「アーカイブの過去と未来」小林 航汰朗
今日の授業の中では、いくつかの歴史書の内容が取り上げられた。災害や飢饉などの情景が文章や絵の形で残されているわけだが、こうしたものから得られる情報は限られており、ほかの調査や文献などの結果と突き合わせて推測することが必要となっている。大規模な災害は数百年、数千年という単位で襲ってくるものもあり、こうした歴史資料から史実を読み解くことは大変重要である。しかし一方で、数百年前、数千年前と現在では文化というか文明そのものが異なっているような状況に近いため、当時の様子を正確に知ることは難しい。
あるいは、伝承や言い伝えのような形で災害の記録が残っている例もある。東日本大震災の時に話題となった、三陸地方の「つなみてんでんこ」は好例であり、後世に地震発生時は津波の可能性があるから高台へ逃げるべしという教えを後世に伝えている。しかし、実際にはこれを知る人も少なくなり、もしくは知っていても実際の行動に結びつかなかったこともあるということが分かってきた。伝える術があったとしても、のちの世に確実に受け継ぐことはとても難しいということを示していると考える。
ここで私が持った疑問は、現代で起こった災害の記録は、後世にどのように伝わるかということである。過去の災害(数百年単位のもの)の状況を今の私たちが知るには、先に述べた通り、文章や絵といった文明によって変わるものや、伝承といった人づての手段が多かった。しかし、現代の災害の記録は、文章はもちろん写真や音声、映像といった事実そのものを保管するような方法で記録され、こうした記録は紙媒体などだけではなく、デジタルデータとしてアーカイブされ、アーカイブは個人や行政のコンピュータだけでなく、インターネット上に保管される。このように、事実を記録しアーカイブする技術は格段に進歩しており、より多くの情報、よりリアルな情報を後世に残すことができるのではないかと考える。だが、近年の技術の進歩を振り返っていると、たとえばパソコンというものはここ数十年の間に処理能力が劇的に向上し、映像データの保存方法も磁気テープからDVD、いまではブルーレイなるものもあり、より精密でより色鮮やかな情報を残すことができる。しかし、今磁気テープの記録映像を見ようと思うと、カセットデッキがなかなか見つからず、再生するすべがなかったり、あるいはDVDはブルーレイの再生機器では視聴することができなかったりする。つまり技術はものすごいスピードで発達する一方、下位互換性が必ずしもあるとは限らず、記録を当時の技術のまま放置しておけば、いつか見ることができなくなってしまうのではないかということに思い当たった。
現代の技術にしろ、過去の技術にしろ、記録をしっかりとアーカイブするためには、常日頃からそうした記録が世間に触れるようにし、データコピーなりアップデートなりして、その時その時の最新技術で保管していくとが必要であり、こうした努力が人々に災害の危険を一定の周期で思い起こさせ、後世に災害の悲惨さや教訓を確実に伝えることにつながるのではないかと考える。
最新の画像[もっと見る]
-
YNU dialogue 「福島の今を知り、100年後の豊穣な社会を考える」のご案内 10ヶ月前
-
元気なインフラ研究所 第2回セミナー(3月22日(金)15:30~、オンライン) 11ヶ月前
-
都市基盤学科の卒論生たち5名の発表会 12ヶ月前
-
元気なインフラ研究所 第1回セミナーと、能登被災地の調査 1年前
-
元気なインフラ研究所 第1回セミナーと、能登被災地の調査 1年前
-
元気なインフラ研究所 第1回セミナーと、能登被災地の調査 1年前
-
元気なインフラ研究所 第1回セミナーと、能登被災地の調査 1年前
-
元気なインフラ研究所 第1回セミナーと、能登被災地の調査 1年前
-
元気なインフラ研究所 第1回セミナーと、能登被災地の調査 1年前
-
元気なインフラ研究所 第1回セミナーと、能登被災地の調査 1年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます