「心ある戦国大名は優れた土木技術者」白岩 元彦
江戸幕府を開いた人と、川中島合戦の合戦で上杉謙信と戦をした人。徳川家康と武田信玄に対する私の知識はその程度であった。しかし、今回と前回の講義によって私が学んだのは、彼らの教科書に載っているような記録ではなく、彼らの生きた証として現在も残っている土木遺産と、荒れた自然に対して知恵を集めて領民たちと何とか生き残ろうとする執念のようなものであった。
徳川家康は荒れ果てた湿地帯を治水工事によって、江戸と現在の東京の礎を築いた。また、武田信玄は信玄堤の構築を初めとした土木工事によって、釜無川の洪水の制御に成功し、新たに耕地化した開墾地を利用して国力を高めた。彼ら政治の最高責任者であった戦国大名は領民の支持を集めるために土木技術を利用することによって領内の基礎を固め、安定した政治を行おうとしたに違いない。また、新たに耕地に開墾することで税として毎年徴収する年貢の増加も図ったであろうと推測する。
では、現代において土木工事を計画して着工する意志決定の主体者は誰であるのだろうか。もちろん実際に工事を計画するのは主に国土交通省や地方自治体であり、そこにゼネコンがかかわることによって土木工事は行われるが、ここでは政治の責任者が土木工事を行ってきたという視点から考えていきたい。
現代の政治においての最高責任者は内閣総理大臣である。だが、その内閣総理大臣を決めるのは国会議員であり、その国会議員を投票によって選ぶのは日本国民である。それならば、政治に対して責任を負うべきは当然日本国民であるはずだ。しかし、国民にとって土木はそこに当たり前にあるものであり、その重要性に気づきにくいからこそ関心が薄く、公共事業は無駄であるといったような見られ方をされてしまうのだろう。また、国民は日々の自分たちの生活を営むことに必死であるため、この国はこの先どのような道に進むべきか考える余裕もなく、政治に対して無関心になりやすいと推測する。そのため、ますます土木に関心を向ける時間を持つ暇さえないのではないだろうか。
だが、戦国大名であった彼らは自らが率先して国を政治で動かす立場であり、常にこの先の行く末について考えていたからこそ国全体を俯瞰的にみる必要があり、必然と土木工事の必要性に気づく立場にあったはずだ。だからこそ率先して土木工事を行い、国を治めてきた。しかし、現代の私たちは一つの投票で国を動かす力を持っているのにも関わらず、未来に対する漠然とした恐怖を感じながらも、政治に参加しようとする意欲が薄い。そのような政治への関心の薄さも土木事業に対する投資が年々と減少する理由の一つなのではないだろうか。
土木は特定の誰かのためではなく、不特定の誰かのためにある非常に公共的な営みである。だからこそ、土木があることによってもたらされる豊かさに気づきにくいのかもしれない。土木への関心の薄さこそ、政治の責任者がその責任を果たそうとしない現状を最も表しているのかもしれない。現在のこの国に心ある政治の責任者はいったいどれほどいるのであろうか。
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