化により、基幹インフラだけ整えればどうにかなるような社会問題などは、存在しなくなっているはずだ。

 また、ストック効果は、あくまでも「長いスパンで見た社会全体への便益」であり、ストック効果が目に見える形で現れるようになるには、インフラを整備してから長い時間がかかる場合が多いことも忘れてはならない。急進的にインフラの拡張を進めようとすると、土木工事に関わる人手もさらに増やす必要があるが、少子高齢化が進み選択肢が増えた世の中では、土木工事そのものを突如急増させることは、封建時代のように強制的に、過酷に働かせることができない限りは厳しく、また今後に「インフラの維持」に関わらなければならなくなる人手も急増してしまうことになり、ストック効果が実際に現れるまでの間に、社会が疲弊してしまう、ということも考えられるだろう。

 とはいえ、今のままインフラが軽視された状況を放置していては、日本を取り巻く社会問題は一向に解決に向かわないこともまた事実であろう。今の自分自身の考えでは、まずは減り続けているインフラのストック量を、現状維持に持っていく、具体的にはいままでの制度などでは潰されてきた地方のインフラをこれ以上潰さない、生かしていくための仕組みづくりから始めるのが良いように思えた。そこから、急進的ではなく、徐々に、無理のない形で、ストックを生む事業を均衡ある形で行っていくのが良いように思う。


学生による論文(124) 「心ある戦国大名は優れた土木技術者」白岩 元彦 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:48:45 | 教育のこと

「心ある戦国大名は優れた土木技術者」白岩 元彦 

 江戸幕府を開いた人と、川中島合戦の合戦で上杉謙信と戦をした人。徳川家康と武田信玄に対する私の知識はその程度であった。しかし、今回と前回の講義によって私が学んだのは、彼らの教科書に載っているような記録ではなく、彼らの生きた証として現在も残っている土木遺産と、荒れた自然に対して知恵を集めて領民たちと何とか生き残ろうとする執念のようなものであった。

 徳川家康は荒れ果てた湿地帯を治水工事によって、江戸と現在の東京の礎を築いた。また、武田信玄は信玄堤の構築を初めとした土木工事によって、釜無川の洪水の制御に成功し、新たに耕地化した開墾地を利用して国力を高めた。彼ら政治の最高責任者であった戦国大名は領民の支持を集めるために土木技術を利用することによって領内の基礎を固め、安定した政治を行おうとしたに違いない。また、新たに耕地に開墾することで税として毎年徴収する年貢の増加も図ったであろうと推測する。

 では、現代において土木工事を計画して着工する意志決定の主体者は誰であるのだろうか。もちろん実際に工事を計画するのは主に国土交通省や地方自治体であり、そこにゼネコンがかかわることによって土木工事は行われるが、ここでは政治の責任者が土木工事を行ってきたという視点から考えていきたい。

 現代の政治においての最高責任者は内閣総理大臣である。だが、その内閣総理大臣を決めるのは国会議員であり、その国会議員を投票によって選ぶのは日本国民である。それならば、政治に対して責任を負うべきは当然日本国民であるはずだ。しかし、国民にとって土木はそこに当たり前にあるものであり、その重要性に気づきにくいからこそ関心が薄く、公共事業は無駄であるといったような見られ方をされてしまうのだろう。また、国民は日々の自分たちの生活を営むことに必死であるため、この国はこの先どのような道に進むべきか考える余裕もなく、政治に対して無関心になりやすいと推測する。そのため、ますます土木に関心を向ける時間を持つ暇さえないのではないだろうか。

 だが、戦国大名であった彼らは自らが率先して国を政治で動かす立場であり、常にこの先の行く末について考えていたからこそ国全体を俯瞰的にみる必要があり、必然と土木工事の必要性に気づく立場にあったはずだ。だからこそ率先して土木工事を行い、国を治めてきた。しかし、現代の私たちは一つの投票で国を動かす力を持っているのにも関わらず、未来に対する漠然とした恐怖を感じながらも、政治に参加しようとする意欲が薄い。そのような政治への関心の薄さも土木事業に対する投資が年々と減少する理由の一つなのではないだろうか。

 土木は特定の誰かのためではなく、不特定の誰かのためにある非常に公共的な営みである。だからこそ、土木があることによってもたらされる豊かさに気づきにくいのかもしれない。土木への関心の薄さこそ、政治の責任者がその責任を果たそうとしない現状を最も表しているのかもしれない。現在のこの国に心ある政治の責任者はいったいどれほどいるのであろうか。


学生による論文(123) 「経路依存性の光と影」 小林 航汰朗 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:34:14 | 教育のこと

「経路依存性の光と影」 小林 航汰朗 

 1度決めたこと、決定した路線を後から変更することは難しい。これが経路依存性だと今日の授業で聞いた。財政健全化やグローバル化はこの経路依存性による負の影響の代表的な例であり、1度決めたことを変えられない、後戻りできないことの影響は計り知れない。

 しかしその一方で、経路依存性がプラスに働くこともあるのではないかと考える。経路依存性がプラスに働くということはつまり、1度決めた道を不退転の決意で突き進むということになる。ことわざでいえば「継続は力なり」であろうか。

 例えば、2020年に世界1位を記録した日本のスーパーコンピュータ富岳。2020年に暫定運用が始まり、2021年に本格稼働した。現在まで世界のスパコンのランキングで4期連続1位となっており、日本の技術力を世界に知らしめる結果となった。この富岳の前身である京は、民主党政権化である2009年に事業仕分けによって1度凍結となった。あの有名なセリフはあえて記述しないが、成果が出ないことで路線を変更しようとしたわけである。これは経路依存性を問題ととらえる見方からすれば、歓迎すべきであり喜ばしいことである。しかしその後開発が再開された京はスパコンランキングで1位に輝き、その流れを汲んだ富岳もトップに君臨し続けている。これは経路依存性がプラスに働いた事例と言えるのではないだろうか。

 あるいは、スーパーカミオカンデ。スーパーカミオカンデとは世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置で、1996年に観測を開始された。ニュートリノ検出器は岐阜県飛騨市地下1000ⅿに5万トンの水を蓄えたタンクとその壁に設置された光電子倍増管として設置されている。このニュートリノ研究に対しても2009年の事業仕分けで予算縮減が決定された。ニュートリノ研究は典型的な基礎研究分野であり、人類生活に直接役立つものではないかもしれない。それでも研究は続けられ、ニュートリノ質量の存在を示すニュートリノ振動が発見され、2015年には梶田隆章先生がノーベル賞を受賞した。これも1度決めたことを貫き通したことの結果ではないだろうか。

 このように、1度決めたことを後戻りせず進めることにも意味があるといえる。ただこれは当たり前のことで、特に科学技術の発展のためには小さな努力の積み重ねが重要である。ただ、経路依存性そのものが悪いのではなく、経路依存性によって招かれる事象が悪いのであって、結局は結果論なのであろうと私は考える。経路依存性によって考えを改めなかったために取り返しのつかない結果を招くこともあれば、1度決めたことを曲げずに進んだことで大きな成果を得ることもあるのである。

 大切なことは、経路依存性というものがあると知り、自分の判断プロセスにおいてこの影響がないか俯瞰的に考えるようにすることではないかと私は考える。

 


学生による論文(122)「便利な鉄道」 北 拓豊 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:33:05 | 教育のこと

「便利な鉄道」 北 拓豊

 「一度、決まってしまったことは、そう簡単には元に戻したり、変更したりすることはできない」という性質を表す「経路依存性」という言葉。今回の講義でこの言葉を聞いた時、私の中で真っ先に思い浮かんだのは日本における鉄道の軌間だ(講義資料中の引用にも載ってはいたが)。ご存知の通り日本の鉄道の軌間には主に1067mmの狭軌と1435mmの標準軌2種類が存在し、このうち特に多くの路線で使われているのが1067mmの狭軌である。しかしながら、名前からもわかるように世界的には(特に先進国では)1435mmの標準軌を使うのが主流であり、日本は少々特異な存在となっている。とはいえ日本においても安定性の高い標準軌で敷設された路線は一定数存在し、新幹線,京急線,関西の私鉄各線などがそれに該当する。このように複数の軌間の路線が混在している状況では、当然それらの路線を互いにそのまま直通させることはできない。直通させる方法はなくもないが、改軌工事は列車を長期間運休させることになる、フリーゲージトレインの開発は技術的にまだ難しい、と現実的ではない。唯一現実的な策である三線/四線軌条も、運行頻度の高い都心部では保守の面から好ましくない。現在計画段階にある新線、東急と京急を蒲田で直通させる通称「蒲蒲線」は、以上のような大きな障壁も一つの原因となって事業着手に至れていない。日本初の鉄道が標準軌で敷設されてさえいれば、今頃もっと便利な鉄道網が形成されていたのかもしれない。

 と言いたいところであるが、果たして本当に直通することは良いことなのだろうか。確かに最初から全部標準軌で敷設されてさえいれば、もっと合理的な鉄道の運行ができていたかもしれない。ただそれとは別に、営業列車を直通運転させまくっている今の首都圏の鉄道のあり方には私は結構な不満を抱いている。先ほど例に挙げた蒲蒲線なんてものが開通してしまえば、羽田空港から渋谷,新宿,池袋を通って埼玉の方まで直通できてしまう。非常に便利だ。でもひとたび天空橋あたりで電車がヒトを跳ね飛ばしてしまえば、その影響は瞬く間に千葉や埼玉にまで及んでしまう。社局を跨がなくても同じことだ。JRの湘南新宿ラインや上野東京ラインで直通している路線なんて毎日のように遅延している。遠路はるばる埼玉の方から通う横国生の嘆きのツイートを見ていてかわいそうになってくる。確かに直通は魅力的な面が多い。遠方の観光地への旅客誘致にも繋がる。それでも遅延が頻発しているようでは効果は大幅に低下する。やたらめったら直通させまくるのではなく、直通列車は有料列車くらいにしてあとは対面乗り換えに留めるなり運転系統が交わらないようにするなり、工夫をしていかなければ日本が誇る鉄道の定時性は下がってしまう。複雑に絡み合い便利に見えるその路線は本当に直通が必要なのか、考え直してみてもらいたい。

 


学生による論文(121)「歴史が教えてくれたこと」 小野寺 菜乃 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:32:00 | 教育のこと

「歴史が教えてくれたこと」 小野寺 菜乃

 仲のいい友人に「お前は本当に興味のないことにはとことん興味がないよな。」と言われたことがある。人間誰しも興味のないことがあるし、「興味のなさ」に度合いなんてあるのだろうかとその時の私は思った。しかし友人はそういう一般的な話をしているのではなく、私は知識の幅に大きく偏りがあるという指摘をしたかったようだ。確かに好きなことには色んなアンテナを張り、その事柄に関する知識を得ることを非常に楽しみにしている。一方で私は好きなこと以外に対する知識がとことん薄い。例えばテレビ番組や芸能人の名前はあまりよくわからないし、有名な偉人の名前を出されてもパッと誰かわからないことがある。世間一般の人々が当たり前に知っていることを私は知らないことがある。そのため日々を過ごす中で私の知らない当たり前に気付かされる時、先ほどの友人の言葉を思い出すのである。

 最近、私はこの「好きなことだけに興味を持ち続ける」という癖(それとも私の特徴?)がどうしようもなくもったいないと感じるのだ。そう思わせてくれたのが「歴史」という存在だった。私は大学2年生の夏あたりまで歴史が嫌いだった。小学校から中学受験のために機械的に歴史の年号と出来事を暗記させられ、中学高校でも卒業するために最低限歴史を覚えさせられた。そのため私にとって歴史はただ暗記するだけの辛い科目でしかなかった。だから歴史の内容が面白いとか言う人たちはきっととても頭が良くて自分には理解できない領域で物事を語っているに違いないとまで思っていた。しかし大学2年生の夏休みにたまたまYouTubeでおすすめ動画に出てきた小学生でもわかる歴史シリーズという動画がきっかけで私の歴史に対する考え方は大きく変わった。その動画では歴史の要所をざっと話すだけで詳しい用語は一切出さずに説明してくれるので歴史が嫌いな私でも楽しく見ることができた。そこからはそのシリーズの動画を一気に見てさらにはチャンネル登録までしてその動画を追うようになった。最初のうちはその動画を見るだけで満足できたのだが、じわじわと「もっと詳しい内容が知りたい」と思い始めたのだ。そこで私は図書館に行き、歴史の本を少しずつではあるが読んだりするようになった。歴史にはちょっと変わっているけど面白い人がたくさんいるんだと、もっと早くに歴史は面白いんだと気付ければよかったと今は思う。この大学2年生の夏休みからの出来事で私は今まで興味を持たなかったけど面白いものはたくさんあるのかもしれないと実感するに至った。興味を持たないけど面白いものがたくさんあることは当たり前ではあるのだが私は実感することでそれを当たり前と理解することができた。そのため、興味のないことに一切アンテナを張らない私の癖はもしかしたら面白いことを見逃してしまっているのかもしれないことに気付かされ、勿体無いことをしてたと感じたのだ。

