9月12~13日は,土木工学教室の見学会で岡山を訪れました。見学会の全行程に参加した学生は7名,と少数精鋭?でしたが,両備HDの小嶋光信会長のご講義には中村文彦先生も参加され,10名で拝聴しました。大変に有意義な見学会で,今後の私の視野を拡げる意味でも大変に貴重な経験を皆でしました。
今回の主目的は,昨年の土木学会全国大会の特別講演で小嶋さんがお話された,岡山藩士,津田永忠の土木遺産群を見学することでした。 1707年に68歳で亡くなった,岡山の元禄時代を築いた歴史的人物です。日本の三名君と言われるらしい,池田光政公にお仕えし,その次の綱政公の時代に郡代として藩政を取り仕切った人物です。名君と言われる資格は,大飢饉のときでも餓死者を出さない,ということだそうです。土木は治世であり,治世とは「民の苦しみを救うことにござる」,とのことです。
津田永忠は,熊沢蕃山の弟子であり,陽明学を行動の基本に据えています。
陽明学の命題のひとつは, 知行合一であり,「行わなければ,知っているとは言えない。知っていても行わないのは,まだ知らないのと同じ」という意味です。
戦国大名は陽明学を学んでいたそうです。天下統一がなされた後,江戸幕府が統治に朱子学を用いたのは有名ですが,陽明学者たちは全国に散らされました。しかし,例えば大塩平八郎,吉田松陰など,天下の動乱期に行動を起こした歴史的人物たちはみな陽明学を学んだ人たちです。
津田永忠の偉業はまた別のエッセーで記そうと思いますが、旭川の洪水時の流路をそのまま河川にしてしまった百間川の治水、百間川を引くことにより旭川の流路にある岡山城や城下町を洪水から守り、本命の沖新田の開拓を熊沢蕃山に納得させるための時間稼ぎの間に岡山後楽園を造営、百間川下流の旭川・吉井川にはさまれた領域の大干拓「沖新田」はモンスーン地帯では世界最大の干拓であり、今回の見学会で津田永忠のスケールに圧倒されました。
建築に携わる人は、「閑谷学校を見てから死ね」と言われるそうで、主君の光政公の理念を永く伝えるための象徴でもあった閑谷学校は、300年を持たせるための明確な強い意思をもって建造されました。屋根や基礎部の水への徹底した配慮、防虫のための漆塗り(木材そのものや木材の目地への塗り込み)等には感銘を受けました。強い意思、よいものづくりへの執念があって初めて、300年を越えてさらに美しさを増す建築になります。
よく現代で言われる設計耐用年数50年、とは何なのだろう、と小嶋会長も講義で問いかけられました。東洋の思想ではありませんね。
西洋の現代技術・システムに溢れた世の中で生きている我々ですが、自然の力に逆らわない治水、300年を超える耐久性、一石二鳥三鳥、民を苦しみから救うための経世済民、等、東洋の思想に今一度立ち戻る必要があるのかと思います。
私たちがチームで取り組んでいる品質確保・耐久性確保も、西洋の技術と東洋の思想の融和、和魂洋才という側面もあるのではないか、と感じ始めています。
小嶋会長からいただいた様々なヒントを、今後につなげていければと思います。学生たちも大変大きな刺激と感銘を受けたようです。見学会の醍醐味ですね。
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