細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(146) 「危機感と言霊」 佐藤 鷹(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-01-28 09:11:14 | 教育のこと

「危機感と言霊」 佐藤 鷹

日本が持つ危機感と言霊について述べたい。

 奈良時代、軍団というものがあった。国家規模の軍事組織である。古代律令を取り入れる過程で日本各地に整備されたもので、兵員確保は徴用に依った。この軍団は日本のどの時代の軍事組織、防衛組織に比しても非常に大規模なもので、当時の日本の総人口約600万人に対して、約20万人もの人々が徴用されたほどであったという。そして当時の日本に、これほどの軍事組織整備の熱を上げさせるきっかけを与えたのは、やはり白村江の戦だっただろう。それ以前は国造軍という豪族の支配民からなる軍組織が中心だったが、洗練された唐の軍隊が日本に危機感を持たせ、国造軍以上に大規模な軍組織である軍団を整備せしめた。換言すれば白村江の戦での大敗という結果がなければ、これほどの軍組織を整備することはかなり後か、もしくは実現すらしなかったかもしれない、ということであろう。

 また文永の役、弘安の役と二度にわたる元寇も、日本の外国に対する危機感の薄さがうかがい知れる。この戦いは結局のところ良い巡り合わせで日本が勝利を収めるが、そもそも“国書の無視”は大変に無謀な振る舞いであった。適正な比較対象にならないほどの広大な領土と豊富な兵力を持ち合わせた国を我が国がそれほどに軽くあしらったのは尋常には考えられないことであろう。しかも防塁が築造されたのは2回目の弘安の役に備えてのことであるから、1回目の文永の役はほとんど無策で臨んだことになる。

 こうして歴史を振り返ってみても、日本では外国に対する危機感がいまひとつ感じられず、戦での大敗や多数の負傷者などのショックが与えられないと対策に移らないような気がしてならない。

 言霊というのは、このような希薄な危機感をいくらか説明できるように思う。「和」を尊重する日本人は、「縁起の悪いことは言わない、聞かない、公文書には書かない」という話があったが、これら一連の外国勢力への後手後手の対策は、結局は「外国勢力について話をしたら本当に攻めてきてしまうかもしれない」などの言霊の考えに依った思考停止が原因なのではなかろうか。日本人が政治や防衛関連の話を嫌ったりする所以はそこにあるのかもしれないし、仮に言霊の文化が然程に浸透していなければ、もっと口に出して議論ができたと言えなくもない。

 しかし、だからと言って連綿と伝わる言霊の文化を軽んじ、安易に否定してはいけない。何もかも縁起が悪いと言って言葉にするのを避けるのではなくて、寧ろ縁起の良いことを言葉にできるように、建設的な議論ができるように先手で対策を打つという心持ちこそが、危機感をも克服できる本当の言霊のあり方ではないだろうか。憲法改正や防衛費、予想される大規模地震の話など、本来なら忌み嫌われるような山積する問題に目を背けることなく、明るい未来が見える議論ができるよう、真摯に向き合っていきたいと心から思う。

参考文献
Wikipedia「日本の軍事史」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%8F%B2#%E5%9B%BD%E8%A1%99%E8%BB%8D%E5%88%B6
(2022年1月22日閲覧)

 


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