 そして、歴史が教えてくれたのは私の癖が勿体無いということだけではなかった。歴史は物事の多面性というものを私に実感させてくれた。歴史は昔の私にとってただ暗記しなければならない辛い科目であったのに、歴史を教えてもらうのではなく自分から学びに行くというスタイルをとるだけでこんなにも楽しみが増えるとは思いもしなかった。教育の場では最効率を求めてカリキュラムが組まれるため学生の興味を煽ることができるかどうかは教師の力量によりけりという形になっているように思う。確かに大勢の生徒に同じことを理解させるには今の形態があっているのかもしれない。しかし今の教育形態のままだと私のように歴史が嫌いなまま生きることになる人や数学が嫌いで数字も見るのが嫌だという人がたくさん生まれてしまっている現状がある。だからせめて(数学とは異なりどこから入っても楽しく学ぶことができると思う)歴史という科目くらいもっと自由な教育形態になってもいいのではないかと私は思うのだ。


学生による論文(120)「金曜二限の解剖学」 落合 佑飛 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:29:41 | 教育のこと

「金曜二限の解剖学」  落合 佑飛 

 土木史の授業にはすべての授業に通じる明確なメッセージがある。その点、この授業は大変特異である。通常の授業は単に授業の内容に習熟することに目的が置かれている。例えば水理学の時間に源氏物語の文学的意義を考えることはない。しかし、土木史の授業では内容の習熟とは別で明確なメッセージをもって細田先生は生徒に対峙しているように思われる。

 授業を通じて先生が発しているメッセージは、土木が日本をよくする、という先生自身の信条であろう。土木史の授業は学生の啓蒙と言ってもよいだろう。啓蒙が許されるのは限られた人間で、しかも条件がある。啓蒙するだけの力があること、その力に対して自己批判があること、啓蒙の内容を絶えず磨き上げること、である。今回の授業でも触れられていた「閉じつつ開く」というのはまさに上であげた3つの内の最後の項目にあたる。

 啓蒙と言えばキリスト教を勝手に思い浮かべるが、私はキリスト教の啓蒙が好きでない。「唯一神の教えを持つ我々と、邪教のあなた方。我々は哀れなるあなた方のためにわざわざ啓蒙している」という立場をとるからである。まず、英語にはyouとIがあるが、ここからして傲慢である。何を言うにも「私は」「私は」「私は」。なんと自己主張の強い言語であろうか。日本語には主語を覆い隠して伝え合う文化で高慢な自己主張とそこから生じる啓蒙はない。ただ、同じ主語で通じ合える人間を身内ととらえ、それ以外を排斥するという陰湿さはがあることは事実だから、日本語も英語も良し悪しではある。ただ、日本語は自分と相手を鋭く分けて上から目線で啓蒙するという構造はないと感じる。

 なぜ私がキリスト教の啓蒙に抵抗があるのか、それは啓蒙の中に権威主義を認め、これを嫌うためである。完璧な人間はおらず、したがって完璧な思想は存在しない。それにも拘わらすの主張が正しいと確信して迫ってくる相手のことをうさん臭く感じてしまうのである。権威主義の最たるものは学生にとっての大学だろうが、これに対する私の考え方はすでにGTPレースについての論考などで述べている通りである。

 ただ私はここで先生が啓蒙に値するかを論じるつもりはない、それは啓蒙を受ける側の人間が一人ひとり考え、感じることだからである。私自身は先生がおすすめしてくださった本は積極的に読むことにしている。先生自身がおっしゃっているように、先生が言っていることが真か偽かは自らの目で確かめたいと思うからである。私はかようなフェーズなしに他人が啓蒙に値するか否かという偉そうなことを断じることは断固できない。

 さて、ではこの授業では学生は何を求められているのだろうか。

 学生の中にも一人ひとり答えらしいものが見えてきているのだろうが、私には細田先生が我々に論理的に論じることを求めているように思える。

 以前私は失恋の解剖学というレポートを提出した。失恋の痛みを幾項目かに分類し、それぞれが複合的に襲うことで失恋のつらさを増長させているのだということを述べた。正直に言ってこのレポートは土木史の授業内容とは関係ない。だから、この論文が高評価だった理由はこの論文が論理的だったためだろう。

 論理的に論じるということは、我々の思考を抉り出さなくてはできないことで、これについても以前論文で提出した。論じることによって何が得られるのか、それは当事者意識である。自分の感想の無いところに自分の賛成反対はない。だから土木史のレポートでは、土木史の内容で自らの感想をまず持つこと、そのうえで自らの考えをはぐくむこと、これを求められているのである。

 その点、細田先生の授業は巧妙に仕組まれていると言わざるを得ない。無関心な人間に関心を持たせるためにはどうしたらいいかを考え抜いているのである。

 まず、予め厳しく生徒と向き合う。これによって生徒側は「この先生やばいぞ」と危機感を持たせる。

 続いて賛成反対が分かれる問題を持ってくる。これによって生徒側は論じるうえでの切り口を得ることになる。賛成反対の分かれる問題とは、これまでの知識や経験とは相容れない考え方を提示することでなされることもあり、これは次にあげる工夫にも通底するものである。

 最後に、危機感をあおる。これは私自身が嫌いな手法ではあるが、最も有効な手段である。誰でも課題の提出期限が迫り焦る経験をしたことがあるだろう、この時の我々の集中力は普段の100万倍で、終わらないと思った課題も提出期限のぎりぎりの所で終わる。ふと我に帰るとあとは提出のクリックだけ、という状況になっている。これはまさに危機感のなせる業である。危機感自体が我々の行動の大きな力となるのである。危機感をあおる、ということの本質的な意味は、今持っているものを失う可能性を啓蒙する、ということである。我々が普段蛇口をひねれば出ると思っている水も明日には出ないかもしれないよ、という内容は、様々なデータとともに見せられれば信頼してしまうものである。そして、事実であるものと事実でないものの区別は聞き手にはパットは分からない。中には誇張が入っていたり、すべてが嘘だったりすることもある。この手法はネットビジネスが盛んになった現代、いろいろな場面で応用されている。例えば、YouTubeを見ていると広告で口臭対策のためのサプリメントの広告や、脱毛の広告が流れてくる。こうしたものはすべて「あなた、実は周りの人にキモいって思われて避けられてるよ」というメッセージとセットで品物が売られている。あなたの口臭がひどいせいで周りの人に疎ましく思われる未来、という情報を与えて危機感をあおり、効果も不明なサプリメントを買わせるのである。我々は感情を相手に動かされることによって、相手の意のままに動いていることがあるのである。そしてそれを知って私は身構える。危機を訴える人の真の狙いは何かを見定めなければ騙されてしまうからである。啓蒙には人の感情を動かし、その人の行動を規定する効果があるのである。今のところ、細田先生には我々をだまそうという気持ちは無いようである。レアなケースだと思う。

 さて、この授業はこのように最初は強硬な姿勢でもって始まる。しかし、それだけではやがて人々の心は離れていく。歴史的にも強硬な手段だけでは失敗するという先例があるが、この授業はレポートの内容を非常に寛容にとらえてくれる。だから、我々の論文は論理的に論じている、という1点を評価軸に幅広い内容で論じても高評価をいただけたりもする。

 論じたものを否定されることを人は好まない。

 これまでのレポートでも触れたように、学校教育は間違えないことを目指してきた。それゆえに多くの学生は間違いを恐れている。これは少々度が過ぎているようで、間違い恐怖症とも言うべき様相を呈しているように見える。そんな環境の中でせっかく論じてみても「お前の言ってることは間違ってる」と言われると、文章は書けなくなる。この指摘をすることはせっかく開きかけた学生の心を徹底的に閉ざす悪手になる。学生は間違いを恐れるからこそ、これまで論じることをできなかったのであり、せっかく書いたレポートが間違いの烙印を押されることを強烈に恐れている。だから、細田先生が提出されたレポートが論理的であれば満点、という姿勢で学生のレポートに対峙していることはすごく理想的で、これまで自信が無く発信を避けてきた学生が論理的思考をアウトプットの次元に持ち上がることを支えている。さらに、これまでどこにもやるかたなかった過激な思想の持主もそれをいったんは受け止めてくれる細田先生を信頼するという結果になる。私自身も細田先生への信頼なしにはGTPレースの弊害を書く機会はなかっただろう。

