「初心忘れるべからず」 飯田理紗子
今を生きる我々の生活に決して取り除くことのできないものは何であるかと問われたら、おそらく「電力」や「資源」などをはじめとしたライフラインを答える人が多いのではないかと思う。これらの裏側ではいつも土木が支えている。私が都市基盤学科に所属していてちょうど土木を学んでいるから贔屓にしているというわけではなく、電気を生み出すには確かに豊かな資源が必要不可欠であるし、自然の中にあるそうした資源と上手く付き合っていったりそれを活かしていったりするためには土木の力が無くてはならないものであるはずだからである。
日本は明治時代に、日本人外国人を問わず多くの技術者たちが日本の土木事業の礎を築き、本国の「近代化」に大きく貢献した。その偉大な技術者の一人である広井勇は、日本海の荒波に耐える強いコンクリートを持った小樽港の築港事業に携わり、近代のインフラ整備を大きく前進させた。またその後の時代である高度経済成長期には、戦後活気を取り戻しつつある日本において、欧米諸国と引けを取らないほど国内のインフラ整備は急速に進められた。このようにこれまでの日本では、日本が欧米諸国と比較して遅れていることに対して焦りや危機感を抱き強い意思を持った人々が確かにそこにいたからこそ、「先進国」として世界の先頭に立って引っ張っていく存在のようになるまで成長できたのかもしれない。しかし今の日本はどこか、先進国としてひと昔前の功績をいつまでも引きずりながら自己を過大評価し続けてしまっているように見えてならない。こういったことを踏まえ、今の日本社会の現状は何か、そして日本が世界に誇ることのできるものは何かについて、以下では論じていきたい。
多くの人にとって電気や水などライフラインのない生活は成り立たないだろう、と冒頭で述べた。そこで、ここでは「電力」を例に挙げて考えてみる。現在、日本に限らず世界では再生可能エネルギーの開発や運用が盛んに行われているが、これについて私は、たしかに必要ではあるが、決して全面的に推し進めていくべき事業ではないと考える。再生可能エネルギーの一部である太陽光発電や風力発電は、建設に対する反対勢力も小さそうに見えるが、気候条件にかなり左右されるためエネルギー効率が良いとは言えない。その一方で、琵琶湖疎水の事業によって日本で初めて建設された水力発電は、国土が川で溢れていて水に恵まれていることから日本にとって最適であるといえるだけの地形を持っているほか、一度完成すれば多方面に莫大な益をもたらし得る。
また、グラハム・ベルは明治31年に来日した際には、日本の地形を見て「この豊かな水資源があれば、これを利用して日本は更に成長出来る」という旨の講演をした。ここで私は、それから100年以上経った今でも彼の予言に耳を傾けようとしないのはなぜだろうか、という疑念が生まれた。日本は再生可能エネルギーの適性が高いとは言い切れないながらも、こうしてある意味時代の流行りとも捉えられかねない事業に対しては積極的に投資する姿勢があるほど、発電事業自体に関心が無いわけではない。災害などの予測不能な事態に備えて、再生可能エネルギーは確かに選択肢の一つとなり得るが、これだけに頼れば、次第に日本は「何が強みであるか」「何で世界と戦うか」を見失い、技術への自信がなくなり、国力が低下してしまう恐れがあるだろう。自分に都合の悪い情報はどうしても見えなくなってしまうのが人間であるのだろうが、自らの現状を理解して弱みや脆弱性を把握することを怠らないことが重要であるのだと考える。日々変わりゆく社会に取り残されないよう、慢心することなく「先進国を目指して近代化に勤しんでいた頃の初心」を常に心に留めておかなければならない。
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