細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(139) 「形のないインフラ」 小田 瞳 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-28 09:01:22 | 教育のこと

「形のないインフラ」 小田 瞳 

 今回の講義内で、言語はインフラである、という話があった。私はこれまで、インフラというと単に道路や鉄道、橋梁などといったものしか思い浮かばず、言語はそのように捉えたことがなかった。言語のみならず、他にもさまざまな無形のインフラがあると気づいたので、それらについて考えてみたい。

 まず、言語についてだが、これにも形として残るものもある。新聞や雑誌、書籍など、文字に起こされたものである。しかし、先生も仰っていたが、そこに記されていることが正しいかどうかは、我々にはわかりかねる。ただ、それらに対し自分はどう感じ、何を考えるか。そして実際に言語を用いて何を発信し受け取るか、という点は大きな価値があるに違いない。コミュニケーションに反映させることで、互いを刺激し、新たな技術や価値が創造されていく。それは、豊かな国に直結するものではないだろうか。

 芸術もまた、言語に近い側面があるのではないだろうか。例えば、美術であれば絵画や彫刻として存在し続ける。しかし、音楽や、歌舞伎や能などといった伝統芸能は、録音や録画の技術がない当時の公演は記録として残っていない。そこで、それらを可能な限り後世に伝えるために生まれたのが、楽譜や台本なのであろう。ただ、作者が実際にどのようなものを理想とし作り上げていたか、それは今の私たちにはわからない。実際、音楽を例に挙げれば、楽譜においてほとんど表現記号を用いない作曲者も珍しくないし、同じ楽曲であっても楽団によって演奏の仕方はまるで異なる。しかしこれは、受け取り方、発信の仕方が私たちに委ねられている、とも言える。自由な感性・発想で良いのであって、そこから新たな発見や刺激を得ることもできる。もちろん、過去の作品のみならず、毎日のように生み出される新たな芸術においても同様である。

 ここで、私がなぜ芸術の話を出したのか。それは、芸術も重要な社会基盤と考えるからである。一見、芸術は経済活動には直接関係が無いように思える。たしかに、必要最低限の生活を送る上では、無くても困らないのかもしれない。しかし、本当に必要ないのであろうか。コロナ禍で、多くの芸術活動が停止してしまった。その時、多くの人々は再開を強く希望し、芸術が途絶えてはならないと、助成などさまざまな手を施した。ここに、私たちが無意識のうちにどれだけ芸術と密接な関係にあったのかが表れているように思う。生活する上でさまざまな制約が付きまとう中、求められた芸術。芸術そのものが経済活動を生むのはもちろんだが、芸術は私たちの心身に豊かさを与え、それにより私たちの行動にも変化がもたらされる。芸術は、まさに国の重要なインフラの一つといえよう。

 有形・無形に関わらず、私たちの周りには、かつての人々が残したインフラで溢れている。しかし、そこからいかに多くの刺激をもらい、自分なりに咀嚼をするか、発信できるか。ジャンルを問わず、インフラのストック効果をどれだけ発揮できるかは、全て私たち一人ひとりの行動次第であるに違いない。


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