 こうして生徒の関心を程よく集めつつ、論じさせ、さらにその芽を摘み取らない教育方針はとてもありがたいものであり、我々学生よりも細田先生の器が一段二段と広いことを示す。学生が細田先生から求められていることは、この授業で少しでも論理的に思考し、自らの考えの軸を持つこと、それから歴史的偉人からも学び、自らの拙い経験だけでなく、古今東西の幅広い偉人から学ぶ姿勢を持つことである。

 閉じつつ開く。細田先生が体現しているようにも見えるこのあり方を我々にも求めているのである。

 この授業は、授業中には先生が正しいと思う土木思想を我々に授け、課題ではそれについての反論、反駁から授業から着想を得た事柄について自由に論じることを許し、論理的思考が習慣となるように目指しているよう思われるが、この授業を受けているすべての学生は細田先生の期待を背負っているように感じる。我々学生は、我々のやり方で且つ柔軟に専門性を深めることが大切である。その一方で、様々な分野に対して関心を持つことが大切であると言えるだろう。以上が私なりの金曜二限の解剖結果であり、金曜二限の活用方法でもある。

 最後に、このような先生の授業を学生の分際で断じる、という生意気をできるのは細田先生への甘えがあるからである。私自身も将来、私のような異端な後進に出会ったときには細田先生が我々にしてくださっているように寛容にその考えを受け止めてあげられるといいな、と思うのである。 

 


学生による論文(119)「無知の恐ろしさ」 小田 瞳(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:28:12 | 教育のこと

「無知の恐ろしさ」 小田 瞳

 今回の講義を受けて、デフレを突き進んでいる今日の日本は、築土構木の力が弱まっている、ともいえるのではないかと感じた。講義内でもお話があったとおり、築土構木とは、土を築き木を構えることで人々が豊かに暮らせるようにする、という意味である。つまり、所得が減り続けている今、私たちはこの築土構木の思想の逆をいっているということになる。この思想が衰退しているということが問題なのはもちろんだが、私たちがその事実に気づけていないということ、そもそも公共事業の存在意義をわかっていないということこそ、もっと深刻な問題なのではないだろうか。

 デフレのご時世で公共事業に何兆円なんて大金を使えるはずがない、と多くの人は考えているかもしれない。しかし、このよくいう「お金がないから公共投資ができない』というのはむしろ逆で、実際は「公共投資をしないから所得が増えない、すなわち税収も増えない」のが正しいのではないだろうか。経済のサイクルは当たり前に存在しているにもかかわらず、私たちがそれを理解してないゆえに、前者のような思考に陥ってしまうのだろう。社会基盤が整っていなければ経済活動を行うことができないのは当然のことであるが、そこに気づいていない、もしくはすでに社会基盤が十分整っていると“思い込んでいる”のが大半である。

 さらに、一般に公共事業は一度に多額の資金を要する。そして、インフラが本来の力を発揮するのは短期的なフロー効果ではなく、何十年何百年というスパンでのストック効果である。公共投資は未来への投資であるにもかかわらず、そこで渋ってしまうというのもまた、土木の本質を理解してないゆえの思考であろう。

 築土構木の力が弱まり、建設需要が落ち込めば、当然建設業界も衰退してしまうだろう。もし、将来日本が目を覚まし、インフラの重要性に気づいたとしても、その時の建設業界のパワーがすでに不足し、もはや自国での再建が不能な状態にまで陥っていたらどうであろうか。これほど恐ろしいことはないが、今のままではこのような未来になりかねない。この危機的状況を引き起こしているのは、まぎれもなく私たちの無知である。まず、知らないことを知ること、そして自ら経済や土木の本質を理解していかなければ、この負の連鎖を断ち切ることはできず、発展途上に成り下がってしまうに違いない。

 


学生による論文(118)「事実に対するネガティブキャンペーンの威力」 大橋 直輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-21 08:25:52 | 教育のこと

