「陽光の日本橋と陰影の首都高」 渡邊 瑛大
徳川家康は土木の偉人である。徳川家康は、江戸に入府したのち、城郭と町の開発のために、江戸の町に運河と堀をつくった。そして、徳川家康が建設した運河や堀の存在が、時を超えたこの現代で、都市高速を整備する際の唯一の生命線となったのである。
C1都心環状線の建設当初は、別途用地を取得してそこに高速道路を通す予定であった。しかし、都心は既に市街地化が進んでおり、高規格道路のための用地取得は現実的ではなかった。地下構造での建設を要望する声も存在していたが、河川の地下の掘削は河川環境に影響が出る。また、1964年の東京五輪を目前に控えており、工費も時間もさほど余裕がなかったため、現在のような容易に用地が確保できる高架構造での建設が決定したのである。実際、高架構造を採択したことで早期に都市高速を整備することができた。しかし、近年になると都市景観や環境保全に対する世間的な認識が高まり、歴史的にも文化的にも非常に価値のある日本橋とその周辺の景観を大きく損ねている首都高の存在は、問題視されるようになった。
また、C1都心環状線は銀座、霞が関、日本橋といった中心部を通る首都高速道路網の核となっている道路で、放射道路からの交通が集中しやすい。そのため、建設から半世紀以上経った今でもなお、容量を超過した交通量を捌いており、老朽化が進行している。
そして、この日本橋の景観問題と老朽化問題の両方を同時に解決するために、日本橋付近を通っているC1都心環状線の地下化事業が都市計画で決定された。事業説明や意見聴取が始まったことで、長く眠っていた構想が具体化に向けてようやく動き出したのだ。さらに、その計画に合わせる形で「都心環状線再編計画」が急浮上してきた。この計画は、2つの大きな構造上の問題を抱えているC1都心環状線にとっては非常に有効なものであると考えられる。現状として考えられる、C1都心環状線が抱える大きな問題点は以下の二つである。
1つ目の問題点は、首都高速道路網の構造である。C1都心環状線は、放射状に伸びている各路線の起点が接続しているため、その結節点では交通が集中する。特に、江戸橋JCTから箱崎JCTまでの区間は、1号上野線、6号向島線、7号小松川線、9号深川線の車の流れが集約されている地点となっている。また、浜崎橋JCTから芝浦JCTまでの区間も、1号羽田線や11号台場線の車の流れが集約されている地点となっており、慢性的に渋滞が発生している。
2つ目の問題点は、路線の構造である。基本的に全線が二車線であり、一部のJCTでは一車線になるといった車線容量的な問題や、急カーブが多く道路の線形が悪いこと、加速車線や減速車線が短いこと、右車線からの分岐や車線の減少などの複雑な構造などが挙げられる。
こうした問題を解決するために、都心環状線再編計画では、日本橋地下化計画で一部が地下になる江戸橋JCTにおいて、C1都心環状線同士を繋いでいる連絡橋を撤去し、C1都心環状線と並行しているY八重洲線をその代替ルートとして活用することで、環状の形を確保することになっている。これによって、交通の流れの分散化を図り、江戸橋JCT付近の慢性的な渋滞を解消させる効果があると期待されている。加えて、現在Y八重洲線と一体となって運用されている東京高速道路(KK線)と8号都心環状線支線を廃止し、KK線の部分はプロムナードとする計画もある。この計画はソウルで行われた清渓川復元プロジェクトを想起させるものであり、実現すれば東京の新たな観光地なると考えられる。
また、この計画では、10号晴海線延伸部も想定されている。10号晴海線は、現在は盲腸線となっているが、終点の晴海出入口から晴海通りの地下を北上し、新富町出口及び銀座出入口付近でC1都心環状線に接続する計画になっている。この道路が完成すると、都心と東京臨海副都心を繋ぐ新たなルートとして、9号深川線や11号台場線の車の流れを分散させようと誘導することができる。
このように、日本橋地区は現在、国家戦略特区の都市再生プロジェクトによって多くの再開発計画が進行しており、首都高速もC1都心環状線を地下化することで日本橋地区再開発計画と一体的に整備を行おうとしている。現在の日本橋地下化計画では2035年に地下ルートを開通させ、2040年に現在の高架を撤去する予定である。この都心で行われる都市計画は、間違いなく首都高速道路網を大きく変える歴史的なプロジェクトとなる。日本橋から影が消えた暁には、きっと見える世界は今とは大きく異なるのだろう。当たり前に存在しているものに目を向け、その存在を当たり前と思わずに、人々にどのような影響を及ぼすのかを我々は考えるべきである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます