「知識」 小野寺 一馬
真実とは何で決まるのだろう。似た言葉で、事実がある。事実は、起こった事象そのものを指すと思う。しかし、真実はその事実を受け取った人間の心象でありそれは人の数だけ存在すると思う。では、その受け止め方による真実は何で決まるのだろうか。それは知識に他ならないと思う。人間生活で、私たちは常に知識を吸収し、それはその人の思考に直結している。つまり、ヒトという生物の組織を作っているのはタンパク質などだが、人間を作り出しているのは知識である。では、なぜ社会の中にはマジョリティが存在するのだろうか。それはやはり、TVのニュースや新聞などといったマスメディアの力だろう。なぜなら、知識を得る場所がそこしか無いからだ。多くの人が、自分から情報を得ようとせず、日常の中から無意識的に与えられる情報を持ち、それが知識となり真実になっている。最近私が、大学内で受講している授業の中で、少子高齢化の話題が登場した。多くは省くが、その授業内のVTRでキャスターのような人が少子高齢化の問題点を語り、その後、自分の意見として「消費税増税も止むを得ないと思います。」と言った。私は、それに対し激しい憤りを覚えた。見ていれば、現行でさえも噛んでばかりのキャスターが、多くの人に見られるマスメディアの中で、さもこれが常識的な意見であるかのように伝えるのだ。しかし、少し前の自分ならばこのことに対し、憤りを覚えることもなく反論の意も感じなかっただろう。きっかけはこの土木史と文明の授業だ。私はこの授業で先生のお話を聞き、情報を深く考えることで自分の価値観が大きく変化した。教育は、机上で教科書を覚えることではないと思う。また、教育者と呼ばれる小学校や中学校の先生も本当に教育者と呼んでいいものかと疑問も生まれる。教科書を覚える作業をさせるなら誰でもできる。私が見てきた学校の大人達は、ただ大学まで勉強をし続けて、お金を稼ぐための仕事として教育者を名乗っている人が多くいると思う。今の日本にそんな教育は必要ない。先生も授業の中でおしゃっていたが、日本の成長が止まった要因は教育にこそあると思う。いくら教科書を覚えたところで、本当に成長に必要な知識はそこには書いていない。事実としてある情報を、自分で取り込み、自分だけの真実を持つために、その幅を広げさせるのが教育だ。これからの世代に必要なものだ。どの時代も人々を統制しその先を示すのは情報だった。日本は戦時中、不都合な情報を一切、排除したことで国民の意見を戦争に異を唱えさせないように統制した。捉え方によっては今の日本は、戦時中に寄っている。マスメディアという大きな力を使い、世間の大多数を政策に異を唱えさせない思考にしている。私は、初めて自分の考えを周囲に知ってほしいと思った。自分の今まで関わってきた友人たちにはせめて、自分の真実を持ってほしいと思った。これから、自分で知識を身につけ、自分の真実の幅を大きく広げたい。
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