「事実に対するネガティブキャンペーンの威力」 大橋 直輝 

 1827年にジョセフ・フーリエが温室効果ガスを発表、1861年にジョン・ティンダルが主要な温室効果ガスを発見し地球の気候を変える可能性を指摘した。20世紀の初めまでは一部の知識人に浸透していたが、この科学知識が一般に広く浸透するには至っていない。20世紀の中頃になり公害・環境汚染の顕著な進行によって環境問題に対する住民の意識・事業者や行政の責任が高まり、学術面でも研究が進んだ。しかし、1940年代から1970年代にかけて地球の気温は低下傾向に入っていた。この時期は地球の気温上昇に関する議論や研究は下火になり、1960年代には、代わりに気温低下に関する研究が盛んになっていた。1980年代には、地球の気温が上昇傾向に転じ、温暖化に関する研究も進展していった。その時代の研究で温暖化の原因の大部分は人間活動が原因とされたこと・海水面の上昇や大規模な気候変化が懸念されることが指摘された。こうして1970年代ごろまで学会の定説になりつつあった地球寒冷化は温暖化へと置き換わっていった。

 おそらくどちらもその時代にわかる範囲では科学的に正しかったのだろう。まだわからない、不確定なものが多い中で実験・研究を繰り返し、成果を出し続けてくださったこと、地球という強大な謎に立ち向かっていることを感謝するべきである。人間はしばらく人間が作り出した温暖化と寒冷化を繰り返すような気がする。そして、現在はひょっとしたらその狭間にあたるのかもしれない。どちらが正しいかわかるのは、もっと先の話になるであろうが。

 そしてどの時代にも不利益を被らないために対抗する勢力はいた。1980年代アメリカではNASAの科学者が温暖化ガスの深刻な影響を訴え、ブッシュ大統領はCO2削減を掲げた。しかし、温暖化に懐疑的な論客が次々とメディアに登場し、批判を繰り広げる。その裏にいたのはCO2削減政策によって損失を被る石油業界によるキャンペーンがあった。気候変動に対する世論や認識を操作するために石油業界が30年間、数百万ドルを費やしていたとみられる。

 98年アメリカ石油協会が裏の会合での計画書などがリークされている。「市民に気候変動の科学的根拠への疑念を持たせたい。」少しでも市民を困惑させることができたらCO2削減政策を遅らせることができる。これを実現させるために多くの精巧な工作をした。まず一つ、テレビで非常にコミュニケーションに長けたコメンテーターと科学者を対決させた。打ち負かすことを目的に持っているコメンテーターに、その道のプロに科学者は何もできない、そんな姿を市民に見せる。コメンテーターもうまく騙されていた。都合のいいデータばかりをうまく渡されていたのだ。優秀な学者に逆に正しく打ち負かされるまでコメンテーターは自分の受け取っていた資料と正しい根拠との齟齬に気付けなかった。二つ目は気候変動が単なる流行であることを証明するために着手した疑わしい研究。大学が民間企業のスポンサーを持ち、資金を援助してもらうことはとても自然なものであった。しかし、スポンサーに不利になる研究をするだろうか。名門大学にも資金を流し学問の独立を掲げながらも学問分野を歪めていた。中には正確性に欠け、石油ガス業界とのつながりも見えてしまうレベルの映画を見せられたこともあった。そして3つ目に科学者への攻撃があった。興味深いことに過去にオゾンホールの研究をしていた科学者を攻撃していた人物・組織と同一であり、対象と内容を変えただけのそっくりな文章が送られていたのだ。

 しかし、エクソンモービルの科学者はいち早く温暖化の調査に出て、CO2が影響を及ぼしている、温暖化が多くの人に壊滅的な被害をもたらす恐れがあることを明らかにしていた。NASAが警告を促す前に、である。シェルの研究部門も警告を促していた。だが、どちらの企業も研究部門の意向とは異なる広告が出たり、温暖化に否定的な組織に何十年も寄付を続けたりした。

 実はアメリカ内でのこのような動きには既視感があった。タバコの規制である。コメンテーターや学者に「ニコチンに依存性はない」と言わせた。この抵抗によりタバコの規制は遅れた。名門大学は医学部門でのタバコ会社からの資金援助を受けないことにした。そしてこの流れで一番肝となっているのはタバコ業界と石油業界のどちらにも関係をもち、莫大な資金を受け取ったコメンテーターや科学者が多かったことだ。もしかすると今の脱炭素化などテレビやラジオで聞かない日はないのはどっちの立場のものなのか、我々は操られているのか、自分で情報を集め自分で納得するしかない。